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摂食障害と衝動性

[2013.02.18]

対人関係療法による摂食障害の治療7~多衝動型過食症』で、摂食障害と衝動性について触れ、衝動性はパーソナリティの問題とされ、境界型パーソナリティ障害と診断されるのではないか、と示唆しました。

例えば、古典的な拒食症での行動化は盗み食いと万引きなどが知られており、過食症ではリストカットなどの自傷行為や過量服薬、性的逸脱行動や暴力行為などが知られています。

これらの行動化があると、安易にパーソナリティ障害と診断されることが多いのですが、摂食障害と境界性パーソナリティ障害には重なる部分も多いものの、違いも見られます。

もはやいかなる安定も安堵をもたらさず、身体との終わりなき格闘は同時に他者を廻る無限の葛藤を運命づけている。
これはまさに「接近/離反」「共感/疎外」「依存/問いかけ」「信頼/不信」、つまり「融合/隔たり」の二重性を生きる境界例患者の実存のありようと共通するものである。

確かに、衝動性が高く、対人関係が不安定で、社会的逸脱行為が見られ、自傷行為や自殺企図に至る天など、摂食障害者には往々にして境界例患者と同様の言動が認められる。
逆にまた、境界例患者のうちの多くが摂食障害を合併していることも知られている。
それは、摂食障害という病が境界例患者と同質の二重性の苦悩を有しているためであろう。
摂食障害者にとっての「見られる身体」と「感じられる身体」の二重性は、他者からの離反と他者への接近の二重性をも意味し、そこから境界例患者に見られる他者からの隔たりと他者との融合の反復という対他関係とも重なりあう。
摂食障害者がしばしば境界例的であるのは、この他者に対する二重性のゆえんであるのだろう。
『解離する生命』「二重の生命」

野間先生がおっしゃる「二重性」は、摂食障害では「見られる身体」と「感じられる身体」であり境界例では「融合」と「隔たり」という二重性とおっしゃいます。

境界例の「融合/隔たり」の二重性が、摂食障害の中心病理である自己愛の「融合/鏡映」と重なるのですよね。

ただし、ここで留意すべきなのは、同じ二重性という苦悩を背負っているとはいえ、摂食障害と境界例とでは大きな違いがある。
摂食障害者はあくまで主体的自己の解放から出発し、「ひとびと性」と「われわれ性」のふたつの次元の二重性を病んでいる。
それに対して境界例は、自他の根本的未分化のために世界経験の自明性がつねに揺らいでいる状態だと理解されているように、他者との近接した状態である「われわれ性」の次元のみにおいて、融合と隔たりの二重性に苦悩しているのである。

したがって、摂食障害と境界例のあいだにはいくらかの間隙があり、いかに境界例的に振る舞う摂食障害患者であっても、けっして性急に境界例と断じるべきではない。
重要なのは、個々の摂食障害の比重が相対的に「ひとびと性」に置かれているか、「われわれ性」に置かれているか、である。
他者との距離が近く、「われわれ性」の要素が強ければ強いほど、「境界例性」が強いといえるだろう。
『解離する生命』「二重の生命」

 

実は『対人関係療法による摂食障害の治療7~多衝動型過食症』で触れた「多衝動性過食症」は、境界例のように見えたとしても、ADHDの要素を薄く有する人が愛着(アタッチメント)の傷つきを抱えた時に、「行為障害」としての衝動性と「摂食障害」としての過食を併せ持つようになるのかもしれないと考えられます。

実際、ADHDの要素(多動・不注意・衝動性)は、「愛着の問題」でも起こりうることが知られており、「境界性パーソナリティ障害」との発症誘因の類似性が指摘されています。

さらに臨床像でも、「拒食の要素のない過食症」や「むちゃ食い障害」、「双極性障害(双極II型や特定不能の双極性障害)」との類似性、「PMS(月経前症候群)」や「PMDD(月経前気分不快症候群)」、「過敏性腸症候群」、頭重感・浮動感などの身体的不調の併発しやすさ、さらには「特定不能の不安障害(対人過敏や孤立不安)」などとも密接な関係があることが示唆されているので、摂食障害という観点だけではなく、生育歴やパーソナリティまで視野に入れる必要がありそうですね。

次回は摂食障害とパーソナリティについてです。

院長

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