愛着(アタッチメント)のアンビヴァレンスと傷つき体験
『愛着関係での傷つき体験』で、「対人相互関係の問題(愛着の障害)という環境要因と、自己組織化の障害(DSO症状)を主とする「自閉スペクトラム症(ASD)特性」」について書きました。
「複雑性PTSD」や、その不全型である「発達性トラウマ障害」は、「双方向性・交流性をはらんだ(親子関係という)現象で、だからこそ悪循環的に複雑なこじれへと発展しやすい」といわれます。(滝川. 心の傷と心的外傷. そだちの科学(29); 2-7, 2017.)
乳幼児期の養育者との関係が、対人関係の土台になります。
身体的な不快な体験が、こころの傷みであると気づくようになった子どもは、その情動や気持ちを、養育者になだめてもらおうとします。この行動が「愛着(アタッチメント)」と呼ばれます。
乳児期に入り、「ものごころ」がつき、社会的・対人的な相互関係の世界に深く踏み込んでいくにつれて、先に触れた「こころの傷」を体験するようになる。乳児期には苦痛や不快はもっぱら生理的な体験だったのが、それが心理的な体験、つまりこころの痛み(傷み)へと発展するのである。
人間のこころは何よりもひととの交わりのなかで傷つく。ひととの関わりは意のままとはいかず、ときとして苦痛を強い、それが傷みをもたらさざるをえない。
しかし、その傷を和らげたり癒したりするのも、ひととの交わりである。
(中略)
おとなの護りが適切に働かずに「こころの傷」が大きな失調を招く深刻な状況の例として、極端な親子関係不調、子育て失調があげられる。
この場合、子どもはこころの傷みを処理しつつ、それを糧として成熟していくことが不可能に近くなる。その支えが極端に薄くなるからである。
これが長く続けば、こころの成長に偏りやおくれが生じてくる。さらにそれだけでなく、もうひとつの問題がしばしば重なってくる。
(中略)
幼い子どもの生存は育て手に全面的に依存している。従って、その育て手から過度に不適切なケアしか受けられない状況は「心身の安全が極端に脅かされる危機」となるうえ、子どもにはそれと戦うすべも逃れるすべもない。
滝川. 心の傷と心的外傷. そだちの科学(29); 2-7, 2017.
「愛着(アタッチメント)」は、①危機的状況、②自分の感情やニーズが高まったとき、に、③アタッチメント対象(養育者)に注意を向け近接などの行動をすることで、活性化されます。
虐待が生じていてもアタッチメントの力は弱くならないことは研究によって示されている。
(中略)
虐待をしない保護者よりも虐待をする保護者へのアタッチメントが強くなることは、人生早期の虐待について最も不思議な所見である。
(中略)
人間以外の動物の研究からはマルトリートメントはアタッチメントを「増大させる」ことが示されている。というのも傷つけられて恐怖を抱くほど、保護や慰めへのニーズが増すからである。Allenは、この絆を3段階に分けて記している。ひどく傷つき、ケアと安全へのニーズが高まり、そして絆が強くなる。
家庭内の虐待という状況下ではこうした力動が子どもに作用する。子どもは無力感を抱き、有能感を持たないまま成長する。多くは社会的に孤立した生活をしており、別の可能性を選ぶことができず、親に助けを求め続ける。
クロアトル, 他.『児童期虐待を生き延びた人々の治療』 星和書店
虐待やネグレクトなどの「マルトリートメント」を体験した子どもでは、「愛着(アタッチメント)」が活性化されます。
そして「確かに虐待はあったが、自分のためを思ってのことだと思いこむ。子どもは恐怖と混乱の中で安心や安全を求める」(前掲書)という、「愛着(アタッチメント)」の活性化が、他者の言動から心理状態を推測するメンタライジングを妨げる「愛着のパラドックス」の中に絡め取られてしまうのです。
今日のアタッチメント障碍と発達障碍の関係にまつわる混乱の元凶は、その原因を「素質」か「環境」か、二者択一的に、短絡的に考えてきたからである。
(中略)
つまり、両者ともアタッチメントの問題に端を発し、その対処行動の相違として両者を捉え直すことができるということである。
(中略)
重要なことはこれらの対処行動が恒常化し、固定化したものがこれまで精神医学の診断として重視されてきた「症状」だということである。
そのように考えた時、われわれ臨床家に突きつけられる課題は、治療の標的とするのは症状ではなく、その背後にうごめくアンビヴァレンスだということに気づかされる。
小林. アタッチメントと発達の問題を「関係」と「情動(甘え)」から読み解く. そだちの科学(29); 30-35, 2017.
子どもの活性化した「愛着(アタッチメント)」は、養育者への近接を求め続けます。
「子どもは恐怖と混乱の中で安全や安心を求める。ほんの少しでも親からのケアや愛情、注目がえられれば、子どもは親に近づこうとする」というアンビヴァレンスが生じます。
習慣化した対人関係から生まれる際被害の基礎にあるのは、人と関わりたいという健全な欲求である。しかしこの欲求は、虐待の憂慮すべき影響によって誤った方向に向けられている。
(中略)
身体的に攻撃的な家庭では、ケアを受ける条件として養育者の近くにいることが身体的暴力をも生じさせる。したがってケアと身体的暴力はペアを成している。性的虐待が生じている過程では、近くにいることは性的行為を生じさせる。
こうした状況を経験することは、その詳細が何であれ、次のような対人関係のスキーマをもたらす。
「人と関わることは虐待されることである」「虐待は人とつながるための方法である」。クロアトル, 他.『児童期虐待を生き延びた人々の治療』 星和書店
「アンビヴァレンスには、希望と失望の予期とが混在しています。同様に、アンビヴァレンスという概念に最初から含まれているのが葛藤と矛盾」であると説明されています。(アレン『愛着関係とメンタライジングによるトラウマ治療』北大路書房)
このアンビヴァレンスの根本にあるのが「対人相互関係の問題(愛着の障害)」であり、そこからASDに似た「対人関係の障害」と、ADHDに似た「感情調節不全」が生じてくるのです。
虐待サバイバーにとって、過去の経験に頼ることは常軌を逸した対人関係のパターンに頼ることである。
サバイバーは同様のパターンを産み出すような方法で人と関わろうとするが、虐待的な環境では適応的であった対人関係のパターンは、健全な社会的状況ではもはや効果的ではない。
クロアトル, 他.『児童期虐待を生き延びた人々の治療』 星和書店
しかしながら、「対人関係の障害」と「感情調節不全」をもち、身を守るわざや力が相応に育っていない場合、「心身の安全を極端に脅かす危機」を体験しやすくなり、成人後のメンタルヘルスに長期的な影響が残りやすい、と言われるのです。
ちなみに、「巷間、診断をよく耳にする“愛着障害”については、おそらく、精神医学における疾患診断とは異なる概念」ですから、注意してくださいね。(桑原. ASとトラウマ. in 『おとなの自閉スペクトラム』金剛出版)
院長