自尊心の裏側にある過大評価が摂食障害を維持している
『「体重が増えるのが恐くて食べられない」考えとどう向き合うか』で、自殺既遂者の遺族に話を聞く心理学的剖検調査を行っていらっしゃる松本先生の講演をリンクしました。
心理学的剖検調査で、女性自殺者の中に摂食障害の既往を持つ人が散見され、その人たちは拒食や過食嘔吐などの食行動異常は改善して症状が消失した後に、人生の荒波にもまれる中で自殺に至っていたケースだったということです。
「食行動異常は、生きづらさへの対処、他者とつながる機能も帯び、短期的には延命に役だっていた」と感想を述べられています。(編集後記 in 摂食障害の今日的理解と治療 II, 精神科治療学 33(12), 2018)
『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』の中でジェニーさんは次のように書いています。
摂食障害という病気の背景には、実は自分自身を必要以上にコントロールしようと必至になっている、痛々しいほどの完璧主義、自信のなさ、常時押し寄せてきて押しつぶされそうになる自己嫌悪の問題というものが隠されているのです。
シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店
ある本には、摂食障害は「自信のなさ」や「自己嫌悪」など自尊心が低いことが問題だと書いてあります。
一見もっともらしく聞こえる自尊心の問題は、その根底に横たわる問題についてよく考えてみると、実はまったく違うことが見えてくるのです。
バウマイスターら(30年に1万5000以上の調査を行った心理学者)の報告は、自尊心と成功のあいだの相関関係は実質的に皆無であるという根拠に満ちていた。
(中略)
そして大学生に自尊心があるからといって、社交が周りより上手くなるわけではなかった。職場では、自尊心が高くても同僚との関係が向上するわけではなかった。(中略)成功していない人物が自尊心を高めると、パフォーマンスが向上するどころか低下するという指摘だった。
(中略)
そもそも、アメリカ人の多くが苦しんでいる病は、実は「自尊心の低さ」ではなかったのだ。
自尊心を高めるべきだと主張する者たちは「自己愛の欠如を嘆いて」いたが、自尊心のレベルは着実かつ手に負えないほど高くなっていたのである。
本当の社会の病は、多くの人間が(たいては何の客観的な根拠もなく)、自分を高く見積もりすぎていることだったのだ。ユーリック『insight(インサイト)』英治出版
「自分を高く見積もりすぎていること」は、摂食障害の認知行動療法では「体型と体重の過大評価」と呼ばれます。
摂食障害とは、自分の外見がとても気になって、特に洋服のサイズと体重のことを極端に心配し、それだけに囚われることが特徴です。
私も、痩せているのが何よりも重要と考えた時期がありました。でも今では、一番小さいサイズの体型を保つことよりも、もっと大切なことが人生にはたくさんあるのだということが理解できるようになってきました。
第3章では、あなたが自分の容姿を自分で批判し続けることをやめられるようにお手伝いしていきます。そして、あなたの人生の本当の意味を探し出す準備をしていきましょう。
シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店
つまり、自分の価値の大部分、あるいはすべてが、体型や体重と、それらをコントロールする能力で判断されてしまいます。
過食や過食嘔吐によってそれが可能になる、自分にはそれができるという信念そのものが、「自分を高く見積もりすぎている」わけです。
このようなタイプの人たちを「過敏型自己愛性パーソナリティ」と考えると理解しやすくなります。
世間の目を気にして、空気を読むなど、他人が自分をどう見ているかという評価には敏感ですが、頭の中の他者が大活躍しているだけで、実際の他者の気持ちには関心がないのが特徴です。
自己愛と名づけられていますが、自分を愛することが出来ないどころか自己嫌悪のかたまりで、心の充足感が得られず、つねに不足感や欠如感、空虚感を抱えています。
そのため、快楽と興奮、刺激を過剰に求め傾向にあるのです。
このタイプの人たちは、「敏感すぎる人たち(HSP)」ではないかと自分で判断し、心が傷つきやすいため親密な対人関係から距離を取り、自分の心の中のよそ者自己を刺激されないように防衛します。
「遠ざかり境界性自己障害」として紹介したことがありますよね。
そして、ダイエットや食事制限(絶食)によって一時的に高まったかにみえる自尊心は、繰り返される体型確認や体型回避、「肥満感(太っている気がする:ファット・アタック)」の増強など、さまざまな二次的な症状によって簡単に低下してしまうのです。(『ファットアタックって何?』参照)
たとえば、今日一日、あなたの頭の中を占めていた考えには、どんなものがあったでしょうか。
仕事や学校のこと、恋人や友人との関係、家族のこと、将来の目標などとともに、体型や体重あるいは食べ物のことに没頭していた時間は、1日のどのくらいの割合を占めていましたか?
ジェニーさんは「体型や体重あるいは食べ物のことに没頭」してしまう引き金の1つである体重計との向き合い方について書かれています。
回復への道をたどり始めたとき、私はまず、すぐに体重計とはきっぱりと別れよう、絶交しようと固く心に決めました。
エドは、私のこの決断に動揺していました。エドは、「体重計という一番信頼のおける道具がなくなってしまったら、いったいどうすればいいんだ……。どうやって君のことをコントロールできるというのだ」と叫びまわっていました。
(中略)
今となっては、私がはかりにかけるのは、体重ではなく、何かを決断するときのそれぞれの長所と短所だけです。
私の人生において、体重計を手放すかどうかについては、手放すことの良さが、手放さないことによる弊害をはるかに上回ったのです。
でも、この決断をすること自体は、とても難しく、簡単ではありませんでした。
シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店
何度も体重を測ることで、些細な体重の変化に対してそれがすべてであるかのように捉えてしまい、ダイエットや食事制限(絶食)につながることで、生物学的な不安定さが維持されてしまいます。
このようなときには、週ごとの体重の数値の変化は、脂肪がついたかどうかを示すものではなく、水分の変化によるものであり、『ファットアタックって何?』で解説した内容を思い出すなどして、自分がしがみついている「やせさえすれば全てが解決する」という信念そのものを吟味してみることがすごく大切ですよね。
院長