愛着外傷とこころの原始的モード
こころの健康クリニックでは、摂食障害の治療では「摂食障害思考(エド)」とのつきあい方、あるいは気分変調症であれば「否定的自己概念(自責的思考)」との関わり方を指導していますよね。
大切なことは、自問自答するときの「内語(自己内対話)」のパターンに注目し、「内語(自己内対話)」がどのような結論を引き出しているのか、そしてそれがどのような感情を引き起こし、どのように気分に影響しているのかをモニタリングすることです。
たとえば、「この状態はいつまで続くのだろう…?」という「内語(自己内対話)」は、不確定未来のことを自分に問うていますから、答えは出ませんよね。
それだけでなく、「ずっと続くとしたらどうしよう…」という答をすでに準備してしまっていることに気づくことがセルフモニタリングです。
このような思考のパターンが、不安の原材料になっていることがわかりますよね。
仮に「あと4日で終わるよ」という答えを自分に投げかけてみても、「本当にそうだろうか?」という疑問が生じ、「4日で終わるはずがない」と否定してから、「ずっと続くとしたらどうしよう…」と、堂々巡りの不安を引き出すことになってしまっています。
患者さんから「不安にはどう対処したらいいですか?」と聞かれると、「セルフモニタリングを通して、不安を引き起こしている思考とのつきあい方や、自問自答の問いかけの仕方を変えてみましょうか」とお伝えしています。
しかし中には、「この不安を取り除いて欲しかったのに、そうはしてもらえなかった」「セルフモニタリングの仕方を教えてもらえなかった」、あるいは「不安を感じているのは事実なのに、[それは頭の中で起きていることで現実ではない]と先生から突っぱねられた」云々、他責的&被害的に捉えてしまう患者さんがいらっしゃいます。
今回も『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』を読み進めていきましょう。
セリさんは「思考を現実と捉えてしまうモード」に陥ってしまう体験をされたようです。
ところが、いつからだったのだろう。
ふとした瞬間、「それ」は訪れるようになった。
心臓を内側からえぐり取られるような、有痛性の不安。「彼の帰りが遅い」とか——
「帰ってきた彼が、私のいない場所で起こった出来事を楽しそうに話した」とか——
ただそれだけのことのはずなのに、そのたび、どろどろとした動揺が私の心を襲った。「この人には、私よりも、似合う人がいるんじゃないか」
「私と一緒にいるより、幸せな世界があるんじゃないか」もしかしたら、これくらいの不安は、誰でも一度は考えたことがあるのかもしれない。
だけど、私の場合、それが浮かんだら最後、その想像を「あー、いやな想像しちゃった」と打ち消せず、「ゆるぎない事実」だと思い込む。そして、考えは一気に飛躍するのだ。咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
複雑性PTSDの特徴である「自己組織化の障害」のうち、「否定的な自己概念」はこのようにしてある日突然、侵入的に始まってしまうのです。
「否定的な自己概念」にともなうセリさんが体験した「内語(自己内対話)」の問題点は冒頭で説明しましたよね。
さらに「[ゆるぎない事実]だとの思い込み」は、「心的等価モード」と呼ばれます。自他の心を見わたすメンタライゼーション(内省機能)に制止がかかった状態です。
心的等価モードにおいても、こころ(内的現実)と外的現実とは地続きになっていて、一体化しています。(中略)
そうすると、空想と外的現実が組み合ったときに、空想が外的現実を凌駕するという事態が生じます。空想が現実を支配下に置き、現実を塗り替えてしまうのです。(中略)
いうまでもないことではありますが、自傷ではなく他害や自殺も「よそ者的自己=目の前の他者」あるいは「よそ者的自己=自分」という心的等価モードで起こっています。「空想=現実」から成る思いこみの世界です。
