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過食症の対人関係療法での問題領域の考え方

[2015.08.24]

水島先生は『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』の中で

なお、摂食障害に対する実際の治療でもっとも多く出会うのは「対人関係上の役割をめぐる不和」、次に多いのが「役割の変化」です。
残りの二つはぐっと少なくなりますので、ここでは省略します。
水島広子『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』紀伊國屋書店

と書いておられます。

 

「拒食症/神経性やせ症」では「役割の変化」が治療焦点に選ばれることが多いのですが、これは

日常の時空間で他者から受けた身体への中傷や指摘がダイエットに五人を駆り立てたのである。
しかしその試みを徹底させた結果、彼女たちは食のハビトゥスを失い、ふつうに食べることができなくなってしまった。
日常の時空間でいまよりも心地よくいきたいという思いがその時空間から自らを排除し、さらなる孤独を生みだしたのである。
磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社

「それまでのやり方が通用しなくなった状態」に対して「役割の変化」という問題領域を適応し、スキルを身につけ変化に適応することを目的とするからなのです。

 

発症して間もない「拒食症/神経性やせ症」だけでなく、「過食症」や「むちゃ食い障害」でも文脈によっては「役割の変化」という問題領域が適応されます。

しかし数年経過している「拒食症/神経性やせ症」や「過食症」「むちゃ食い障害」では「それまでのやり方が通用しなくなった状態」ではなく、食行動異常を維持させている因子をみていくのです。

 

対人関係療法の初心者の中には、「拒食症」イコール「役割の変化」「過食症」イコール「対人関係上の役割をめぐる不和」とパッケージ治療を行ってしまう人もいるのです。

ですから、対人関係療法と称する治療を受けていてもいまひとつ効果がみられないと感じられる場合は、治療者と一緒に問題領域や治療目標を見直してみるか、三田こころの健康クリニックでセカンドオピニオンを受けてみてくださいね。

 

さて話を戻して、水島先生が書かれているように

摂食障害に対する対人関係療法では、摂食障害を「維持」している対人関係の問題を扱います。
第1章で述べたとおり、「やせたい気持ち」を抱くことが病的なのではなく「やせたい気持ち」にしがみついて「やせたい病気」に至り、その状態が維持されることが病的なのです。
水島広子『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』紀伊國屋書店

「やせたい気持ち」にしがみついて」の部分が問題で、発達障害(自閉症スペクトラム)を背景にもつ常同行為やこだわり、あるいは「強迫観念」や「強迫行為」が含まれていることもあるのです。

これらは対人関係療法の適応にはならないのですが、詳細な診断ができない医療機関では、過食症と安易に診断し対人関係療法を導入しようとして、なかなか治療がうまくいかないということも起こっていますし、そのような方たちが三田こころの健康クリニックを受診されることもあるのです。

 

ですから、詳細な診断(および併存疾患の診断と鑑別診断)とともに、この人にはどのような治療が向いているか、という「鑑別治療学」の観点が必要なのです。(『摂食障害と強迫性障害の関係』参照)

摂食障害に対人関係療法を適応する場合には、「「やせたい気持ち」にしがみつく」という選択が
・他者の思惑に合わせた生き方、あるいは
・他者の意味づけに従属した食行動
など、「対人関係的な文脈」があるかどうかを考える必要がありますよね。

 

彼女たちが食べ方を変えたそもそものきっかけは、人と人とのつながりをより快適なものに修正することだったのである。
しかしそれは結果的に、孤立という彼女たちがもっとも望まない方向に彼女たちを誘導することとなった。
日常の食を反転させるという形で行われる過食は、フローを引き起こし、それは彼女たちが不安と心配事がうずまく日常を乗り切るための術として定着した。
しかし、そのフローは誰とも共有することができない。過食は続ければ続けるほど孤立を生む、悲しい祝祭なのである。
磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社

摂食障害、とくに過食を「人と人とのつながりの回復の手段」とみると、摂食障害を維持している因子が、対人関係文脈にあることがわかりますし、だからこそ、「過食症」や「むちゃ食い障害」の対人関係療法では、過食という症状に頼らずに人と人とのつながりを感じられるようになる、という部分を治療目標として考えていくのですよね。

院長

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