発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの違い
時々、驚くような診断名を目にして、腰を抜かすほど驚くことがよくあります。
精神科産業医として社員さんと面談していて驚くことが多いのは、「うつ病と適応障害」という診断名です。
「適応障害」の鑑別診断には、「その人がストレス因への反応としてうつ病の診断基準を満たす症状を呈している場合は、適応障害の診断は適用できない。うつ病の症状プロフィールによって、うつ病は適応障害と区別される」とあります。
一方、「うつ病」の鑑別診断では、「心理社会的ストレス因に反応して起こる抑うつエピソードは、適応障害ではうつ病のすべての基準が満たされないという事実によって、[適応障害・抑うつ気分を伴うもの]とは区別される」とあります。
つまり、「うつ病と適応障害」という診断名は、「うつ病」と「適応障害」という二律背反の病名を並記した、成立し得ない診断(=誤診)ということになりますよね。
発達性トラウマ障害と複雑性PTSD
上記のような成立し得ない診断は、トラウマ関連障害の領域でも起きているのです。
ある時期、某医療機関からの転院希望者が集中したことがありました。
こころの健康クリニック芝大門に転院して来られた人たちが、前医で下されていた診断の多くは「発達性トラウマ障害と複雑性PTSD」でした。
この診断もまた、専門的知識を欠いたものなので、驚きを隠せませんでした。
そもそも「発達性トラウマ障害」は、DSMに採用されるように2009年にヴァン・デア・コークが働きかけた診断概念でしたが、残念ながらDSM-5では正式な診断名としては採用されませんでした。
しかし、2018年のICD-11の「複雑性PTSD」の診断基準では、「発達性トラウマ障害」の概念が取り入れられているように見えます。
「発達性トラウマ障害」について書かれた一般向けの書籍も増えてきています。
しかしながら、「発達性トラウマ障害」と「複雑性PTSD」の違いについて、明確に説明されたものは皆無のようです。
ヴァン・デア・コークの論文の「発達性トラウマ障害」の基準と、ICD-11の「複雑性PTSD」の診断基準を比較してみました。
以下の表はクリックすると拡大しますので、皆さんがお読みの「発達性トラウマ障害」の書籍の内容と比べてみてくださいね。
「発達性トラウマ障害」と「複雑性PTSD」の診断概念は、感情調節障害・否定的自己概念・対人関係障害の「自己組織化の障害」は共通しています。
しかし、「発達性トラウマ障害」と「複雑性PTSD」は、「出来事基準」「PTSD症状」、そして、「調節障害(注意および行動)」に違いがあります。
特に「PTSD症状」については、「複雑性PTSD」ではPTSD三徴が揃っていることが診断要件になっていますが、「発達性トラウマ障害」ではPTSD三徴を完全に満たさなくても診断してもいいことになっています。
「ICD-11の診断基準では、6つの症状(註:PTSD三徴と自己組織化障害3種)すべてを満たす者のみが複雑性PTSDの診断となるが、久留米大学の過去の調査でも、6つすべての症状を満たす割合はそう高くなく、相当数の閾値下症例が存在していることが明らかとなっている」という報告もあり、臨床の場では閾値下の「複雑性PTSD」が「発達性トラウマ障害」と診断されがちな傾向が推測できます。(大江『トラウマの伝え方』誠信書房)
つまり、PTSD三徴が揃っているかどうかについて考えると、先に挙げた「発達性トラウマ障害と複雑性PTSD」という診断は、成立し得ない診断(=誤診)ということになるのです。
愛着障害と「発達性トラウマ障害」と「複雑性PTSD」
出来事基準を比べると、「発達性トラウマ障害」では「養育者の頻繁な変更」という、「反応性アタッチメント障害(RAD)」や「脱抑制型対人交流障害(DSED)」など「愛着障害(アタッチメント障害)」と共通する「不十分な養育の極端な様式」が出来事基準として挙げられています。