池田『メンタライゼーションを学ぼう——愛着外傷を乗り越えるための臨床アプローチ』日本評論社
ちなみに対人関係療法では、心的等価モードに陥っていたとしても「事実と思考を区別せず、また、思考の直接的な修正も行わない」(『思春期うつ病の対人関係療法』)とされているため、心を見わたす主体的自己が育たず、メンタライジング能力の回復は望むべくもありません。
その弱点を補うため、気分変調症の治療ではメンタライジング・アプローチを併用し、治療効果をあげる必要があるのです。
「心的等価モード」に取り込まれてしまったセリさんは、さらなる原始的なこころの状態にとらわれてしまいます。
そして、外的な出来事が空想(内的なこころの状態)を決定してしまう状態に陥ってしまいます。
最初は、ひとり、悶々と悩んでいた。だけど、そうしているうちに追い詰められた私は、理解不能な行動に出た。
今まで撮った二人の写真や手紙をびりびりに引き裂いて、部屋中にまき散らしたのだ。その光景を目にした彼は、当然戸惑う。そして、悲しそうな顔で「なんでこんなことをしたの?」と聞いた。
うつろな目で私は涙を落とし、首を振る。私にもわからない。大切な宝物だったはずなのに、ほかに救われる方法がないかのように、死に物狂いで破いたことだけは覚えている。
彼はため息を吐くと、散り散りになった写真を、手紙を、目を赤くしながら一枚一枚拾っていった。時おり、鼻をすする音が聞こえる。
「彼が悲しんでいる。私はちゃんと彼に愛されている……」
彼の笑顔ではなく、傷ついた顔をみるほどに、満足した。咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
セリさんが体験した、なぜそのような行動をしたのかわからない解離性健忘(健忘障壁)とともに、「彼が傷ついた顔をするから(外的現実)、私は愛されている(空想)」のような体験の仕方、つまり、外的な出来事が空想(内的なこころの状態)を決定してしまう状態を「目的論的モード」と呼びます。
このように物事の因果関係を物理的現実の観点からしか考えることのできない思考のありようを目的論的姿勢というのですが、この目的論的姿勢が前景に出た世界の体験様式を目的論的モードと呼びます。
目的論的モードでは、内的現実(心的状態)と外的現実(物理的現実)とが地続きで一体化してしまっています。こころの中でのことと外の社会でのこととの区別が本質的にできていない、「空想=現実」の世界です。
(中略)
したがってこのモードが優勢になると、たとえば子どもでは「欲しいおもちゃを買ってくれない(外的現実)なんて、お母さんは僕のことがすきじゃない(空想)」となるし、ある一群の患者では「希望する薬を出してくれない(外的現実)なんて、先生は私のことなんてどうでもいいと思っている(空想)んだ」とか「これだけお願いしているのに面接時間を延ばしてくれない(外的現実)なんて、先生は私が死んでもいいと思っている(空想)んですね」となります。
行為あるいは外的な現実が、空想すなわち内的状態を決定してしまうのです。
池田『メンタライゼーションを学ぼう——愛着外傷を乗り越えるための臨床アプローチ』日本評論社
この引用で、冒頭に挙げた患者さんたちの例と似た例が挙げられていますよね。
セリさんも、「心的等価モード」から「目的論的モード」という、メンタライゼーションが確立する前の5歳未満の子どものこころの状態に戻ってしまっていました。
これらの心の原始的モードは、「愛着の土台がない人の世界は不安に満ちており、人間関係を形成していくうえでの土台がない。そのため母子関係がまだ形成されていない乳幼児の発達段階を生きているということになる」(愛甲. 愛着障害はどうしたら治せるのか?. そだちの科学 33, 77-82.日本評論社. 2019)という愛着外傷に伴う影響でもあると同時に、「こころの理論」課題を通過していない自閉症スペクトラム障害(ASD)でも見られるのです。
このようなセリさんの心の状態の起源はどこにあったのでしょうか?
次回以降も読み進めていきましょう。
院長