複雑性PTSDとさまざまなフラッシュバック
長期的・反復的な外傷性出来事(トラウマ体験)によって引き起こされる「複雑性PTSD」の診断基準では、PTSDの三徴と「自己組織化障害」症状を伴い、重度で持続的な社会生活や仕事の能力、人生の節目への影響など「機能障害」を伴うもの、と定義されています。
PTSDの三徴とは、よく知られているように、「再体験症状(侵入症状)」「回避麻痺症状」「脅威の知覚(過覚醒症状)」です。
また、「自己組織化障害」症状は、感情の過剰または乏しさといった「感情調節障害」、自分は弱く価値がないといった「否定的自己概念」、対人関係を維持したり他者に親近感を抱くことの困難である「対人関係障害」と規定されています。
「(単純性)PTSD」と「複雑性PTSD」は、同時に診断されることはない独立した診断カテゴリーであり、さらに、双方がもう一方のサブタイプではありません。
にも関わらず、診断はあくまで機能障害を含む臨床症状によるため、一般の人だけでなく、自記式質問紙によるアセスメントを行わず主観的診断に頼っている精神科医の中にも、この2つの疾患を混同している先生方が多いような印象を受けています。
「PTSDの三徴」を基準に考えると、「(単純性)PTSD」「複雑性PTSD」は同じように見えてしまいます。
「(単純性)PTSD」はショック・トラウマによって生じますから、受傷直後は「急性ストレス障害」としての「PTSDの三徴」が生じ、3〜6ヶ月持続するとされます。
一方、幼少期の身体的・性的虐待による「複雑性PTSD」の場合、「自己組織化の障害」が先行し、後になって「PTSDの三徴」が生じてくることが「(単純性)PTSD」との大きな違いなのです。
さて解離症状に目を向けると、ICD-11の診断基準では「複雑性PTSD」の解離症状ついては詳細な言及はありませんが、「複雑性PTSD」では解離症状が併存することが多い、ことはよく知られています。
「複雑性PTSD」の解離症状は、1つの「生活担当人格(主人格パート):ANP」に対して、複数の「トラウマ担当人格(交代人格パート):EP」が交代で出現する「部分的解離性同一性症(USPTでいう内在性解離)」、つまり「第二次構造的解離」が特徴とされています。
複雑性PTSDの内在性解離とフラッシュバック
単回性のトラウマによるPTSDに伴う「第一次構造的解離」や、複雑性PTSDにともなう「部分的解離性同一性症(USPTでいう内在性解離)」がフラッシュバック(「再体験症状」あるいは「侵入症状」)を引き起こします。
解離構造を基盤にして、「主人格パート(生活担当人格):ANP」で生活しているところに、急に「交代人格パート(トラウマ担当人格):EP」が現れて交代することが、解離の病理です。
このときに、冷凍保存されていた「外傷性記憶(思考、感情、身体感覚、行動)」が再活性化された状態が、「フラッシュバック」と呼ばれる「再体験症状」あるいは「侵入症状」です。(『複雑性PTSDと解離』参照)
複雑性PTSDと解離
フラッシュバックは、交代出現した「交代人格パート(トラウマ担当人格):EP」が冷凍保存していた「外傷性記憶(思考、感情、身体感覚、行動)」が再活性化された状態なのです。
フラッシュバックは、些細な引き金によって引き出される。
これは思い出すのではなく、強烈な再体験である。
上岡らはフラッシュバックを「どこでもドア」と形容している。どこにいても、いつであっても、ドアが開けられるとそのトラウマ場面のなかに立ちすくんでいるのである。
杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房
「そのトラウマ場面のなかに立ちすくんでいる」状態を引き起こすのが、「主人格パート(生活担当人格):ANP」から「交代人格パート(トラウマ担当人格):EP」への交代(スイッチング)です。
子ども虐待の症例に認められる併存症で、愛着障害よりも頻度が高い後遺症が、解離性障害である。解離とは、身心の統一がバラバラになる現象である。
非常に苦痛を伴う体験をしたとき、こころのサーキット・ブレーカーが落ちてしまうかのように、意識を身体から切り離すという安全装置が働くことが、もともとの基盤になっている。
この解離によってトラウマ記憶はしばしば健忘を残す。その一方で、このトラウマ記憶は、フラッシュバックという形で突然想起される。
杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房
ICD-11 platformの「複雑性PTSD」の解説に、フラッシュバック(再体験症状・侵入症状)は、「その出来事についてふり返ったり反芻したり、その時に経験した感情を思い出したりするだけでは、再体験の要件を満たすには十分ではない」と記載されています。
