発達性トラウマ障害の愛着形成の混乱
福井子どものこころ研究所の杉山先生は、両親のASDやADHDなどの発達障害特性と、さらには親の側の被虐待歴によって、子ども側の愛着形成の混乱を生じやすい、と述べられています。
ヴァン・デア・コークは「発達性トラウマ障害」では、愛着形成の混乱がさまざまな臨床像を変遷して表現されていく「異型連続性」が特徴としています。
うつ病、双極性障害(あるいは双極II型障害)、不安障害、パニック障害、強迫性障害、摂食障害(神経性過食症あるいは多衝動性過食症)、解離性障害、PTSD、適応障害、パーソナリティ障害、薬物やアルコール依存症などなど、医師によって診断する病名が異なりますが、いずれも診断基準を完全に満たすわけではありません。
つまり、咲セリさんと同じような病名がつけられ、その背景にある愛着形成の混乱にともなう「発達性トラウマ障害」がある、と杉山先生やヴァン・デア・コークは述べているのです。
さて、セリさんの場合、背景にある生育歴あるいは両親との関係性はどうだったのでしょうか。
異常なまでの自己否定感の多くは、幼少期の家庭環境——十分な愛情を受け取れなかったことが影響するといわれている。わたしもまさにそうだった。
(中略)
わが家は、エリートサラリーマンの父と専業主婦の母という、ごく一般的な——いや、はたから見れば、普通より少し恵まれた家庭にうつったかもしれない。
だけど、その内側では、いつ天災が起きるかわからないような張りつめた空気がいつも充満していた。
父はつねに私に厳しかった。私がテストで99点を取り見せると、「なぜ100点じゃないのか」と怒鳴られた。そして、100点を取り、今度こそ褒めてもらえると駆けつけても、「100点なんて当たり前だ」と吐き捨てられる。潔癖症気味なところもあり、私が箸をつけた食べ物は「もう食えん」と突き返した。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
ここから読み取れる限りにおいて、あくまでも想像ですが、エリートサラリーマンの父はもしかするとアスペルガー症候群と呼ばれる特性があったのではないか、と疑われます。
エリートサラリーマンの父は、常時フィードバックを必要とする双方向性のコミュニケーションが苦手らしいく、加えて、全か無か思考のような極端な思考パターンを持ち、潔癖症気味と書かれているように自我違和感に乏しい強迫症状があるように思えます。
さらに、何がきっかけで怒り出すかわからない人だった。特にお酒を飲むと豹変し、さっきまで笑っていたかと思ったら、人が変わったように激高した。
私が気に障ることをしたら、いや、何もしていなくても、「できそこない」「本当に俺の子か」と、持ち出せる限りの私の欠点をあげつらい、大声で私を罵った。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
セリさんの父親に見られるような「瞬間湯沸かし器」タイプの感情の暴発は、ADHDの特性である衝動・情動コントロールの障害としても見られますし、自閉症あるいは自閉症スペクトラム障害(ASD)の「癇癪(かんしゃく)」として考えることもできます。
また、父親自身が持つ被虐待体験後の「感情調節障害」という「自己組織化の障害」の1つとして考えることもできます。
さらに、他者を見下すことで自己の優位性を誇張するのは、傷つきやすい未熟な自己を保護するための自己愛性パーソナリティがあるようにも思えます。
父が怒鳴り出すと、どれだけ理不尽なことだったとしても、母は貝のように口を閉ざして嵐が過ぎ去るのを待つか、泣いて謝った。そうすることが、父の怒りが少しでも早く通り過ぎるすべだと、母は思っていたのだろう。
だけど私にとっては、かばってもらえないということは、父の罵声を「正しい」と認めることと同じだった。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
母親はどうなのでしょう。
貝のように押し黙るのは、母自身もASD特性を持っていて「選択的緘黙(場面緘黙)」を起こしているとも、「学習性無力による抑うつ的」になっているとも、考えられます。
「かばってもらえないということは、父の罵声を「正しい」と認めることと同じだった」と、父が怒鳴る瞬間は、母からはネグレクトに似た対応をされた、とセリさんは感じていらっしゃったようですね。
余談ですが、患者さんの中には「怒らないようにしたい」とおっしゃる方がいらっしゃいます。「それは、自然な感情を感じないでいられるようになりたいということですか?」と冗談めかして尋ねることがあります。
多くの患者さんはそこで気づいてくださるのですが、中には「自然な感情を感じなくなりたいわけではなく、怒りを何とかしたいんです」と食い下がってこられる患者さんもいらっしゃいます。
「怒りは自分の期待と現実が違っているサインです。現実を変えることは大変ですから、怒りを何とかするには自分の期待を変えるしかなさそうですよ」「それに、関係を修復するスキルを身につけておけば、相手に怒ってしまったとしても、禍根を残しにくいと思いますがいかがですか?」と問いかけると、ようやくわかってくださることが多いようです。
セリさんの母もまた、感情調節の失調や否定的自己概念などがありそうですから、母親自身にも被虐待歴があるのかもしれません。
知的な遅れがない、いわゆる高機能ASD児の父親において、しばしばいわゆる広汎な自閉症発現型(broad autism phenotype:BAP)が認められることに関しては、以前から指摘されてきた。BAPというよりもASDと診断できる父親も経験される。この場合、それが必ずしも子ども虐待に直結するわけではない。
ところが、母親の側にBAPあるいはASDが認められた症例の場合、子育ての問題に結びつきやすい。
この理由を考えてみると、そもそも夫婦どちらかが未診断の発達障害・発達凸凹の場合に、その配偶者もまた少なくとも発達凸凹を抱えている場合が多い。
これはやはり類似した認知特性をもつ者同士が惹かれ合うからなのではないかと考えられる。
このようなカップルに生まれる子どもに発達障害が生じやすいという生物学的な要因のみならず、主たる養育者となる母親の側のASD特性、あるいはADHD特性の存在が、子ども側の愛着形成の混乱を生じやすいからであると考えられた。
杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房
「カサンドラ症候群」では、妻もまた夫とサブタイプの異なる自閉症スペクトラム障害が疑われる(例えば、夫は受動型や孤立型で妻が積極奇異型など)こともよく知られていますよね。
ASD特性をお持ちの患者さんから交際相手あるいはパートナーとの関係をお聞きするたび、「類似した認知特性(発達障害特性)をもつ者同士が惹かれ合う」ということは、ほぼ事実なのだろうと思われます。
また、発達障害特性を持った両親の「子どもに発達障害が生じやすい」ということは、発達障害の遺伝負因が70〜80%に達するというデータからも明らかです。
さらに、子ども側にもASDあるいはADHD特性がある「母親の側のASD特性、あるいはADHD特性の存在が、子ども側の愛着形成の混乱を生じやすい」、ということです。
このことが、ASDあるいはADHDのような発達障害特性とトラウマが、ニワトリとタマゴのような関係になる要因となっているようです。
そのため、子どものトラウマ体験に対するメンタライジング的な手当てが遅れてしまい、愛着形成が混乱し、発達性トラウマ障害のリスクファクターになっていくのではないでしょうか。
複雑性PTSD、発達性トラウマ障害など、愛着関連のトラウマや愛着の問題、発達障害との関係についての一般向けの書籍は『発達障がいとトラウマ』を参照してくださいね。
院長