トラウマ体験とフラッシュバックと解離
強い情動を伴う記憶として学習される、重大な災害や事故、暴行や戦闘、テロ、性暴力、虐待などのような圧倒的な体験によって、体験直後には一過性の正常反応として、抑うつ気分や不眠、不安が生じることが多いことが知られています。(正常の急性ストレス反応)
一方、トラウマ体験後にPTSDの三徴に加えて、感情の変化、対人関係の変化、解離症状が1ヶ月未満持続しているものは「急性ストレス障害(Acute Stress Disorder:ASD)」であり、解離症状がPTSD三徴に含まれ1ヶ月以上持続しているものが「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断されます。(ICD-11では「急性ストレス障害」が削除されました。)
連日報道されている「ジャニーズ事務所元社長による性加害事件」について、日本トラウマティック・ストレス学会から声明がだされました。
声明ではPTSDについて言及されていますが、性被害ではPTSDに加えて「解離」症状も多く見られます。
「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」や「複雑性PTSD」、あるいは、「発達性トラウマ障害」による、侵入的記憶想起、悪夢、再体験症状など、解離性フラッシュバックに対する治療として、桂枝加芍薬湯と四物湯の組み合わせである神田橋処方が有名です。
こころの健康クリニック芝大門では、神田橋処方の変法、および東北大学から発表された柴胡桂枝乾姜湯の頓服を使うことが多いです。
サイコロジカル・ファーストエイドの補助として、正常の急性ストレス反応の段階で神田橋処方(変法)+柴胡桂枝乾姜湯とともに、呼吸法やグラウンディングなどの内的・外的リソースをサポートしておくと、「急性ストレス障害」から「PTSD」への進展発症を防ぐことができることを何度も経験しました。
解離のメカニズムと解離しないメカニズム
上記のような急性ストレス反応を引き起こすような出来事は、解離の土台になります。
心理的防衛としての解離は、重大な災害や事故など、生命に危害が及ぶような事態に突然遭遇すると引き起こされるが、それは耐えがたい喪失体験の場合でも同様である。
(中略)
こころが緊急停止し、表面的な行動は自動操縦モードに切り替わったのである。しかし、それはこの状況では適応的な反応、つまり最善の行動選択と言えるのではなかろうか。
(中略)
そうした自己が徹底的に打ちのめされる体験をひとたびこうむると、自己を防衛しようとする過剰な警戒態勢が生物学的次元より発動し、トラウマの再体験の予兆がわずかでもあれば、その状況から心理的にも社会的にも撤退する可能性がある。
しかも、そうした状態が長時間続くようであれば(続けざるを得ないのであれば)解離はもはや適応的な方略とはいえなくなるだろう。
王、黒木「解離って何だろう?―こころのパラレルワールドの謎」こころの科学 221: 16-21, 2021.
このように、解離は圧倒的な体験(トラウマ体験)に対する、一時的な緊急措置(自動操縦モード)のような役割を果たします。
現代の解離症研究の礎石を築き、PTSDの病理における解離の役割を明らかにしたアメリカの精神科医、フランク・パトナムは、「解離は、臨床群のみならず、一般の健康人にもみられる広がりのある心理現象」であることを明らかにしました。(王、黒木「解離って何だろう?―こころのパラレルワールドの謎」こころの科学 221: 16-21, 2021.)
よく「辛さは時間の経過が癒してくれる」といわれるが、時の癒しを享受するには、こころが解離していないことが条件となる。
(例えば)6歳時に被害に遭ったものの、単一の人格のまま解離せずに36歳まで成長した場合、人生の時間軸上の被害体験から現在までの間には、30年という時間的距離が生じることとなる。すると、振り返るときには、30年前の思い出として、単なるセピア色の写真を見返るように安全に回想できる。
ほかにも、物事を迷わずに即決できることや、ストレス耐性が高い(打たれ強い、くよくよ引きずらない)ことなども、人格が単一であることの長所としてあげられよう。
新谷. 解離という文脈、USPTというセラピー. Interactional Mind. 13: 69-87. 2020
新谷先生は『第二次構造的解離としての複雑性PTSD』という論文で、解離構造について図を示して説明されていますので、参照してみてくださいね。
正常な解離
パトナムによると「解離は圧倒的な体験に対する一時的な緊急措置(自動操縦モード)」で、「私たちの意識と記憶が切り離され、区画化された領域間の相互のつながりが一時的に停止する状態である。私たちのこころが多次元宇宙と化し、複数のパラレルワールドが出現する」状態である、と考えられています。(王、黒木「解離って何だろう?―こころのパラレルワールドの謎」こころの科学 221: 16-21, 2021.)
「正常な解離では、一瞬でパラレルワールド感の相互移動が可能になる、すなわち、統合した状態に戻ることができる」とされており、この状態が「辛さは時間の経過が癒してくれる」体験につながるようです。(王、黒木「解離って何だろう?―こころのパラレルワールドの謎」こころの科学 221: 16-21, 2021.)
ここで「正常な解離」とはどのような状態なのか?を見ておきましょう。
正常な解離
- 人の話を聞いていて、今しがた言われたことを聞いていなかったことがある。
- もう一度体験していると感じられるほど、以前の出来事を鮮明に思い出すことがある。
- 自分の覚えていることが、現実に起こったことなのか、それとも、ただ夢に見ただけなのかよくわからないことがある。
- テレビや映画を観ていて、周囲で起こっている出来事に気づかないほど没頭していることがある。
- あることを実際にしたのか、それともしようと思っただけなのか、よく思い出せないことがある。
- 気がつかないうちに、何かをしていたというようなことがある。
王、黒木「解離って何だろう?―こころのパラレルワールドの謎」こころの科学 221: 16-21, 2021.
上記のリストをみると、正常な解離は、「心ここにあらず」を引き起こす背景に、別のことに対する「過集中」の状態が隠れているようです。
さらに、「もう一度体験していると感じられるほど、以前の出来事を鮮明に思い出すことがある」のような再体験症状に似た状態も正常とされています。
単純化すると、再体験症状に似た記憶想起(俗にいうフラッシュバック)は、病的なものではなく正常の解離だ、ということに驚きませんか?
外傷性記憶は実体的な記憶内容が反復して想起されるという現象ではない。
この記憶は、生存に関わる危機について、言語的処理をされない、扁桃体の興奮を介しての情動記憶の再生という個体の生存のための反応と、主観的な危機感の減弱のために自己意識の一部を切り離す解離という矛盾する反応が拮抗したものである。
その結果、記憶の内容についても明瞭度についても、また想起の容易さについても、種々の程度が浮動性に混在し、記憶が断片化されている。
金、栗山. 外傷記憶と解離. 精神科治療学 22(4): 395-399. 2007
パトナムによると「正常な解離は、注意を二つ以上の意識の流れに分割できる能力であり、複数の精神的な活動を並行して行うことを可能にするというメリットがあるだろう」と考察しています。
「注意を二つ以上の意識の流れに分割できる」ということは、「いまだ外傷的であり続ける記憶」に対して記憶想起の抑制と記憶の断片化という機序を用いて、「外傷が過去にあったことについての記憶」に変容させていく心の働きなのかもしれませんね。
院長