複雑性PTSDの治療の実際
こころの健康クリニック芝大門にPTSDや複雑性PTSDの治療を申し込まれる方のほとんどが、「カウンセリングはやってますか?」と聞かれます。
「薬物療法が主でカウンセリングはやっていません」とお答えすると、半分くらいの方は、「やっていないんですか……」と、多少ガッカリしたような声色に変わります。
では、こころの健康クリニック芝大門では、トラウマ関連障害に対してどのような治療を行っているのでしょうか。
『トラウマ関連疾患に対する社会リズム療法』や『トラウマ関連障害の治療〜再体験症状(フラッシュバックと悪夢)』で解説したように、フラッシュバックに焦点を当てた薬物療法に加え、生活リズムを整えながら、対人関係上の出来事と感情との関係に焦点を当て、どのような日常生活を過ごせばいいか、感情や対人関係との向き合い方について、トラウマ関連障害の心理教育(トラウマインフォームドケア)にもとづく短時間(10分間)の精神療法を行っているのです。
トラウマ関連疾患に対する社会リズム療法
トラウマ関連障害の治療〜再体験症状(フラッシュバックと悪夢)
そうはいっても、「いかがですか?」「じゃあ同じ薬を出しておきますね」という通常のメンタルクリニックの超短時間3分診療しかご存じない人にとっては、イメージが湧かないですよね。
年末ということもあり読み物として、個人が特定できないよう複数のケースを合わせ、また細部は変更した仮想ケースを提示し、こころの健康クリニック芝大門での複雑性PTSDの治療を再現してみたいと思います。
30代前半の女性の仮想ケースです。
幼少期に父親の借金のために一家離散し、小学校中学年の頃から親戚に預けられ育てられました。
叔母からは殴る蹴るの体罰を受け、着る物はすべて従姉妹のお下がりで、自分だけ残り物の冷たいご飯を食べさせられたり、手伝いをしなかった罰として食事を与えられなかったこともあるそうです。
中学、高校ではいじめに遭い、学校にも家にも居場所がなかったと言います。
大学進学のために上京し一人暮らしを始めました。学費や生活費は出してもらえなかったので、アルバイトで生計を立てていました。
そんな時に性暴力被害に遭い、気持ちの落ち込みを主訴にAクリニックを受診しました。うつ病と診断され、薬物療法を続けられていたそうです。
大学3年頃から、交際相手から身体的暴力による精神的DVを受け続けていたそうです。
そのような矢先に妊娠が発覚し、中絶手術後に自殺未遂を起こし、B病院に医療保護入院しました。そこでは、双極性障害と診断され、退院後も継続して治療を続けていました。
大学卒業後、C社で事務職として就労しました。
夕方からの気分の落ち込み、癇癪、自傷行為のためDクリニックを受診し、双極Ⅱ型障害、境界性パーソナリティ障害と診断されて治療を受けましたが、薬物療法の効果が見られないことからE大学病院を紹介され、反復性うつ病性障害、解離性障害、PTSD、ADHDとして治療を受けていました。
対人恐怖と癇癪発作が改善せず、就労継続が困難となったため休職し、リワーク目的でこころの健康クリニック芝大門に転院してこられました。
こころの健康クリニック芝大門の初診からしばらくして、実はC社の上司は大学生の頃の交際相手と似たタイプで、仕事上のミスを厳しく叱責されたことをきっかけに、フラッシュバックや癇癪の爆発が頻発するようになった、と話してくださいました。
この方には、逆境的小児期体験に加えてPTSDの診断基準Aに該当する「心的外傷的出来事(実際にまたは危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事)」の度重なる曝露がありました。トラウマ関連障害では、このように何度もトラウマの被害者になる傾向がみられます。
また、国際トラウマ質問票(ITQ)で、再体験症状(悪夢を含む侵入的記憶想起)、回避症状、過覚醒症状のPTSDの基準を満たし、感情調節不全、 否定的自己概念、対人関係障害と自己組織化障害(DSO)の基準も満たし、さらに機能障害も伴っていることから、複雑性PTSDと診断し治療を継続しました。
