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道のりは険しい?

[2020.10.30]

生野院長のブログ「聴診記」の「摂食障害(エド)とのお別れの先にある人生」という記事の中で、

摂食障害からの回復に向かう心の準備がまだ十分にできていない《熟考期》には、「本当に回復できるのだろうか?」「何回、あるいは、何ヶ月通院すれば治るのだろうか?」と考えてしまいますよね。

 しかし、このように考えたとしても「回復までの道のりはなかなか大変そうだ」と思い至り、モチベーションは上がるどころか下がってしまい、また摂食障害思考(エド)の言いなりになることを繰り返してしまいますよね。

と書かれています。

 

私自身も実行期に移るまでにはとても長い熟考期を経たことからも、摂食障害の治療は多くの患者さんにとって「とても登頂などできるはずもない高くて険しい山」のように感じられるのではないでしょうか。

私も治療を始める前はもとより、治療を開始してからも幾度となく「私は治るんだろうか」と不安になりました。けれど、そのたびに思い出したことは「治るのかどうかではなく治りたいかどうかですよ」という生野先生の言葉と、私の中にある「こうなりたい」という回復した時の自分の姿でした。

 

そうは言っても、回復の道のりは決して平坦ではありませんでした。けれどだからと言って、何か歯を食いしばって「頑張る」とか「耐える」とか「我慢する」、ということとは少し違っていたような気がします。今日はこのことを皆さんにお伝えしたいと思います。

 

他の患者さんが回復までにどのくらいの時間を要したのかは分かりませんが、おそらく私が回復までにかかった年月は決して短かったとは言えないでしょう。けれどもその間、一度も治療(通院)を休んだことはありませんでした。それはなぜでしょうか。

 

治療の中で繰り返し取り組んでいくのは、「どんなときに、どんなことを考えて、どんな気持ちになったのか」を丁寧に振り返ることです。それは私自身が、それまでほとんど気にもかけず経験してこなかったことでした。

 

けれども、今まで自分自身さえ顧みなかった自分の心に光が当たり、共感や理解を得て、自分なりのストーリーとして咀嚼するというプロセスは、私にとってとてもありがたい経験でした。

最初は自分が何を考え、どんな気持ちになって症状につながったのかが自分でもよく分かりませんでしたが、分からないからこそ本当に自分は何を感じているのか自分を知りたい、分かりたいと思うようになりました。

さらに生野先生というガイド役の助けを借りることで、少しずつコツをつかんでいったように思います。そして治療を続けていく中で、今は先生というガイド役の力をかりているけれど、いつかはそのガイド役がいなくても自分で歩いていけるようになっていくんだなと理解していきました。

 

私がここまでたどり着くことができたのは、私が特別だったからでもなく、私が強かったからでもありません。私が回復できた理由はただ一つ、諦めなかったということに尽きると思っています。

 

みなさんは一番山が大きく感じるのはいつだと思いますか?それは山のふもとにいるときだと思いませんか?

登ろうと心に決めても、目の前に大きく立ちはだかる山の大きさに圧倒され、私になんかできっこないと山に背を向けそうになるかもしれません。けれども、あなたがそう感じるのはまだ登り始めていないからでもあるのです。あなたが一歩足を踏み出さない限り、現実は何も変わりません。

 

そして、いったん登り始めたら、ゆっくりでも休憩をしてもかまいませんから、決して途中で下山しないでほしいのです。山を登り始めた後も、確かに本当に自分が登頂できるのかどうか何度も不安になることもあると思います。けれどもそんな時こそ自分の歩んできた道のりを振り返り、確かに前進していることを実感してほしいのです。

そしてもう一度自分の足元に目をやって、「こうなりたい」という強い想いとともにまた次の一歩を踏み出してほしいと思います。

 

摂食障害は完全に回復することのできる病気です。そして、あなたが回復できるかどうかはあなたが選べるのです。不安を強く感じるのは、あなたが山に近づいている証拠です。そしていったん山を登り始めたら、落ち着いて一歩ずつ歩みを進めてください。

その時あなたは一人ではありません。ガイドとともにあなたが自分の足で歩き続けることが、何よりも大切なことなのです。

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