一方、「複雑性PTSD」では診断要件には含まれていませんが、発達に関連した表現型として「5歳未満の子どもの場合、虐待に関連した愛着障害には、反応性愛着障害や抑制型対人交流障害も含まれることがあり、これらは複雑性心的外傷後ストレス障害と併発することがある」と、「愛着障害(アタッチメント障害)」と「複雑性PTSD」の併存が認められています。
また「複雑性PTSD」では、「両親や養育者がトラウマの原因(性的虐待など)である場合、子どもや青年はしばしば無秩序な愛着スタイルを発達させ、これらの個人に対する予測不可能な行動(例えば、困窮、拒絶、攻撃性を交互に繰り返す)として現れることがある」と記載されています。
つまり「複雑性PTSD」は、ジーナーが提唱した「安全基地のゆがみ」「混乱型アタッチメント障害」など混乱したアタッチメント、「無秩序・無方向型(D型)」のアタッチメントなど、「アタッチメントの傷つき(愛着トラウマ)」の影響を含んでいるようです。
「発達性トラウマ障害」と「DBD(破壊的行動障害)マーチ」
「発達性トラウマ障害」では、調節障害(注意および行動)として注意欠如多動症(ADHD)から、反抗挑戦性障害(ODD)、行為障害(CD)、反社会性パーソナリティ障害(ASPD)に至る「DBD(破壊的行動障害)マーチ」が特徴のようです。
DBDマーチ(リンクは第105回信州発達障害研究会)
発達障害特性を持っている子は、こだわりが強かったり、落ち着きがなくて失敗ばかりだったりして、強く叱られやすいので虐待が起きやすい。普通なら虐待などするはずのない親でも、「なんで普通にできないの!」「何度言えばわかるんだ!」という形で虐待的になってしまいやすい。
虐待的な子育てにおいては、健全な親子関係、すなわち愛着の形成が阻害されてしまう。子どもは愛着関係に支えられて心が育っていくので、心の育ちが止まってしまう。
すると、発達障害特性→虐待→トラウマ→愛着障害→発達障害特性の悪化→子育て不調→虐待という悪循環が起こる。
このような例は発達性トラウマ障害と呼ばれている。発達性トラウマ障害では、発達の問題とトラウマの相乗的な悪循環によって巨大な雪だるまのようになってしまう。
村上. 自閉スペクトラム症グレーゾーンへの支援. そだちの科学 41: 32-38. 2023
虐待と不全型の「複雑性PTSD」
令和4年度の児童相談所における虐待相談対応件数は21万9 千件と10年前(平成24年度)の6万6千件から約3.3倍も増加しています。
内訳を見ると、身体的虐待やネグレクト、性的虐待は減少傾向にあるものの、心理的虐待が全体の59%と増加傾向にあるようです。
『毒親育ちと愛着と複雑性PTSD』で書いたように、[「外傷的育ち」の虐待のうち、身体的虐待や性的虐待は「複雑性PTSD」と親和性が高い一方、心理的虐待やネグレクトはうつ状態を呈することが多い]ため、これからはますます、不全型の「複雑性PTSD」が増えてきそうです。
毒親育ちと愛着と複雑性PTSD
和田先生は『精神科医・和田秀樹「複雑性PTSDなんかではない」眞子さまの本当の病名は』の中で、「仮にその1割が複雑性PTSDになったとしても数十万人だ。これはかなり少なく見積もった数と言えるものだ。これから複雑性PTSDを増やさないだけでなく、現在複雑性PTSDの人たちを救うことが急務だ。(中略)複雑性PTSDという病名が世間に知られることは望ましいことだが、本当の実態が知られないと逆にいちばん迷惑をこうむるのは複雑性PTSDの患者であることも知ってほしい」と述べていらっしゃいます。
精神科医・和田秀樹「複雑性PTSDなんかではない」眞子さまの本当の病名は
「発達性トラウマ障害と複雑性PTSD」という診断で一番迷惑をこうむるのは、誤った診断を受けた患者さんなのです。
院長