摂食障害からの本当の回復プロセス
日本摂食障害協会から、新型コロナウイルス感染症のために、外出自粛を余儀なくされている当事者向けのアドバイスが発表されています。
協会のHPにはアンケートや外出自粛のアイディア募集などもありますので、よかったらご覧になってみてくださいね。
過食や過食嘔吐などの摂食障害症状は、心の痛みを感じる情動や感情をなだめ、麻痺させ、感じないようにしたり、無かったことにしたりする方策として使われています。
そのような摂食障害症状を嗜癖行為としてとらえ、『人を信じられない病』から引用しながら解説したこともありました。
また『過食症と過食性障害の3つのプロトタイプ』で「情動調整障害型」「回避/抑うつ型(感情抑制型)」「高機能・完全主義型」の3つを詳解しました。
「回避/抑うつ型(感情抑制型)」と「感情調節障害型」では過食や過食嘔吐などの摂食障害症状の意味づけが異なるようで、前者では自己慰撫手段であるのに対し、後者では自己処罰手段になっているような印象を受けます。
摂食症の人は、総じて甘え下手である。
なんでも自分でやってしまうし、困ったときに助けを求めようとせずに自分で解決を試みる。本当は寂しくても甘え方がわからず、とにかく人の世話をしたり勉強をがんばったりしてほめられようとする。
被虐待歴があろうとなかろうと、人との接触を求めているにもかかわらず人に対して壁があり、誰に対しても全面的に信頼感をもつことが難しいことは、摂食症の人に共通している。
そして摂食症という病じたいに、不信からくる孤独を満たしてくれる魔法が隠されているようなのである。
野間俊一. 摂食症(ディソレクシア)という病——“うまく食べられない”生き方. こころの科学209: 15-30, 2020
上記に書かれているタイプは、「回避/抑うつ型(感情抑制型)」のようですね。
(『摂食障害の背景にある自分と他者へのネグレクト』『摂食障害から回復するためにはどのような治療者を選べばいいのか』『愛着トラウマと摂食障害』『食行動障害・摂食障害と「関係性の病」』などを参照してください)
だからこそ、さまざまな感情や情動を一人でなんとかしようと、必死で摂食障害症状にしがみついてしまうのかもしれません。
回復に向かってこれだけ私が頑張ってきていてもなお、私の中の何かが、いまだにエドのことを信じているのです。冗談ではなくて、私の中の何かが、どうしてもエドを手放したがらないのです。死に物狂いでエドにしがみついています。
その何かは、エドのどこを見ているのでしょう。エドには、実はそんなに魅力的な部分があるのでしょうか。
まず、一番大きな特徴として、エドは、自分と一緒にいれば絶対に私は太らないよ、と保証してくれます。もちろん、太らないかぎり、私はだめな人間には決してならないのです。
第二に、エドと一緒にいれば、私は特別な存在で、ユニークで、ほかの誰とも違った存在でいられます。(中略)
だからきっと、私の中のその小さな一部は、エドが約束するものにあこがれているのだと思います。
その小さな一部は、だめな人間にはなりたくないのです。特別な存在でいたいのです。そして、すべてを自分の手でコントロールしていたいのです。でもエドは、こうして約束したものをどれ一つとして守ってくれないのだということを、私の中のその部分に、どうしたら納得してもらえるのでしょうか。
けれど、個人療法の中で、私の中のその小さな一部分に納得してもらう必要はないのだ、と学びました。シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店
ジェニーさんが体験した「平凡恐怖」も、無力感、自己効力感の乏しさを慢性的に抱えていて、他者と距離をとることで情動的危機を遠ざけて生存する道を歩んできた「遠ざかり型境界性自己障害」といえるのかもしれません。(『摂食障害と過敏型自己愛』参照)
摂食障害から回復する過程で摂食障害症状が改善してきたときには、それまで症状の下に隠れていた「生きづらさを抱えた抑うつ的な自己」が強い恐怖感とともに現れてきます。
その時、このまま治っていくかにみえた摂食障害症状が再燃することが多いのです。
摂食症の人が症状を捨て去ろうとするとき、孤独と不安に苛まれる。そこで、自分に必要なものとして、全面的に自分の存在を受け入れ評価してくれる“母なるもの”をイメージするのではないだろうか。
過去に現実の母がどうだったかはともかく、象徴的な母なるものが自分には欠けていて、何をするにもそれでよいという承認を得ることができない、根源的な“母不在”の不安を抱えていると理解することができる。
(中略)
現実の母は、本人の抱く理想像には届かない。周囲の人が母の代わりをすることは難しい。
しかし、周囲の人が、そのような母不在の根源的不安を紛らわせるために食の問題が続いているのかもしれないと理解し、このことに配慮しながら接するならば、このことじたいが母不在の不安を少し和らげてくれるものであるにちがいない。
回復が始まるのは、そこからである。
野間俊一. 摂食症(ディソレクシア)という病——“うまく食べられない”生き方. こころの科学209: 15-30, 2020
「生きづらさを抱えた抑うつ的な自己がもつ根源的な不安」を、野間先生は「全面的に自分の存在を受け入れ評価してくれる“母なるもの”の不在の不安」と指摘されていますよね。
(『インナーマザーと愛着(アタッチメント)の対人関係療法』『インナーチャイルドとインナーマザーの和解と統合』も参照してください)
ほとんど知られていない「“母なるもの”の不在の不安」が立ち現れてくるこのプロセスは、Akoさんのブログの『私へ』『昨夜の波』『ぶり返す』で見ることができます。
Akoさんは幼少期の両親との関係を整理し直した『私の人生は私が作る』を通じて、ようやく自分自身であることを受け入れることができました。
そして摂食障害を手放して、自立という本当の回復に一歩踏み出した『心の在り方』で、「生きづらさを抱えた抑うつ的な自己がもつ根源的な不安」から抜け出していくプロセスを理解することができます。
皆さんも、対人関係療法による治療を通じて、この回復への道筋を歩いていただきたいと強く願っています。
院長
お知らせです。
【DVD「摂食障害 理解と回復のために」上映会+経験者フリートーク会】が2020年4月29日(水/祝)、13:00~17:00(予定)でオンライン開催されます。
日本摂食障害協会の主宰で、参加費無料、自宅で閲覧できるイベントです。
興味がある方はぜひ参加してみてください。