「複雑性PTSD」と「気分変調症」の不安と抑うつ
トラウマという言葉は日常用語になっていて、「○○がトラウマになった」とか「子どもの頃のトラウマで…」のように、ショックを受けた出来事(体験)やショックそのもの(衝撃)、それによる現在の影響(反応)を指す場合があるようです。
ストレスも同じように日常語として使われており、「上司がストレスなので胃が痛い」のように、ストレス反応を引き起こすストレッサー(出来事や人)とストレス反応など、一連の現象を包括的にとらえて区別せずに用いることが多いですよね。
ある出来事が、いくつかの条件のもとにトラウマ(心的外傷)となり、トラウマ反応を生み出す。
その一つに、①PTSD(心的外傷後ストレス障害)があるが、②それには収まらないより重いもの(複雑性PTSDなど)や、③より軽いもの(さまざまな人生のつらい出来事や理不尽な出来事に対する反応)がある。
①と②は病気であるが、③は「苦しみ」ではあるが病気ではない(あえて診断をつけるとなれば適応障害となるだろうか。閾値下PTSD)。
もちろん、PTSDの再体験・フラッシュバック、回避、過覚醒などに加えて、人格というその人の核に影響を与え、対人関係や感情の不安定などをもたらす複雑性PTSDが、より深刻なものであるのはいうまでもない。
青木、村上、鷲田、編『大人のトラウマを診るということ——こころの病の背景にある傷みに気づく』医学書院
「拷問、奴隷制、大虐殺、長期間にわたる家庭内暴力、反復的な小児期の性的または身体的虐待などを含む、逃れることが難しいか不可能と感じられる、極度に脅威的または恐ろしい出来事への一回または複数回の曝露」によって引き起こされる「複雑性PTSD」は、PTSDより深刻と説明されていますね。
一方では「複雑性PTSD」の診断名を、日常用語的に使用される先生もいらっしゃるようです。
ある患者さんは小学生の頃の失恋を「複雑性PTSD」と診断されていました。また別の患者さんは、何度も大学入試に落ちたことを「複雑性PTSD」と診断されていて、驚愕したこともあります。
このような体験は上記引用の③に相当する、いわゆる適応不全であるものの、トラウマ関連障害とはいえないわけです。
失恋や大学入試に落ちたことが複雑性PTSDに相当するようなトラウマ反応を起こしたのだとすれば、「受け手の感受性、脆弱性(vulnerability)や回復力(resilience)」に何らかの問題があったのではないか、と考える必要があるのです。
抑うつ状態が一定の期間(数か月〜1年)のうちに回復してこない場合には、抑うつ症状の背景にトラウマ症状が潜んでいないかと考えてみたい。
例えば、意欲低下が遷延しているように見える症状の背景に、トラウマ反応による回避症状が潜んでいることがある。回避症状が意欲低下を持続・継続させているのである。
(中略)
慢性の不安抑うつ状態では、日常生活の中で何かが刺激となり、その度に過去のつらい出来事が不安抑うつを持続させている場合もある。
青木、村上、鷲田、編『大人のトラウマを診るということ——こころの病の背景にある傷みに気づく』医学書院
慢性の抑うつ状態を呈する「気分変調症(持続性抑うつ障害)」や「混合性不安抑うつ障害」では、うつ病や不安障害の診断基準をみたさない程度の軽い抑うつと不安を認めます。
DSM-5では、抑うつ障害群、双極性障害および関連疾患群(気分循環性障害を含む)では、「不安性の苦痛を伴う」として特記されることになっています。しかし、気分変調症の一般向けの本では、不安のことは一切触れられていません。ましてや「自閉症スペクトラムなどの発達障害」との関連については、まったく説明されていませんよね。
「気分変調症はDSM-IIIから取り上げられた比較的新しい概念であり、従来の神経症性抑うつに相当するものとされているが、異種性も多く、わが国でも十分浸透しているとは言い難い」と、疾患の独立性について言及されている論文もあります。(三木『6.神経症性抑うつないし気分変調症』精神科治療学:27 増刊号, 2012)
ニクレスク(Niculescu)とアキスカル(Akiskal)は、気分変調症を「不安型気分変調症」と「無力型気分変調症」に分類しています。この2つの気分変調症の類型は、思春期うつ病として知られる「気分変調症・中核群」とは異なる特徴をもつようです。
このうち「不安型気分変調症」は、不安定さや自己評価の低さを認め、衝動的で、対人過敏性(評価への過敏性)を特徴とし、薬物依存や過食などの依存症の傾向を認めることが多く、幼少期のトラウマと関連していることもある、とされています。
一方「無力型気分変調症」は、鈍い反応性と自信・気力のなさ・劣等感、アンヘドニア(無快楽症・憂うつ症)を特徴とし、失敗への敏感性や偏った考え方(思い込みやこだわり)を持つとされ、自閉症スペクトラム(ASD)との類似性があるようです。
1つの診断という枠に収まらず、不安抑うつ、解離強迫、幻覚妄想、感情や対人関係の不安定、依存・嗜癖・摂食障害などが、混じった多彩な病像になりやすいときにも、トラウマや発達障害が基盤にある可能性を念頭においておきたい。
(中略)
トラウマ反応に気づいたとき、同時に発達障害の特徴はないかと考えてみることは大切である。臨床において、両者を同時に認める例は決して少なくはない。
(中略)
発達障害があると、対人関係上の問題が起こりやすく(どちら側に非があるかは個々に異なるが、どちらにも非のない行き違いも少なくない)、それがトラウマになりやすい。またトラウマが明瞭に記憶され、フラッシュバックしてきやすい。
青木、村上、鷲田、編『大人のトラウマを診るということ——こころの病の背景にある傷みに気づく』医学書院
「うつ病や統合失調症等の精神疾患があったり、自閉スペクトラム症などの発達障害があったりすると、同じ出来事でも、トラウマとなりやすく、トラウマ反応も起こりやすい」(前掲書)ということです。
気分変調症の2つの病型のうち、トラウマの要素が強いものが「不安型気分変調症」で、自閉スペクトラム症などの発達障害の要素が強いものが「無力型気分変調症」であると考えると、こころの健康クリニックで診ている気分変調症の臨床感覚にフィットするのです。もちろん双方の特徴を備えているケースも多いのです。
かつては思春期うつ病として知られる「気分変調症・中核群」を診ることはほとんどありませんでした。「気分変調症・中核群」のようにみえても、「不安型気分変調症」や「無力型気分変調症」と診断した方が、治療焦点が明確になると考えられる方が多かったのです。
雑談になりますが、コロナ禍以降は不安と抑うつを主訴とする「混合性不安抑うつ障害」を診る機会が増えました。「混合性不安抑うつ障害」は、不安症状と抑うつ症状がともに存在するものの、どちらも独立して診断できるほど重症ではない場合に診断されます。
「混合性不安抑うつ障害」では、振戦、動悸、口渇などのパニック発作に似た症状や、過敏性腸症候群のような自律神経系の症状を伴うことが特徴で、睡眠障害や倦怠感、焦燥感などの抑うつ症状が目立つ場合もあります。
また、ストレス因を契機に「混合性不安抑うつ障害」と似た症状がみられる場合は、「適応障害」の下位分類である「混合性不安抑うつ反応」と診断されます。
こころの健康クリニック芝大門では初診の時間を十分にとり、適切な診断と漢方薬を中心にした処方で、患者さん自身のレジリエンス(回復力・治癒力)を高めるお手伝いをしていますので、思い当たる方がいらっしゃいましたら相談してくださいね。
院長