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大人の愛着障害と不安定型愛着

[2023.10.18]

大人の愛着障害と愛着スペクトラム』で、愛着(アタッチメント)の仮死状態・混乱・傷つきについて説明しました。

 

そして、「反応性愛着障害」(DSM-5では反応性アタッチメント障害と脱抑制型対人交流障害)と、ボリスとジーナーが提唱しているアタッチメントのスタイルを適応度合に応じて並べた「愛着(アタッチメント)スペクトラム」の考え方を解説しました。

 

でも、と思う。なぜ愛着障害はそれほどまでに誤用されるのだろう。なぜ愛着障害を広く捉える向きがあるのだろう。愛着障害という言葉には、それが許されるところがあるような気はたしかにする。なぜだろう?(工藤. 人はなぜそれを愛着障害と呼ぶのだろう. こころの科学: 216, 92-93, 2021.)との問いと同じく、「愛着障害」にまつわる不明瞭感が払拭されないもどかしさは、どこまでも付きまとってきますよね。

 

この「問い」に対して、北海道教育大学の三上教授がその著書である『臨床に活かすアタッチメント』の中で、1つの明瞭な答えを出していらっしゃいましたので、一緒に読んでいきましょう。

 

「愛着障害」流行の起源

一般に「愛着障害」という言葉が知られるようになったきっかけは、精神科医である岡田によるものでしょう。

本来、この用語は、岡田が引用している精神医学的診断基準であるDSM-Ⅵでは「反応性愛着障害」(DSM-5では反応性アタッチメント障害と脱抑制型対人交流障害)と呼ばれ、「特殊で悲惨な環境で育った子どもの問題」として極めて狭く定義されていました。

すかし、岡田は「愛着」の問題は子どもだけでなく大人にも見られ、さらに発達障害を含む様々な問題の背景に実は「愛着」の問題があるのだと指摘して、その定義を拡大しました。

「愛着の問題は、一部の人の特別な問題ではない。ほとんどの人に広く当てはまる問題でもある」と岡田は述べていますが、実際「自分にも当てはまる」と感じた人が多かったからこそ、一般に広まったのだと思われます。

三上.『臨床に活かすアタッチメント』岩崎学術出版社

 

私自身も『愛着障害―子ども時代を引きずる人々』を読んだときに、定義の拡大であることをいつの間にか失念し、自分も「愛着障害」なんだー、不安定型愛着なんだー、と、少し涙ぐみながら過去のことを思い出し、引き込まれるように貪り読んだ記憶があります。

 

障害と方略(機能)の混同

このように「不安定型愛着」≒「反応性アタッチメント障害」と思わせる一つの説明が、安定型愛着は良くて、不安定型愛着は良くない、と、機能と障害を混同させる著述の仕方が問題のようです。

 

これまでのアタッチメント研究において安定型という分類が最も適応的で好ましい分類であると考えられてきました。実際、様々な研究によって安定型アタッチメントがのちの肯定的な発達と相関していることが示されています。

逆に、このような考え方から、不安定型アタッチメントは問題であると見なされがちです。実際、岡田も「成人でも、三分の一くらいの人が不安定型の愛着スタイルをもち、対人関係において困難を感じやすかったり、不安やうつなどの精神的な問題を抱えやすくなる」と指摘した上で、「こうした不安定型愛着に伴って支障をきたしている状態を、狭い意味での愛着障害(中略)と区別して、本書では単に「愛着障害」と記すことにしたい」と述べています。

つまり、岡田は不安定型アタッチメントを広い意味で「愛着スペクトラム障害」と捉える立場に立っているようです。

しかし不安定型アタッチメントをひとくくりに「障害」と捉えるのは正しいのでしょうか?

三上.『臨床に活かすアタッチメント』岩崎学術出版社

 

上記の説明に続いて、「不安定型アタッチメントは(関係・文脈に特異的な)アタッチメント対象を持っているのに対して、アタッチメント障害はアタッチメント対象を持っておらず、関係・文脈を超えた個人の障害である」ことが説明されます。(引用は前掲書)

 

そして、「DMM(註:アタッチメントと動的−成熟モデル)では個人の使用するアタッチメント方略がその文脈でどのような「機能」を果たしているのかを重視する」と、「文脈に適応する上での何らかの「強み」があると捉え」られる「不安定型アタッチメントを「愛着障害」と名づけるのは、負の側面を強調しすぎてしまう危険性がある」と1つの結論を提示されています。(強調は原文のまま)

 

私たちは誰も、他者によって生きることが可能となる仕組みを持って生まれてくる。そして、それはいつも十全に満たされるわけではない。そのために多かれ少なかれ関係上の傷つきとその苦しみを背負っている。

だから、愛着の障害は身近に思えるのだろう。

障害でないものに、障害という名前をつけて手当てをしたくなるのかもしれない。

工藤. 人はなぜそれを愛着障害と呼ぶのだろう. こころの科学: 216, 92-93, 2021.

 

精神医学的な「障害」と、不安定型愛着のような関係・文脈に特異的な「方略(機能)」の混同が、とりもなおさず岡田の「愛着障害」の問題の1つでもあると考察されています。

さらに『大人の愛着障害と愛着スペクトラム』で紹介した「障害と方略を同じスペクトラムに並べるボリスとジーナーの図式には無理があるといえる」と結論づけられています。(引用は前掲書)

 

私たちはなぜそれを愛着障害と呼んでもいい気がするのだろう?

これで「愛着障害」という概念が抱える問題を明らかにできたのではないかと思います。

しかし、これだけでは一般の人のみならず専門家までもが「愛着障害」という概念を使って惹きつけられているのか、説明できません。

アタッチメントの正しい理解が専門家にも広まっていないから?もちろん、それもあるかもしれません。

しかし、より本質的な理由として、現在使用されているDSMやICDなどの記述精神医学の診断体系に限界を感じている専門家が増えているからではないでしょうか。

(中略)

実際、岡田は症状ではなく、背景にある「愛着の問題」をみることの重要性を指摘し、「医学モデル」から「愛着モデル」への転換を唱えています。

(中略)

私もアタッチメントを「障害」と名づけてしまうよりも、対人関係の「機能」という視点から活用する方が役に立つと思っています。

なぜなら、「症状」に注目するだけではわからない、クライエントの対人関係パターンが家族関係の中でどのように生みだされ、支援者との間でもどのように繰り返され、さらにそれがどのように現在の問題に関連しているのか理解することを助けてくれるからです。

三上.『臨床に活かすアタッチメント』岩崎学術出版社

 

ICDやDSMなどの操作的診断基準では、適応障害、急性ストレス障害、PTSD以外では原因の推測が排除されています。

 

三上先生は、「私は現在の「愛着障害」概念が専門家の間で流行している背景には、「この失われた部分を回復したいというニーズがあるのではないかと考えています」と記載されています。(強調は原文のまま)

 

加えて、操作的診断基準で失われてしまった「症状を生みだし、対人関係パターンを規定する人格構造や、それを生みだした家族関係の理解」を取り戻し埋め合わせるために、対人関係機能(方略)を示唆する「愛着の問題(≒愛着障害)」という言葉に惹きつけられるのではないか、と考察していらっしゃいます。(引用は前掲書)

私も、その通りだなぁと私も同意しています。

 

「愛着障害かもしれない」などの思いこみの表現ではなく、何を辛いと感じていらっしゃるのか、などの症状についてお伝えいただければ、詳細なアセスメントを行った上で、改善の方向性について説明させていただきますので、こころの健康クリニック芝大門に問い合わせてください。

 

院長

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