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摂食障害とパーソナリティ

[2013.02.25]

摂食障害の精神病理については、境界性パーソナリティ障害の合併が多いと言われてきました。
しかし実際は、自己愛パーソナリティ障害と境界性パーソナリティ障害の両方の傾向を持つ特定不能のパーソナリティ障害が多いようですが、拒食症は自己愛心性と関連すると言われています。

 

たとえば、乳幼児期には虐待などを除いて全面的に受容される経験をしますが、成長とともに愛されることには条件が付くようになります。

親が自分の自己愛を満たすような輝かしい子どもを要求し、子どもが親の欲望に対して失望を与えると
怒りやあからさまな失望を表出し、子どもはつねに自己が無力化される体験を受けます。

多くのケースでは早めに大人として自立した行動をとることを無意識的に要求されているため、甘えの早期断念が進行します。

「自分が自分以上でなければならない」という自己愛のテーマは、現実の中で「特別な自分」の獲得に失敗した際に、「誰でもできそうで出来ない」ダイエットという拒食のスイッチが発動するのです。

 

症例Aは、名門大学に入学したことが自分にとってまさに偶然であり、受け入れることができなかった。
別の拒食症患者は、「周囲に流されて生きていくことがこわくなって拒食に走った」と語っている。
自分の予測に反する出来事、自分のコントロールの及ばない事態、このようなものは受け入れることが出来ず、断固抵抗する。
拒食症患者は一般に、自分の持つ物理的偶然性を自分の人生にとって意味のある「物語的偶然性」に置き換えることができず、つねに物理的偶然性に圧倒されているのである。
そこで彼らは、物語的偶然性を諦め、物理的偶然性を「物語的偶然性」に直接置き換える道を選ぶ——すなわち、自らの意志で食を拒み、体型を変えることになる。
『解離する生命』「交感する身体」

ダイエットあるいは拒食による「特別な自分」は、やせることに成功した時に「かりそめの万能感」によってさらに拍車がかかります。

同時に、やせていることで他者からの庇護を受ける事になり、「条件付きの愛情」を解消することが出来るのです。

ここではじめて、症例Aの例の言葉——「やせればやせるほど、自分を消せるような気がする」——の意味が明らかになる。
Aは自らの<同一性>による疎外を、他者に捉えられる身体を有すること、つまり「見られること」として体験している。自らの意志で減量すれば、やせた身体が他者の視界にあっても、能動的に食を拒む主体としての自己は他者の視線から解放されるのである。しかも、自分の意志でやせていることを他者に悟られてはいけない。自らの能動性が他者に知られることも、それ自体やはり受動的偶然的体験だからである。
このように、秘かにやせていくことによって患者の主体的自己は身体から解放され、自らの<自己性>を確認することになる——しかし、上空飛行的に自らの身体を眺め正解を俯瞰するというこのような主体的自己の解放は、一瞬の幻想にすぎない。
私たちは身体的に生きている以上、偶然性からなる世界の網目を完全にくぐり抜けることはできないのである。
『解離する生命』「交感する身体」

自らの能動性が他者に知られることも、それ自体やはり受動的偶然的体験」という能動性と受動性の反転が、主体的自己のゾーエーを揺らがせるのですね。

「生一般(ゾーエー zoe)」:精神病理学者であり哲学者でもある木村敏は、生命的自己の背後に「生一般(ゾーエー zoe)」の存在を想定しています。

 

摂食障害は食欲の病気ではなく、人からどう見られるのかということに関連する自尊心の病理ということをヒルデ・ブルックも指摘しています。

すなわち拒食症と境界例に共通するのは、<同一性>からの<自己性>の救済である。
このとき、「主体的自己」のあり方が問題となる。拒食症は主体的自己を偶然性から解放しようとし、境界例は自他関係において主体的自己を消し去る。

能動的に「見られる身体」を作り続ける拒食症患者に拒食の反動として過食衝動が訪れるとき、この自己コントロールを超えた「感じられる身体」の前に、上空飛行的な自己の解放は挫折する。そこに残された道は、「感じられる身体」に全面降伏しこの身体が他者によって享受されることである——これが、過食症患者に境界例が多い理由だろう。
もっとも現実には、拒食症患者もつねに食欲という「感じられる身体」に脅かされ、また過食症患者もさまざまな程度で「見られる身体」を作る努力は絶やしてはいない。摂食障害患者がどのようなかたちで身体と関わるにせよ、主体的自己を身体から切り離す試みを断念しない限り、その苦悩から解放されることはない。
『解離する生命』「交感する身体」

 

過食行動は、淋しさ、空虚感、絶望、孤独感、怒り、不安感、自暴自棄などの感情(これが境界例心性といわれるもの)に続発します。

現代の過食症では、かつての拒食症のような完全性・完璧性の追求や向上心、硬直性などのテーマは希薄で、むしろ、自分が嫌い、頑張れないというネガティブな自己イメージに裏打ちされた「せめてやせた体型でないと取り柄がない」という思いに支配されています。

 

このような食行動異常は、習慣化しやすく、また排出行為などの浄化行動を伴うようになるといっそう過食衝動は強化され、嗜癖や依存症的な様相を呈してします。

次回は、摂食行動の診断基準の変化についてみていきますね。

院長

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