「複雑性PTSD」「愛着トラウマ」と情緒応答性
こころの健康クリニック芝大門で「複雑性PTSD」あるいは「愛着トラウマ」と診断した人の多くが、初診の面接の後、あるいは再診のときに、「スッキリした」「心が楽になった」とおっしゃいます。
これは何が起きているのでしょうか?
『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』の著者である崔先生は、第1回日本メンタライゼーション研究会学術集会での発表で、幼少期に受けた虐待、過度な支配や自主性の制限、愛着関係の剥奪など、外傷的な養育体験(愛着トラウマ)とその影響を「外傷的育ちスペクトラム」とまとめられていました。(図は崔先生の許可を得て引用しています)
「外傷的育ちスペクトラム」は、「アダルトチルドレン」「境界性パーソナリティ障害」「複雑性PTSD」だけでなく、「嗜癖」「虐待・DV・加害」「摂食障害」「うつ病の一部」「解離性障害」の背景にあり、これらの疾患にひそむ「生きづらさ」の本体の一つが「メンタライゼーションの発達不全」であると述べられていました。(『「神経症性抑うつ」と「性格と間違われやすい気分変調症」』参照)
メンタライジングと併行して使用されてきた「メンタライゼーション」という言葉がありますが、これは、メンタライジングが達成されるプロセスや達成された状態、その結果としてのメンタライジング能力などを指していると考えればよいでしょう。
これに対して、「メンタライジング」は、自己と他者の精神状態をメンタライズする個々の心的行為を指します。
上地『メンタライジング・アプローチ入門〜愛着理論を生かす心理療法』北大路書房
「メンタライジング」とは、「メンタライズ(〜に心的意味を付与する;〜を心的に洗練させる)」という動詞の動名詞であり、フォナギーとベイトマンによると『自己と他者の行動を、その背後にある心理状態という面から理解し、解釈すること(およびその能力)』と定義されています。(アレン『愛着関係とメンタライジングによるトラウマ治療』北大路書房)
メンタライジング、あるいはメンタライゼーションは、愛着機能(アタッチメント)と密接な関係があります。
フォナギーは「恐れ、おびえ、不安のようなネガティブな感情を、子どもに耐えられる形にやわらげ、適切に照らし返すこと」「照らし返を通じて、子どもが、自分および他者の心の状態を理解する能力を発達させることができるように応援すること」、つまりメンタライジング能力の発達を愛着機能と考えています。
アメリカの精神分析学者であるアラン・ショアは、母親(養育者)と乳児の間での「右脳間でのコミュニケーション(情動調律)」が乳児の健康な脳の発達を支えると述べています。
養育者との間での情緒的なシンクロナイズ(調律された応答性)が起きないと、トラウマと呼ぶことはできないまでも、将来トラウマを受けやすい情緒安定性の成立の妨げになるとされています。
岡野先生は、第23回広島大学心理臨床セミナーでこう述べられています。
トラウマとは、性的、身体的虐待だけではなく、実に様々なものがあります。その中でもとりわけ注目するべき第一点は、幼少期に不可避的に起きた可能性のある、しばしば加害者が特定不能なトラウマ、特に「自分は望まれてこの世に生まれたのではなかった」というメッセージを受け取るということです。
トラウマはあからさまな児童虐待以外の状況でも生じる母子間の一種のミスコミュニケーションであり、ミスマッチである可能性があります。そこにはもちろん親の側の加害性だけではなく、子供の側の敏感さや脆弱性も考えに入れなくてはならないのです。
広島大学大学院心理身障研究センター紀要15, 2016
「無秩序/無方向型あるいは混乱型」のアタッチメントは、『一般人口での安全型以外の不安定な愛着パターンの頻度は40%と高く、病的な養育環境で多い無秩序/無方向型も15%にみられる。その大多数は特定の対象(註:養育者)に限定され、反応性愛着障害の診断には至らない』(『ICD-10精神科診断ガイドブック』)とされています。
「無秩序/無方向型あるいは混乱型」のアタッチメントは、ミスコミュニケーションとしての情緒応答性(右脳間でのコミュニケーション)の失敗、つまり養育者のメンタライジング能力の障害が、トラウマとは言えないトラウマを引き起こすと説明されていますよね。
縦断研究の結果は、通常のアタッチメント関係における情緒応答性の低下よりも、(中略)母親の情動コミュニケーションの障害、そのなかでも闘争/逃走的養育行動よりも親の引きこもり[註:a.物理的に距離をとる(腕をまっすぐ伸ばして抱くなど)、b.言語的距離感(分離の後でもあいさつしないなど)]や、役割混乱[c.役割の逆転(子どもに慰めを求めるなど)、d.性化行動(ひそかで親密なトーンで話しかけるなど)]により乳児の覚醒水準や情動制御がなされないままに置かれることの影響がもっとも深刻かつ長期にわたることを示した。
山下洋. 小児期のアタッチメント/トラウマと成人期の対人関係. 精神科治療学 33(4):410-427, 2018(註挿入は筆者)
養育者のメンタライジング能力の障害(ミスコミュニケーション)は、虐待・ネグレクトや不適切な施設養育など「複雑性PTSD」や「反応性愛着障害」の誘因となる「持続性の、逃げるのが困難なストレス体験(複雑性トラウマ)」とは別次元のストレス体験、あるいはトラウマ体験となるということです。
広い意味でこれは「愛着関係におけるトラウマ(愛着トラウマ)」と呼ばれ、養育者側の問題だけでなく子どもの側の敏感さや脆弱性によって、子どもの愛着は「無秩序/無方向型あるいは混乱型」を内包することになり、メンタライジング能力の障害を引き起こします。
未統合のアタッチメントを示す子どもの親の多くが、それに対応する成人アタッチメント面接における未解決型というパターンを示すが、語られるアタッチメント表象の内容は、家族との情緒的体験の否認、忘却、歪曲が多く、語り方の飛躍の多さやまとまりのなさ、主語の曖昧さなどで特徴づけられる。
時にはインタビューの中で過去が現実そのものとなったような、物語としては完結しない苦痛な出来事の再体験が生じる。
このような母親との面接中に体験するあてどなく漂流するような、あるいはジェットコースターのようなまとまりのなさの感覚は、まさに心的外傷の症状に類似している。
山下洋. 小児期のアタッチメント/トラウマと成人期の対人関係. 精神科治療学33(4):410-427, 2018
当然のことながら、養育者の側にも「無秩序/無方向型あるいは混乱型」のアタッチメントスタイルがあるため、「愛着の世代間伝達」が生じる可能性があるのです。(生野. 愛着の世代間伝達. 精神科 33(4), 305-310, 2018)
このような「関係トラウマ」の苦痛を和らげるのが、治療者が行う「共鳴(心理的波長合わせ)、内省、ミラーリング(照らし返し)」という応答です。冒頭に述べた「スッキリした」「心が楽になった」の言葉は、治療者の応答によって情動調整が行われたということでもあるのでしょう。
このようなやり取りを通して、メンタライジング能力が発達していき、患者さんは自らの情動調節ができるようになっていくのです。
院長
お知らせ
2021年4月から毎週土曜日に診療を行うこととなりました。診療時間についても、10時~13時半、14時半~16時半と変更になります。
土曜日の初診のご案内も行ってまいりますので、お電話やメールフォームからお申込みください。