愛着関係での傷つき体験
今年2022年に開催された「第118回日本精神系学会学術総会」「第21回日本トラウマティック・ストレス学会総会」でも、ICD-11に収録された「複雑性PTSD(complex PTSD)」のテーマが多かったように思えます。
「複雑性PTSD」は、PTSD症状に加えて「自己組織化の障害」症状が加わることで「複雑性(complex)」と呼ばれ、あるいは、疾患カテゴリーを横断してさまざまな病状を呈することで「複合性(complex)」と命名されたそうです。
国際トラウマティック・ストレス学会(ISTTS)の第38回年次大会テーマである「生涯にわたる診断横断的な危険因子としてのトラウマ」の案内文には、以下のように書いてありました。
PTSDは、しばしば典型的なトラウマに関連した精神疾患とみなされていますが、トラウマは心身の健康状態に生涯にわたって広範囲な影響を及ぼすことがわかっています。
それゆえトラウマは、ある特定の診断の垣根を超えて起こりうる多様な心理的・生理的状態への診断横断的なリスク因子として概念されるべきです。
トラウマ後に起こりうる心身の他疾患併存症を理解するための核心的な研究や臨床方法論が、トラウマ研究や治療実践の分野を先へと推し進めるのに必要です。
実際、PTSDの80〜90%が他の精神科診断を併存しており、3つ以上の診断を併存する割合も40〜60%と報告されています。
たとえば、ASDやADHDなどの神経発達症、統合失調症、双極性障害や抑うつ障害などの気分障害、不安障害や解離性障害、食行動異常や摂食障害、物質使用障害など、「トラウマ関連障害」の併存症はさまざまなカテゴリーに及びます。
複雑性PTSDを含むPTSDなど「トラウマ関連障害」が、疾患カテゴリーを横断してさまざまな病状を呈するとなると、何の疾患を治療しているのか、訳がわからなくなりますよね。
「複雑性PTSD」が正式な診断になるまでは、ベトナム戦争などの戦闘を経験した兵士に生じる反応や、児童虐待、強制収容所への長期間収容により、対人関係や自己意識に深刻な問題が生じると指摘されました。
DSM-5の診断基準には採択されませんでしたが、ハーマンが提唱した「コンプレックスPTSD」や、ヴァン・デア・コークの「発達性トラウマ障害」「DESNOS(極度ストレス障害)」などの概念が提唱されていました。
しかし一方で、1998年にリンド(Rind)らはメタ解析を行い、「児童期の性的虐待は、成人後に精神的影響をもたらさない」と報告しました。
この報告はアメリカ議会で問題とされ、学会が解析をやり直しましたが同じ結論だったために、「虐待の定義を拡大したために、トラウマ的影響を与えないデータが多く含まれることになった」と解釈されています。
のちに連邦法で、虐待は「(子どもの)死亡や、深刻な身体的あるいは感情的な被害や、性的虐待または搾取をもたらすような、親もしくは養育者による行為もしくは行為の欠如。あるいはただちに深刻な害を生じる危険のある行為もしくは行為の欠如」と定義されました。(クロアトル, 他.『児童期虐待を生き延びた人々の治療』 星和書店)
これを受けてICD-11では、心的外傷体験の種類による分類ではなく、症状による分類としての「複雑性PTSD(complex PTSD)」が採用されたのです。
「複雑性PTSD(complex PTSD)」の出来事基準(トラウマティック・イベント)の定義は「PTSD」と同じで、「極めて脅威的または凄惨な性質の一つの出来事または一連の出来事」とされ、「最も一般的には、持続するまたは反復する、そこから逃れることが困難または不可能な出来事」とされています。
その例として「拷問、強制収容所、隷属関係、大量虐殺などの組織的暴力」のほか、「長期にわたる家庭内暴力、幼少期の性的・身体的虐待」などが含まれますが、「これらに限定されない」、と定義されています。
虐待や長期にわたる家庭内暴力と、躾と称した感情的な折檻との区別は、TVのニュースでも放映されるような事件性があるもの、つまり、児童相談所が介入したり養護施設に入所したりするようなケースと考えてよさそうです。(目黒女児虐待事件、目黒女児虐待致死事件、参照)
「複雑性PTSD(complex PTSD)」の出来事基準に、「これらに限定されない」という文言があることから、いじめや養育者の精神的な不安定さ、あるいは思春期以降のセクハラや交際相手との性的なトラブルなども含めて広義のトラウマ(こころの傷)と呼ばれることがあります。
本稿のテーマは「心的外傷」である。これはPTSDを説明するために広まった医学概念で、私たちが日常に体験している広義の「こころの傷」とは別物とされている。
私も区別し、以下のように定義している。
「心身の安全が激しく脅かされる危機状況に出会いながら、それと戦ったり逃れるすべのない状態におかれたときに防衛的に生じる心身の反応が、その危機状況が去った後にも残って出没するもの」、これが心的外傷で、それによって生活上の困難や失調が続いている状態がPTSD(心的外傷後ストレス障害)である。
(中略)
「心的外傷」とは非日常的な危機体験(戦争、災害、大事故、犯罪被害など)がもたらす特異なもので、「無疵なこころが何處にある」とうたわれる誰もがもたざるをえない「こころの傷」とは区別される。
「心的外傷」も「こころの傷」も身体の創傷のごとき実体ではなく、いずれにせよ比喩的な表象に過ぎないけれども、そこで「傷」に喩えられるものが異なるのである。
滝川. 心の傷と心的外傷. そだちの科学(29); 2-7, 2017.
