複雑性PTSDの症状とさまざまな疾患
複雑性PTSDは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と完全に区別できる病態ではありません。
ICD-11の診断基準で複雑性PTSDと診断するためには、PTSDの診断基準を満たしていることが前提になるからです。
複雑性PTSDは、PTSDの症状に加えて、「自己組織化の障害(DSO)」と名付けられる特徴を有します。
「自己組織化の障害(DSO)」は、DESNOS(註:他に特定不能の極度ストレス障害)の7カテゴリーのうちの「感情調節障害」「否定的自己概念」「対人関係障害」の3カテゴリー症状で、感情制御、自己に関する卑小感、敗北感、無価値感といった信念、対人関係を保ち他者に親密性を持つことの困難さが含まれます。
なおDSO(註:自己組織化の障害)はパーソナリティ変化を指すものではないが、ICD-10診断としての「破局的体験後の持続的人格変化」における感情、自己概念、対人関係の変化にも通じた内容である。
飛鳥井「複雑性PTSDの概念・診断・治療」in 原田・編『複雑性PTSDの臨床』金剛出版
小児期のII型トラウマ体験(対人トラウマ:虐待など小児期逆境体験やいじめなどの家庭外の逆境体験)があり、本人がフラッシュバックとおっしゃるタイム・スリップや、タイム・ストラップ(反響記憶(反芻思考))があっても、PTSDの診断基準を満たさず「自己組織化の障害(DSO)」の診断のみを満たす自閉症スペクトラム障害(発達障害)の方もいらっしゃいます。
自己組織化の障害が目立つ人たちには自閉症スペクトラム(発達障害)の特性があり、PTSDの3症候が発達障害特性で置き換わったような状態を呈している印象があります。
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PTSDの症状 |
自閉症スペクトラム障害特性 |
再体験症状 |
解離性フラッシュバック; 悪夢 |
タイム・スリップやタイム・ストラップ 反響記憶(反芻思考)、被影響体験 |
回避症状 |
出来事に関する思考や感情の回避; 出来事の想起刺激となる事物や状況の回避 |
社会関与や対人関係の回避 引きこもり |
過覚醒症状 |
脅威の感覚・過度の警戒心; 過剰な驚愕反応 |
感覚過敏(音、光、皮膚感覚、匂いなど) パニック症状 |
先に述べたように複雑性PTSDの「自己組織化の障害(DSO)」は、「感情制御困難」「否定的な自己概念」「対人関係障害」の3つのカテゴリーからなりますが、これらの症状も自閉症スペクトラム障害(発達障害)の人にはよくみられる特徴です。
「感情制御困難」は、感情反応性の亢進(気持ちが傷つきやすいなど)、爆発的暴力、無謀なまたは自己破壊的行動、ストレス下での遷延性解離状態、感情麻痺、および、喜びまたはポジティブな感情の欠如(アンヘドニア)などです。
自閉症スペクトラム障害(発達障害)では、過覚醒症状は感覚過敏によるパニック症状と関連しているようです。このような症状は、双極性障害、うつ病あるいは持続性抑うつ障害(気分変調症)、パニック障害、自己愛性あるいは境界性パーソナリティ障害、解離性障害、統合失調症と誤診されることも多いようです。
「否定的な自己概念」は、外傷的出来事に関連する恥や自責の感情を伴う自己の卑小感、敗北感、無価値感などの持続的な思いこみで、うつ病や気分変調症が特徴的とされますが、単純型統合失調症や内省型統合失調症と診断されることもあります。自閉症スペクトラム障害(発達障害)では記憶反響(反芻思考)やタイムスリップと関連しているようです。
「対人関係障害」は、他人に親密感を持つことの困難や対人関係や社会参加の回避、関心の乏しさで、自閉症スペクトラム障害(発達障害)では回避症状として表現されます。これもうつ病や気分変調症、境界性パーソナリティ障害、統合失調症、あるいはスキゾイド・パーソナリティと診断されることがあります。
このように自閉症スペクトラム障害(発達障害)では、PTSD症状と自己組織化の障害がリンクしているように見えることが特徴としてあげられるのです。
また、複雑性PTSDの特徴とされる自己組織化の障害としての感情制御困難や否定的自己概念、対人関係障害は、従来のPTSDでもしばしば見られることも指摘されており、PTSDと複雑性PTSDの線引きだけでなく、自閉症スペクトラム障害(発達障害)や他の疾患との鑑別が困難になる一因となっているようです。
上記のように、PTSDや複雑性PTSDの鑑別疾患として、うつ病や気分変調症、双極性障害、境界性パーソナリティ障害、パニック障害、解離性障害、過敏性腸症候群などの身体表現性障害、自閉症スペクトラム障害(発達障害)、統合失調症などがあげられます。
ASDに併存した不安障害が、非ASDに認められた不安障害と、同一の診断基準を用いて診断を満たすとしても、果たして同じものと言えるのだろうか。
そこに異質性と言わずとも、病理的なレベルでは差違が認められ、治療において基本的な対応が異なるとなると、同じ診断とするのにためらいがある。
(中略)
さらに操作的診断基準で診断を満たすとしても、精神病理学的な検討を行ったときに、本当にその診断名を付して良いのか、議論が必要となる病態も実は存在する。
杉山. 発達障害の「併存症」. そだちの科学(35); 13-20. 2020.
