毒親と教育虐待と複雑性PTSD
今から5年ほど前の2018年に起きた「滋賀医科大学生母親殺害事件」は、『母という呪縛 娘という牢獄』というルポルタージュとして書籍化され、「教育虐待」という言葉が知られるようになりました。
また最近、AERAで「早稲田か慶応の法学部、現役合格できないなら「死刑」…父親から受けた教育虐待の記憶」という記事を読む機会がありました。
こころの健康クリニック芝大門に通院中の患者さんの中にも、「教育虐待」による「不全型の複雑性PTSD」と診断した患者さんが何人かいらっしゃいます。
この患者さんたちには、通常の「複雑性PTSD」とは異なる特徴があるようなので、今回はそのことを書いてみます。「教育虐待」についての初めての医学的な解説となると思います。
教育虐待というトラウマ体験
そもそも虐待は、児童虐待防止法において、以下のように定義されています。
身体的虐待:児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
性的虐待:児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
ネグレクト:児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前2号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置とその他の保護者としての監護を著しく怠ること。
心理的虐待:児童に対する著しい暴言または著しく拒絶的な対応、児童が同居する家族における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。
厚生労働省 子ども虐待対応の手引き(一部改変)
「教育虐待」とは、子どもに対して「進学校や有名大学あるいは医学部に入学しろ!」あるいは、「医者や弁護士になれ!」など、過度な期待から勉強を強要し、成績が上がらないと暴力などの身体的虐待、暴言や叱責などの心理的虐待、あるいは罰としてのネグレクトを加えるものです。
こころの健康クリニック芝大門を受診した患者さんたちは、「全身あざだらけになるまで物で殴られ、床の鼻血を自分で拭かされた」とか、「学校で一位にならなければ「金食い虫」「お前にいくらかけていると思ってるんだ」と罵られた」と、身体的・心理的虐待(折檻)に伴う苦痛が語られました。
また、「勉強以外の全てのことが一切禁止で、時間がもったいないとの理由で、お風呂や食事も制限された」と、身体的・心理的虐待にネグレクトも加わった支配を受けていた患者さんもいらっしゃいました。
教育虐待と複雑性PTSD
ここであらためて、複雑性PTSDについて簡単に復習をしておきましょう。
ICD-11の診断基準では、4つ領域(出来事基準、PTSD症状、自己組織化障害、機能障害)のすべてを満たすものを複雑性PTSDと診断します。
出来事基準:極度に脅威的または恐怖的な性質の出来事または一連の出来事(最も一般的なものは、そこから逃れることが困難または不可能な長期にわたるまたは反復的な出来事)で、長期にわたる家庭内暴力、幼少期の性的・身体的虐待の繰り返しなどが含まれる。
PTSD症状
再体験:解離性フラッシュバックや悪夢
回避:内的回避と外的回避
過覚醒:脅威の知覚、驚愕反応の減弱
自己組織化障害
感情調節障害:感情反応の高まり、解離症状、感情の麻痺
否定的自己概念:ストレス因子に関連した羞恥心、罪悪感、失敗感などの深く広範な感情を伴って、自分自身の価値が低下している、敗北している、無価値であるという持続的な信念
対人関係障害:対人関係の維持、他者との親密感を持つことの持続的な困難、対人関係回避
機能障害:個人的、家族的、社会的、教育的、職業的、またはその他の重要な領域における著しい機能障害
教育虐待を受けてこられた患者さんたちは、「怒りが意思に関係なくわきあがり、お腹が痛くなる」とか「全身が震え、頭が真っ白になり何も手に付かなくなる」などの「過覚醒症状」と「感情調節障害」、あるいは、「パートナーへの暴言や暴力が止まらなくなる」「親とは関係を断った」「大きな声の人や慌てている人をみると、落ち込んでしまい言葉が出なくなる」など、「感情調節障害」「回避」および「対人関係障害」を主訴に受診される方がほとんどでした。
一方、「恐怖で夜眠れない」「ひどい悪夢を連日見る」など、「再体験症状」を主訴に受診された方は少数でした。
集中的な威圧的説得と否定的自己概念
さらに、教育虐待を受けていらっしゃった患者さんのほとんどが、「お前が特進クラスに入れなかったら、恥ずかしくて他の保護者の前に出られない。特進クラスに入れなかったら死ね」「もしその中学校に合格できなかったら一生負け犬だ、マンションの屋上から突き落として殺してやる」など、洗脳や思考改造のような「集中的な威圧的説得」や脅迫を受けていらっしゃいました。
教育虐待は、身体的・心理的虐待、ネグレクトに加えて、「集中的な威圧的説得」や脅迫を伴うことが、通常の「複雑性PTSD」と異なる特徴のようです。
アメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル(DSM-5)の「他の特定される解離症」で「長期および集中的な威圧的説得による同一性の拡散」として、「長期にわたる同一性の変化または同一性についての意識的な疑問が続くことがある」と記載されています。
同一性拡散症候群
主に青年期後期において自我同一性の形成過程の障害から生じる病態。
自意識の過剰、選択や決断の回避、対人的距離感の失調、時間的展望の拡散と生活の緩慢、勤勉さの拡散、否定的同一性の選択からなる。
濱田. 精神症候学. 弘文堂
教育虐待による「集中的な威圧的説得」と脅迫によって、「自分がダメだから殴られると思い、自身を責めた」「「教育を受けたくても受けられない人もいるなかで、お金をかけてもらっている私は恵まれている。これは親の愛情なのだから、苦しいと思ってはいけない。許せないなんて思う自分がおかしい」と思ってきました」と、自己組織化障害の「否定的自己概念」が強いのが特徴でした。
教育虐待を受けた人では、複雑性PTSDよりも「否定的概念」に伴う自責が目立っているため、前医では「うつ病」「難治性うつ病」「双極性障害」「気分変調症」、などの診断がつけられていました。
以前、患者さんの一人がNHKの「ナンブンノイチ」のインタビューに出演されたことがありました。((6)4分の1のヒトって?母親が“毒親”)
親自身が叶えられなかった夢や希望を子どもに託し、子どものためにとすり替え、虐待やネグレクトによる威圧的説得という歪んだ愛情で子どもの人生を支配する「教育虐待」という呪縛。
「親から教育虐待を受けた過去」に囚われずに生きていくためにも、トラウマの治療が必要不可欠ですから、治療を希望される方は、こころの健康クリニック芝大門に申し込んでください。
院長