フラッシュバックは、一般的に使われる「過去のことを思い出して嫌な気持ちになる」などの記憶想起や、「嫌だった出来事を何度も思い出す」反芻思考のことではなく、人格(パート)の交代に伴う症状なのです。
フラッシュバックは人格(パート)の交代に伴う症状であり、冷凍保存されていた「記憶・感情・感覚・行動」が再活性化されるため、戦慄的恐怖や傷つきや無力感を伴う強い感情的苦痛を喚起します。
さらに、「交代人格パート(トラウマ担当人格):EP」と「主人格パート(生活担当人格):ANP」の間に「区画化」がある場合に健忘を残す(解離性健忘)こともあります。
つまり、フラッシュバック(再体験症状・侵入症状)は、解離症状でもあるわけです。
そのような意味で、「その出来事についてふり返ったり反芻したり、その時に経験した感情を思い出したりする」一般的な意味で使われるフラッシュバックは、記憶想起と反芻思考であるのに対して、PTSDや複雑性PTSDの診断基準にある「再体験症状・侵入症状(フラッシュバック)」は、「解離性フラッシュバック」と呼んだ方がより正確ということですよね。
解離性フラッシュバックの諸相
言語性フラッシュバックは、虐待者から言われたことのフラッシュバックで、子どもが些細なことから切れて、急に目つきが鋭くなり低い声で「殺してやる」などという現象である。
認知・思考的フラッシュバックは、虐待者に押しつけられた考えの再生で、「自分は何をやっても駄目だ」などの考えが繰り返し浮かぶことである。
行動的フラッシュバックは、俗に言う「キレ」る状態で、急に暴れ出す、殴りかかるなど虐待場面の再現である。
生理的フラッシュバックは、子どもが首を絞められたときのことを語っている際に、首を絞めた加害者の手の跡が首の周りにうかぶという不思議な現象である。
杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房
上記では、「言語性」「認知・思考的」「行動的」「生理的」のフラッシュバックが説明されています。
一方、『USPT入門 解離性障害の新しい治療法』の著者の一人である新谷先生は、コラムの中で、「感情」「聴覚性」「行動」「身体」のフラッシュバックを説明されています。
フラッシュバックというと、映像で過去のシーンがリアルに想起されるものがポピュラーですが、実際にはさまざまなタイプがあります。
【1】感情のみの(あるいは感情優位の)フラッシュバックの場合、前述のトリガーが同定できないことも多く、ANPは“なぜだか理由は分からないが溢れてくる怒り、恐怖、あるいは悲しさ”として実感することになります。
【2】聴覚性フラッシュバックは、一言一句テープレコーダーを再生するように迫害者に吐かれたフレーズを再体験するのではなく、再構築されて少しずつ文言を変えながら、“幻聴”としてくり返し体験されます。
【3】行動がフラッシュバックすると、若年期の養育者そっくりの口調で自分の子どもに暴言を吐くといった“行動的再演”として現れます。
【4】幼少期に受けた身体的虐待や性的虐待が身体に刻まれていると、原因不明の“身体の痛み”としてのフラッシュバックが生じます。
新谷. 1999年J-POPの「Trauma」と解離性フラッシュバック. 星和書店こころのマガジン Vol.209, 2020.7
私自身のトラウマ臨床の印象では、新谷先生がおっしゃる「感情」「聴覚」「行動」「身体」のフラッシュバックの方が納得できます。
これはおそらく、杉山先生が今まさに虐待を受けている小児を診ていらっしゃるのに対して、新谷先生も私も、成人の患者さんを対象としているので、「言語性」フラッシュバックと「聴覚性」フラッシュバックのように、フラッシュバックの様相が異なっている、と考えられます。
トラウマ記憶に由来するとみなして支援にあたるトラウマインフォームド・アプローチの視点をもたなければ、【1】から【4】の症状はそれぞれ単なる情動易変性、幻聴、攻撃性、身体症状と片づけられてしまうでしょう。
ANPは、今の苦痛と昔の苦痛、両方を一度に被ってしまっているにもかかわらず。新谷. 1999年J-POPの「Trauma」と解離性フラッシュバック. 星和書店こころのマガジン Vol.209, 2020.7
新谷先生もこのように、症状の詳細な検討の必要性を述べていらっしゃいます。
私たちトラウマ臨床に関わる治療者は、「主人格パート(生活担当人格):ANP」が抱える苦痛と苦悩に気づく専門性と、解離症状を視野に入れたフラッシュバックの治療を要求されているのです。
院長