発達性トラウマ障害と解離の舞台裏
確かにトラウマ体験に該当する出来事を体験したものの、時間の経過にともなって再体験症状・過覚醒症状・回避症状など「PTSDの三徴」が減退し、「認知や気分のネガティブな変化(自己や他人に対する否定的な認識や感情の萎縮、ひきこもり、など)」だけが残っている人がいらっしゃいます。
DSM-5でいう「認知や気分のネガティブな変化」は、感情調節不全・否定的な自己信念・対人関係の障害など、複雑性PTSDの「自己組織化の障害」と共通点があります。
発達性トラウマ障害のPTSD症状
「発達性トラウマ障害」では、トラウマ関連症状(PTSD三徴のうち2つ以上)と、注意と行動の調節障害(ADHD様症状)に加えて、感情および身体の調節障害、自己調節障害、対人関係における調節障害などの自己組織化の障害と共通する症状クラスターが特徴とされます。
「発達性トラウマ障害」では、学童期に過覚醒症状(苛立ち、怒りっぽさ、自傷、感覚過敏、集中困難、不眠)などの「注意と行動の調節障害(ADHD様症状)」が目立つようになり、生来的なASD/ADHD特性と区別がつかなくなるといわれます。
脱線しますが、診断閾ASD、あるいは、閾値下ではあるものの濃いグレーゾーンの自閉スペクトラム特性(AS特性)の方は、なぜかADHDと告知されていることが多いようです。
これについては、自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠如多動症(ADHD)は、ともに「注意の切り替え障害」を主徴とすることから、薬物療法が可能なADHDと診断される傾向があることが指摘されています。
ASD/ADHDのコミュニケーション障害の中核は、注意の障害にある。「自閉症の」認知的特徴の上に展開されるパターンではなく、注意の維持機能に中核的障害があり、そのために、逆にある事柄に注意がロックされた場合、柔軟に切り替えることが難しい。その結果、典型的には二つの処理が同時にできないという症状を共通に有することになる。
時間的な見通しの苦手さや、空間的な認識の障害も、この注意の障害から生じている。衝動性の問題も、行動のみに注意が振り向けられ、他の情動処理が止まった状態になると考えられる。
この注意の障害によって生じる非社会的行動に注目すればASDとなり、衝動性に注目すればADHDになる。杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房
ASD/ADHDは注意の障害がその中心である。この注意の障害の中核は、注意の転導性ではなく、臨床的な視点からみる限り注意のロック機能(sustained attention)の障害と考えられる。
注意の固定が困難で、さらに固定をした時に今度はそれを外すのが難しいという病理がその中心にある。この両者は同時に起きてくるが、前者が優位のものをADHD、後者が優位のものをASDと呼んでいるに過ぎない。
両者とも二つのことが一緒にできないことが最も基本的な臨床上の困難になってくる。ASD/ADHDのパースペクティブの障害も、実はこの二つのことが一緒にできないことから生じる。一つのことがらに注意が向けられていると、時間的、空間的な他の情報が入らなくなってしまうのである。
杉山. 発達障害の「併存症」. そだちの科学(35); 13-20. 2020.
上記を読むと、注意の固定が困難で衝動性が目立つものがADHDで、ロックオン状態を解除するのが難しく非社会的行動が目立つものがASDであり、ASDもADHDも注意の障害が中核病理であり、コミュニケーションやマルチタスクが困難という共通の障害を持つことがわかると思います。
「発達性トラウマ障害」は、その語感から[幼少期に虐待の既往のある発達障害]、と誤解されている人も多いように思います。
診断閾の自閉スペクトラム症(ASD)や、閾値下の濃いグレーゾーンの自閉スペクトラム特性(AS特性)など、発達障害特性を「発達性トラウマ障害」と呼ぶのではない、ことに注意してくださいね。
「発達性トラウマ障害」では、「PTSDの3つの症候群(再体験症状・回避・麻痺症状、覚醒亢進症状)のうち、2つ以上の症候群について、最低1項目以上に該当する」という診断基準があります。
出来事の反復的・侵入的な苦痛をともなう想起、反復的で苦痛な夢、解離性フラッシュバック、象徴の曝露に伴う心理的苦痛あるいは生理学的反応性のうち1つを満たせば「再体験症状」を満たします。
PTSDの診断基準では、「回避麻痺症状」は7項目中3項目、「覚醒亢進症状」は5項目中2項目を満たすことが必要ですが、「発達性トラウマ障害」ではこれらの2つ以上の症状カテゴリーの中で、1つの症状を満たせばよい、ということです。
さらに「発達性トラウマ障害」の診断基準「B.感情調節および生理的調節の困難」では、B1の感情調節障害、B2身体機能の調節困難、B4感情や身体状態を表現する能力の問題(アレキシサイミアやアレキシソミア:『身体にあらわれる心のストレス』参照)に加えて、B3感情、情緒、身体状態への意識の低下もしくは解離、の4項目のうち少なくとも2つに該当することが挙げられています。
つまり、「発達性トラウマ障害」は、PTSDの症状のいくつかが明らかに認められるものの、PTSDの診断基準に照らし合わせると不全型であるということですよね。
そうすると、ICDやDSMに掲載されている正式な診断名ではない「発達性トラウマ障害」は、【注意と行動の調節障害および解離症状を伴う「不全型の複雑性PTSD」】とも考えられるわけです。
さらに、「発達性トラウマ障害」は、思春期には「認知や気分のネガティブな変化(自己組織化の障害)」が目立つようになり、「解離症状」を伴うようにもなると言われます。
「解離」という、馴染みはあるけれども今ひとつ意味がはっきりしないコトバは、症状だけでなく病名や心理的防衛メカニズムとしても使われますし、多重人格や記憶喪失、あるいは憑依などの現象として、一般の人も見聞きした事があると思います。
解離とはなんだろうか?
