吐くことをやめるということ
『摂食障害を「手放す」のに必要な「責任」と「自覚」』で、こころの健康クリニックの対人関係療法外来で教えている《自分の選択に「自覚」と「責任」を持つ》こと、《手放す》こと の意味について説明しました。
《自分の選択に「自覚」と「責任」を持つ》ことの土台にあるのが、セルフモニタリングを通じて自分と向き合いながら、「思考は数多くの思考の1つにしか過ぎないこと」「思考(考え)によって引き起こされた身体反応(情動)に名前をつけたものが感情(気持ち)であること」「感情(気持ち)は心の中のさざ波に過ぎず、心を超えてあふれ出すことは絶対にないこと」などを体感的に理解しながら治療は進んでいきます。
その際、「自分の健康を守るための賢明な選択」からブレないようにすることが必要です。
私の場合、「もっと上手に振る舞う」とは、回復を目指す行動を何度でも選び、そのたびに私の選択に責任を持つことを意味しました。
(中略)
あなたなりの方法でかまいませんので、回復への道とあなたの人生に深くかかわるような何かに対して、どんどん責任を引き受けながら力を注いでみましょう。
(中略)
私もそうでしたが、回復するための選択には、何回となく迫られるでしょう。
日によっては、たった一分間に何度も選ばないといけないということもあるかもしれません。
でも、あなたは必ず回復への道を安定して進み続けられるようになります。
シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店
ジェニーさんが言う「選択に責任を持つ」ことは、当然負わなければならない任務や義務ではなく、また自分のした事の結果について責めを負うことでもないことに注意が必要です。
ジェニーさんがいう「責任(レスポンス+アビリティ)」とは、「回復するための選択(自分の健康を守るための賢明な選択)」に取り組み、その結果を引き受けることを意味します。
たとえば、過食嘔吐の治療の最初に「嘔吐は次の過食を誘発することになりますから、過食をせずに済むようになるためには、まず嘔吐からやめる必要がある」ことを説明していますよね。
(「食事、睡眠、仕事や勉強、人付き合い 生き延びるために日常生活をどう乗り切るか」)
自己誘発嘔吐は、過食の後だけでなく、過食とは関係のない通常の食事の後に起きることもあります。
あるいは、満腹感に伴う不快感を避けるため、胃を空っぽにするため、気分を調整するため(吐いた後に解放感を得る)、自分を罰するため、など、さまざまな理由で行われます。
「胃を空にして、過食で食べたものを取り除き、過食による体重増加を帳消しにできると思う」(切池 信夫『クリニックで診る摂食障害』医学書院)ことが一番の理由のようです。
3食の食事摂取ができていない飢餓状態の人や、通常の食事の後に嘔吐してしまう人、あるいは過食の定義を満たさない主観的過食(ダラダラ食いや大食などのエモーショナル・イーティング)の後に自己誘発嘔吐をしてしまう排出性障害の人では、一番の問題である嘔吐からやめることを勧めています。
(『食べたい衝動、吐きたい衝動とどう向き合うか』も参照してくださいね)
食べたい衝動がおさまって、ダラダラ食いや大食をしなくなると、当然のことながら嘔吐する必要がなくなります。
それに越したことはありませんが、そうなるまでにはかなりの時間がかかります。ですからまずは、「吐かない」という意志をもって嘔吐からやめるのが回復までの最短距離のようです。
北九州医療刑務所の瀧井先生は、嘔吐をやめることについて、次のように書かれています。
最近あるシンポジウムにおいて、若い心理士さんより、「嘔吐をしてはいけないことを、患者さんに納得させる言い方がわからないので、教えてほしい」という質問がありました。
それに対してあるベテランの治療者から、「私は嘔吐をしないようにとは言いません。嘔吐は摂食障害の症状ですから、やめなさいといっても意味がない」というような回答がありました。それを聞いて、「ああ、自分との違いはここなのだ」と合点がいきました。
(中略)
私ならその質問に何と答えるだろうかと、考えました。
筆者は、摂食障害は単に病気と言うよりも、生き方であると考えています。「摂食障害という生き方」です。ですから、私は治療において、患者さんの生き方に問いかけます。
嘔吐が自分のやったことをチャラにする(つまり、体重が増えるようなことをしているのに、その結果から安易に逃れる)、卑怯な、責任をとらないやり方であることを話します。「あなたはずっとそのような生き方をしてきたのです。いまもしているのです」といいます。そして、「そのような回避的な生き方を続けていては、摂食障害が治ることは決してない」という事実を告げます。
(中略)
「それ(ここでは、嘔吐)をやっていては、病気は治らない。だから、止める必要がある」といってくれる治療者と、「症状だから言っても仕方ない」と容認する治療者では、治す力が全然違ってくるのです。瀧井「連載:摂食障害にまつわる問題点と提言 ③摂食障害の精神病理に真摯に向き合うことの重要性」平成29年 日本摂食障害学会ニュースレター
上記には、自己誘発嘔吐をやめることへの向き合い方が説明されていますが、過食の診断基準を満たさないダラダラ食い(エモーショナル・イーティング)の場合にも、いろんな理由をつけて現実や自分の感情と向き合うことを避けようとしていることを、まずしっかりと認識する必要があります。(『アレキシサイミアと回避を支える理由づけの文脈』参照)
「吐かないとこうなる」「撃沈」「暴走」「絶讃増量中!!!」「半端ない腹部膨満感」「太ることを受け入れる」などの記事は、Akoさんが非嘔吐・非過食に取り組んだときの揺れ動く心と身体の状態について書かれていました。(現在はAkoさんのブログは閉鎖されています)
結局Akoさんの体重はどうなったかというと、非嘔吐・非過食による水分貯留によって一時的に増えた体重は、3食きちんと摂取することによって徐々に減少していきました。
(『嘔吐をやめると体重はどうなるのか』も参照してくださいね)
身体に摂取したエネルギーが嘔吐で失われなくなり、身体も規則的な3度の食事によるエネルギーの補給があることを理解するようになります。
そして、何が何でもたくさん食べてしてしまう飢餓大食の要素が減ってくると、向き合うべきダラダラ食いや大食、あるいは過食のスイッチを入れるのは「心の揺れ(HALT)」であることがわかるようになります。
こう考えてみてください。
蚊に刺されたところを掻くとますます痒くなります。掻いても痒みが止まるわけではなく、掻き続けていていると、出血したり傷になったりしますよね。痒みを止めるための掻くという行動が逆に痒みを強めてしまうだけで亡く、皮膚も痛めてしまっているわけです。
体重を減らそうと思って自己誘発嘔吐をすると、ますます過食を誘発しやすくなってしまいます。自己誘発嘔吐という行動が、過食を止められなくするだけでなく、身体も痛めつけてしまっているのです。
自己誘発嘔吐をやめることは、ジェニーさんの言う「回復するための選択(自分の健康を守るための賢明な選択)」に取り組み、その結果を引き受けることを意味するのですよね。
院長