またトラウマ関連障害では診断名が移りかわることがよくみられます。
この仮想ケースでも、反復性うつ病性障害、双極性障害、パニック障害、PTSD、解離性障害、境界性パーソナリティ障害、ADHD、などなど、疾患カテゴリーを横断するさまざまな診断名がつき、多い時では10種類程度の多剤大量投薬を受けていらっしゃいました。
この方は、おそらくC社での上司からの叱責を思い出し、「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」という行為心迫によって、過去のトラウマ的イベントの侵入的記憶想起(フラッシュバック)が誘発されていました。
解離性のフラッシュバックが起きると、興奮し、物を投げたり怒鳴ったり暴れたり、退行が見られ、沈静化すると自責感や希死念慮、精神運動制止を伴う抑うつ状態が2〜3日続き、被刺激性と不安が強くなる急速交代型に似た気分変動も見られました。
これらの症候から双極Ⅱ型障害と診断されたのだと思います。
それだけでなく、抗うつ薬であるミルタザピン、抗不安薬のロフラゼプ酸エチル、ノルアドレナリンを低下させるインチュニブとノルアドレナリンを増加させるアトモキセチンが同時に処方され、病態の混乱に拍車をかけているようでした。
まず、フラッシュバックに対して神田橋処方の変法である使桂枝加竜骨牡蛎湯と十全大補湯を1日3回服用するように処方しました。
また、意識水準を低下させる可能性のあるミルタザピンとロフラゼプ酸エチル、アトモキセチン&インチュニブを少しずつ減量し中止していきました。抗うつ薬と抗不安薬が1種類ずつだったので、4カ月ほどでなんとか減量中止できました。
そうこうするうちに神田橋処方(変法)が功を奏し、解離性フラッシュバックの興奮に対して沈静化目的で処方されていたリスペリドンの使用量が徐々に減ってきました。
しかし今度は逆に、鉛様麻痺・過眠・炭水化物飢餓・対人過敏性などの症状を伴う非定型うつ状態を呈し、寝込むことが増えてきました。
微量の炭酸リチウムとともに、適応外であることを説明し合意を得てごく少量のセルトラリンとブレクスピプラゾールを追加し(『複雑性PTSDと統合失調症様症状』参照)、社会リズム療法を応用して毎回の受診の際に日常の過ごし方を話し合いました。
生活リズムが整ってきたところで、職場復帰支援プログラム(リワーク)を導入しました。
リワークプログラムでは、認知行動療法、メタ認知療法、アクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)、メンタライジングアプローチによる心理社会的治療を継続し、3か月ほどで復職可能レベル(フルタイム週5日の出勤が1か月続けられる状態で、疲れも翌日には回復する)に達しました。
トラウマ記憶の誘因となった上司がいるため、C社へ復職はせずD社に転職することになりました。
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最近は、漢方薬(神田橋処方変法)の就寝前服用と、対人不安が強くなった時だけブレクスピプラゾール0.25mgの頓服の処方を続けていました。
漢方薬を飲み忘れても悪夢をみることやフラッシュバックは起きなくなり、ブレクスピプラゾールはほとんど使わず、生活リズムも乱れることなく元気に働いていらっしゃいます。
こころの健康クリニック芝大門での治療開始から約1年。
圧倒される様な症状を生き延びてこられたこの患者さんは、約10数年にもわたる精神科通院に終止符を打ち、ようやく穏やかな刻を過ごすことができるようになり、近々治療を卒業される予定です。
こころの健康クリニック芝大門で行っているトラウマ関連障害、とくに複雑性PTSDの治療はどのようにおこなっていて、患者さんがどんな風に回復していかれるのか、イメージを掴んでいただければ幸いです。
院長