かつて解離は、「ヒステリー」「でっちあげ」といったゴシップ記事的見出しに対して無防備かつ無力であった。
特に解離性同一性症(dissociative identity disorder、以下DID、いわゆる多重人格)はいまだに演技か、さもなくば医原性の産物ではないかと誤解されやすい。
家族や周囲からだけでなく、治療者(以下Th)からも疑われて二次受傷を被ることもあれば、患者(以下Cl)本人が「自分がDIDとは信じられない」と思い悩んだりもする。
新谷. 解離という文脈、USPTというセラピー. Interactional Mind. 13: 69-87. 2020
たしかに、小説やドラマなどではたまに目にする「解離性同一性障害(多重人格)」は知っていても、実際にその現場に立ち会うと、一般の人はにわかには信じられないと思います。
その表現型もまた多彩で、心身機能が制御不能に陥る症状(健忘や昏迷、または変換/転換[Conversion]と呼ばれる神経学的症状)とともに、意図せずして意識や行動が著しく変容する症状(同一性の障害や憑依、トランス)もみられる。
意識や人格の統合が一時的に失われるのが狭義の解離現象(遁走、健忘、昏迷、同一性の障害など)である。
一方、心理的問題が神経学的な身体症状に置き換えられることを変換/転換と呼ぶ。
さらに、現実感が失われ、自分が自分自身の思考や感覚、身体から離脱しているようにたびたび感じる状態を離人感・現実感喪失症(Depersonalization-Derealization Disorder)というが、これも解離症に含まれる。
王、黒木「解離って何だろう?―こころのパラレルワールドの謎」こころの科学 221: 16-21, 2021.
解離状態がこのように多彩な表現型や病像を示すことや、さらに解離は催眠とも関連が深いため、演技とみなされたり、偽の記憶と誤解されたり、疾病利得を疑われたりと、精神医学の中でも肩身が狭い状態が続いていました。
こうした解離のメカニズムにより、患者はとりあえず心理的問題に直面することなく不安を回避できる(一次性疾病利得と呼ぶ)とともに、困難な現実に対処しないまま疾病に逃避する傾向(二次性疾病利得)にあると、かつては考えられてきた。
王、黒木「解離って何だろう?―こころのパラレルワールドの謎」こころの科学 221: 16-21, 2021.
解離という適応のための不適応
実際、トラウマや解離についてそれほど詳しく理解していない時期に診ていた患者さんで、上記の病型でいうと、「解離性障害(解離性健忘、転換症、離人感・現実感喪失症)」ではないか?と診断していた患者さんがいらっしゃいました。
この方のお母さまには精神疾患があり入退院を繰り返されていて、患者さんが幼い頃にはお母さんはいないか、いても疎通がとれないか、あるいは感情の爆発による折檻を受けることが繰り返されていたそうです。
この患者さんは思春期頃から、一時的な健忘や離人感などの解離症状を呈するようになり、さまざまなメンタルクリニックや精神科病院を受診され、統合失調症と診断されて抗精神病薬を服薬されていましたが、副作用が強く寝たきりとなったため服薬をやめてしまわれました。
しかし、急に頭が働かなくなる、直前のことを忘れる、意識が途切れることが続き、上司と産業医の勧めで受診に至りました。
残業が増えると帰宅後の母親の介護を終える時間が遅くなり、睡眠時間が減ることで解離症状の悪化につながっているようでしたので、産業医の先生に何度か業務量の調整と残業時間の短縮をお願いしたことがありました。
そのような対処をしても、予約時間を忘れていたなどの理由で、通院予約のドタキャンが続いていました。
そんなある日、患者さんからこう言われました。
「解離じゃなくて、本当は、心の奥にある辛さや苦しさをわかって欲しかったんです!」
私は衝撃を受けました。
解離が生命危機に対する回避だとすると、解離患者は常に危険を警戒しながら生きていることになる。(中略)意識を失ったり、けいれんを起こしたり、攻撃的なパーツや子どもパーツと交代したり。
それはけっして、うまく状況に適応した対処法ではないけれど、本人からすると多少なりとも危機の恐怖を免れることのできる状態なのである。
解離とは「適応のための不適応」なのだ。
野間「解離の治療とは何かー日常的な精神科臨床の現場から」こころの科学 221: 64-73, 2021.
患者さんがほんとうに求めていたのは、「適応のための不適応」を起こさざるを得なかった愛着の問題や、感情を共感してもらえず育ったことなど、助けを求めようにも得られなかった、孤立の中に閉じ込められた状態からの凍りついた悲鳴だったのかもしれない。
そう考えるようになって、トラウマや解離の治療を専門に診ていこうと決心したのです。
院長