生命の危機や性的虐待などの「大文字のトラウマ(Big-T;ショックトラウマ)」と、大文字のトラウマほどの脅威はないものの、個人の発達プロセスに影響を与える「小文字のトラウマ(関係性トラウマ)」は区別する必要がありそうです。
トラウマの成り立ちとして、個人外因子、つまり外的刺激の量の過剰さや外的刺激の質の特異さが「大文字のトラウマ体験」で、これらによる心身のストレス反応がPTSDです。
ところが「小文字のトラウマ(関係性トラウマ)」であっても、神経基盤の調節不全、アタッチメントの障害による調節機能不全、メタ認知の形成不全など、さまざまな「自己組織化の障害」を引き起こします。
これを含むのが、ハーマンが提唱した「コンプレックスPTSD」や、ヴァン・デア・コークの「発達性トラウマ障害」「DESNOS(極度ストレス障害)」などの概念です。
PTSDは、「加害(戦争、事故、犯罪など)→被害(心的外傷)」という図式を基本構造としている。災厄のもたらす一方的な加害による精神被害、それがPTSDである。
ところが親子関係不調・子育て不調は、育児という親子間の相互的・交流的な関わりのなかで起きる「関係」の不調であって、単純な「加害→被害」の図式にあてはまらない。
(中略)
幼い子どもの生存は育て手に全面的に依存している。従って、その育て手から過度に不適切なケアしか受けられない状況は「心身の安全が極端に脅かされる危機」となるうえ、子どもにはそれと戦うすべも逃れるすべもない。
先の定義上、心的外傷の生じうる条件を満たし、事実、PTSDを診断されるケースはまれではない。
(中略)
双方向性・交流性をはらんだ現象で、だからこそ悪循環的に複雑なこじれへと発展しやすいのである。事態の継続性や複雑性だけが問題の複雑化を招くのではない。
滝川. 心の傷と心的外傷. そだちの科学(29); 2-7, 2017.
「複雑性PTSD」の症状を特徴づける「自己組織化の障害(DSO症状)」は、疾患特異性が高くないことが指摘されています。
このブログでも書いたことがありますが、「自己組織化の障害(DSO症状)」の、「感情調節不全(感情の過剰または乏しさ)」「否定的な自己概念(自分は弱く、敗北した、価値がないという信念)」「対人関係の障害(対人関係を維持したり、他者に親密感を抱くことの困難)」は、「自閉スペクトラム症(ASD)特性」を有する人にも広く認められます。
子ども虐待によって引き起こされる病理は、広い臨床像を呈することになる。しかし、トラウマによる影響という発達精神病理学的視点でその臨床像の推移を見れば、同一の子どもがさまざまな臨床像を変遷していくという事実、発達精神病理学でいう、異型連続性(heterotypic continuity)が認められ、実は同じ根源から生じていることが示される。
この広範な臨床像をもたらすものを圧縮して述べれば、一つは愛着障害であり、もう一つが複雑性のトラウマ体験である。
(中略)
重要なのは、子ども虐待の後遺症が診断カテゴリーを越えて広い臨床像をつくる、ということである。
これまでの議論をまとめると、その一部は愛着障害によってもたらされる発達障害の臨床像であり、一部は複雑性トラウマによってもたらされる複雑性PTSDの臨床像である。
杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房
「自閉スペクトラム症(ASD)特性」を有する人は、「大文字のトラウマ」を体験すると健常者よりもPTSDを発症しやすいだけでなく、「大文字のトラウマ」に該当しない出来事(非トラウマ的出来事)でも約60%がPTSD症状を呈した、と報告されています。
一般にはよくよくの危機体験であっての心的外傷なのだけれども、この子どもたちにはそこまでいかない体験も外傷的になりうるところに通常のそれとの違いがみられる。
(中略)
自閉症スペクトラムのように関係の発達に遅れていれば、この交わりによる護りが得られず、その孤立性から外傷がもたらされやすいのである。
滝川. 心の傷と心的外傷. そだちの科学(29); 2-7, 2017.
「大文字のトラウマ(PTSDのA基準)」に相当しない程度の軽微な出来事によって、PTSD症状が慢性化することは実際にはほとんどない、とされています。
軽微な出来事を誘因として通常人では考えられないような著しい精神症状を呈する場合は、個人要因と環境要因の再検討が必要、とされています。
つまり、対人相互関係の問題(愛着の障害)という環境要因と、自己組織化の障害(DSO症状)を主とする「自閉スペクトラム症(ASD)特性」の再検討が必要ということですよね。
院長