小児期のII型トラウマ体験(虐待など小児期逆境体験や、いじめなどの家庭外の逆境体験など対人トラウマ)が根底にある場合、症状をもとにさまざまな診断名をつける症候診断は、木を見て森を見ず、ということになりますよね。
トラウマが背後にあるとすれば、複雑性PTSDの症状として明らかにされた気分変動が、気分障害として、うつ病とも双極性障害とも誤診される可能性をもつからである。
(中略)
治療を行ってみると、普通の成人の気分障害とは違う極少量の薬物療法で治療が可能な例が大部分であり、むしろ普通の治療をすると、医原性の悪化(代表は抗うつ薬の服用による激しい気分変動)も決して希ではない。
(中略)
診断を下す意味は治療のためである。併存症の診断もまた、本体である発達障害の治療のために役立つものでなくては何のための診断であろうか。
それにしてもカテゴリー診断の罪は深い。われわれはもう一度、丹念な臨床を大切にする姿勢を取り戻さなくてはならない。
杉山. 発達障害の「併存症」. そだちの科学(35); 13-20. 2020.
たとえばうつ病であれば認知行動療法や対人関係療法、双極性障害なら対人関係−社会リズム療法など、この診断にはこの治療法といったエビデンスがあるとされる治療法は、ASDやトラウマが存在するときには表面に表れた症状群だけの治療になってしまい、対症療法でしかなくなります。
症状による診断基準にもとづく治療法の選択は、ASDやトラウマの有無によって適応を問い直される必要があると考えられますよね。
複雑性PTSDの「複雑性」は、英語でコンプレックス(complex)といいます。コンプレックスは一般的には劣等感のニュアンスで使用されますが、精神医学的には「様々な心理的構成要素が無意識に複雑に絡み合って形成された観念の複合体」という意味です。
今回みてきたように複雑性PTSDは、何でもありのさまざまな症状を呈する「複合的なPTSD」と考えることができます。
複雑性PTSDあるいは、何でもありの症状を呈する複合的なPTSDはどのように治療するのでしょうか。
ICD-11がPTSDとCPTSDを区別した大きな理由の一つが治療にかかわることである。
つまりPTSDに有効とされるトラウマ焦点化治療をCPTSDに適用しても十分な効果を上げることが難しいため、CPTSDに対応した治療技法が求められるという考えである。
ハーマンはCPTSDの回復の諸段階として「安全」「想起と服喪追悼」「再結合」の3段階を提示した。
「安全」段階は安全な環境を確保した上でのトラウマ心理教育(トラウマ体験としての認識と関与)や感情制御のためのストレス・マネジメント、「想起と服喪追悼」段階はトラウマ記憶の処理、「再結合」は他者との信頼関係の再構築、意味形成、自己権利擁護、エンパワメントなどが主な達成課題となる。
飛鳥井「複雑性PTSDの概念・診断・治療」in 原田・編『複雑性PTSDの臨床』金剛出版
II型トラウマの存在下での精神療法は、安全・安心の関係性の中で、凍りついた時間の解凍と意味づけ、そして生き直しという「素朴で古い療法(アレン『愛着関係とメンタライジングによるトラウマ治療』北大路書房)」が必要だということですよね。
院長