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星とたんぽぽ

[2020.06.05]

このブログのタイトル、「星とたんぽぽ」の意味が気になった方もいらっしゃるかもしれません。今日はそのお話を少ししたいと思います。 

 

私が摂食障害の治療を受け始めて数年経った頃です。 

夫がおいしいラーメン屋さんを見つけたというので、一緒に行ってみました。東京では珍しく、私の地元のラーメンを提供しているとのことでした。食べてみると確かにおいしいのですが、子供の頃に食べたそれとは違う印象を受けました。

そこで、私は、夫に本場のラーメンを食べてもらいたい、そして私自身も何十年かぶりに地元のラーメンを食べてみたいと思い、「ラーメンツアー」を計画しました。当時の私にとって、ラーメンは少しハードルの高い食べ物の一つではありましたが、「食べてもらいたい」「食べてみたい」という気持ちが勝り、計画を実行しました。 

 

結果的には、夫も地元のラーメンをとても気に入ってくれ、私自身も子どもの頃のようにおいしくいただくことができました。 

 

1日目のラーメンツアーを終え、その夜は旅館に宿泊しました。そこは、急に決めた旅行だったため唯一空いていた宿で、賑やかな温泉街から外れた周りに何もない場所にありました。駐車場に車を停め、外に出ると辺りはもう真っ暗。 

ふと見上げると、冬の夜空に驚くほどたくさんの星がきらめいていました。 

私はその星の美しさに加えて、こんなにたくさんの星が夜空に輝いていたことに改めて気づかされ、とても感動しました。 

その瞬間、中学生の頃よく読んでいた金子みすゞさんの詩「星とたんぽぽ」にある “見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ” という一節が頭をよぎり、それと同時に、 

 

「あ、ここにあったんだ…」と直感したのです。 

 

東京の空は明るすぎて見えなかったけれど、星たちはずっと同じ場所で光り輝いていたんですよね。それと同じように、私が見失っていたと感じていた「自分」も、ずーっとそこにいたのです。 

私が自分の中の自分、自分の核みたいな部分を始めて実感した瞬間でした。 

気が付くと、とてもあたたかい涙が溢れていました。 

 

治療を始めたころは、摂食障害からの回復の道は「前進」だと思っていました。できないことができるようになって、前に進んでいくんだと。

けれど、徐々に「前進」ではなくて「下降」なんだと感じるようになりました。「摂食障害の謎を解き明かす素敵な物語」では、回復の道を「段々と自分自身の内面へ下りていく」、と表現していますよね。

 

そして、「自分自身の中心部」にたどり着いた瞬間を、「あ、ここにあったんだ」と実感したのではないかと思っています。 

 治療中、このような象徴的というのか、ある意味では衝撃的で自分の心の奥深くが震えるような体験を何度かしました。 

 

それらに共通するのは、「こころのままに」ではないかと思います。 

ラーメンツアーから始まったこの経験も、今思えば「こころのままに」行動したことを皮切りに、何か導かれるべくして導かれたような気がするのです。 

 

最後にご存知の方も多いかもしれませんが、金子みすゞさんの「星とたんぽぽ」をご紹介して今日の締めくくりにしたいと思います。 

 

青いお空のそこふかく、 
 海の小石のそのように 
 夜がくるまでしずんでる、 
 昼のお星はめにみえぬ。 
    見えぬけれどもあるんだよ、 
    見えぬものでもあるんだよ。 
 
 ちってすがれたたんぽぽの、 
 かわらのすきに、だァまって、 
 春のくるまでかくれてる、 
 つよいその根はめにみえぬ。 
    見えぬけれどもあるんだよ、 
    見えぬものでもあるんだよ。 

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