「複雑性トラウマ」とアタッチメントの問題
『PTSDは、「未治療の場合、およそ30%の患者は完全に回復するが、40%にはわずかな症状が、20%には中等度の症状が残存し、10%は全く改善しないか増悪する。1年後には約50%の患者が回復に至る」』とされています。(『大人のトラウマを診るということ——こころの病の背景にある傷みに気づく』)
単回のトラウマ体験の結果、「侵入的記憶想起(フラッシュバックや悪夢)」「回避麻痺症状(抑うつ状態)」「覚醒亢進症状(驚愕反応)」などの症状を伴うPTSDの約半数が回復にいたるということは、トラウマ反応はストレス反応と同じように、適応状態にいたるまでの一過性の反応であるとも考えられるわけです。
しかしながら、長期にわたる反復性のトラウマ的出来事による複雑性PTSDの予後については研究が進んでいないようです。
一方、アタッチメントの研究では、『親子間で安全型(安心型)のバランスのとれた平均的なアタッチメントのパターンでは高い連続性をみとめるものの、(中略)非安全型のアタッチメント・パターンの連続性(一致性)はそれほど高いものではなかった』との報告があります。
乳幼児期のアタッチメント・パターンが成人期のアタッチメント・スタイルに直結しない「アタッチメントの不連続性」や、生物学的要因が寄与するらしいことも知られています。(山下『小児期のアタッチメント/トラウマと成人期の対人関係』精神科治療学 33(4):410-427, 2018)
成人の臨床でよくみられる経過としては、小児期のトラウマ体験(虐待など小児期逆境体験やいじめなどの家庭外の逆境体験)⇒愛着障害・トラウマ反応⇒思春期以降のトラウマ体験⇒トラウマ反応+従来の精神疾患というものがある。
虐待などの小児期逆境体験は、愛着障害やトラウマ反応を引き起こしやすいだけでなく、さらには成人の不安症、うつ病、統合失調症、物質依存症などを引き起こしやすい。
発達障害と愛着障害は、相互に影響し合い、愛着形成・対人関係形成と発達を困難なものとしやすい。
(中略)
成人の臨床において留意しておかなければいけないのは、振り返って発達歴を理解しようとするとき、最初にあったものが、発達の問題なのか、愛着の問題なのか、よくわからない場合が多いということである。
青木、村上、鷲田、編『大人のトラウマを診るということ——こころの病の背景にある傷みに気づく』医学書院
思春期は疾風怒涛の時期と呼ばれていたように、思春期には神経細胞ネットワークに刈り込みと再編成が起きることが知られています。これが「アタッチメントの不連続性」をもたらすようです。
双生児における発達早期から思春期さらには成人期までのアタッチメントを追跡した報告でも、アタッチメントのパターンに縦断的な変化がみられることが示された。
さらに遺伝環境相互作用の枠組みで解析を行うと、乳児期にはアタッチメントは双生児間で高い相関を示し、その大半は遺伝率よりも共有環境が寄与していた一方で、思春期では遺伝率が35〜38%と遺伝要因の方が相当な割合で寄与しているという結果となった。
この結果に対してRutter(ラター)は、驚くべきものではないとして、Bowlby(ボゥルビィ)の古典的なアタッチメントの概念は本来、生物学的—生態学的なものであり、遺伝環境相互作用や遺伝環境相関などの行動遺伝学のモデルを適用すると、発達の過程で遺伝要因の寄与が大きくなる方が一般的であるとした。
山下『小児期のアタッチメント/トラウマと成人期の対人関係』精神科治療学 33(4):410-427, 2018
思春期までは育てられ方や対応など環境要因の影響を受けますが、思春期に神経細胞ネットワークに刈り込みと再編成が起きた後は、その人自身の遺伝的な固有性の影響が大きくなります。つまり「自閉症スペクトラムなどの発達障害」の遺伝負因をもっている場合、愛着の問題よりも特性としての発達障害要因の方が目立ってくるということです。
加えて、「愛着障害(反応性愛着障害・脱抑制型対人交流障害)」や「アタッチメント行動に関連する問題(未統合型などと呼ばれる無秩序/無方向型あるいは混乱型のアタッチメント・スタイル)」と、「自閉症スペクトラムなどの発達障害」との間には表現型の重なりがみられるため、『最初にあったものが、発達の問題なのか、愛着の問題なのか、よくわからない場合が多い』ということなのです。
多くの人たちが興味をお持ちの「愛着障害(アタッチメント障害)」と「不安定型アタッチメントスタイル(愛着の問題)」との関連については、以下のように説明されています。
一般人口での安全型以外の不安定な愛着パターンの頻度は40%と高く、病的な養育環境で多い無秩序/無方向型も15%にみられる。その大多数は特定の対象に限定され、反応性愛着障害の診断には至らないと言われている。
(中略)
DSM-IVで反応性愛着障害の診断基準を作成したアメリカのワーキンググループは、一般人口でこの診断に該当する子どもは1%に満たないと試算している。
(中略)
アメリカで不適切な養育を受けた子どもでは抑制型を中心に両者の混合型を含めて約40%が反応性愛着障害の診断に該当した。
わが国のTadano(只野)らの施設児についての調査では、61%が反応性愛着障害(抑制型)と診断されている。
『ICD-10精神科診断ガイドブック』中山書店
アタッチメントは恐怖や苦痛に対して、①愛着対象に対する接近する行動と、②内的な情動を静めるための「行動コントロールシステム」、と考えられています。
アタッチメントは愛着対象との間で選択的に形成されますから(特定の対象に限定される)、たとえば、母親との関係では不安定型であるものの、父親との間では安定型、ということもあるわけです。
さらに、一般人口の中で「愛着障害」と診断される割合は1%未満であり、虐待やネグレクトを受け、劣悪な養育環境にある施設で育ったケースであっても、40〜60%しか愛着障害と診断されないのです。
逆に言うと、虐待・ネグレクトや不適切な施設養育をうけたケースの半数以上は、愛着障害と診断されないということです。
つまり、一般の人たちが考えている「愛着障害(アタッチメント障害)」は「不安定型アタッチメント・スタイル(愛着の問題)」であり、成人であれば配偶者やパートナーなどの特定の愛着対象との間で「関係性の問題」として浮上してくるのです。
そのため、「人を信じられない」「人との関係が築けない」など、愛着対象ではない他者との関係構築困難は、愛着の問題というよりも、特性としての発達障害要因による影響が大きいのかもしれないと考えられるのです。
蛇足ですが、「HSP(Highly Sensitive Person:すごく敏感な人)ではないか?」と受診を申し込まれる方がいらっしゃいます。
残念ながらHSPは、「精神疾患の分類と診断の手引き(DSM-5)」にも「精神および行動の障害〜臨床記述と診断ガイドライン(ICD-10)」にも掲載されていないので、私たちはよくわからないのです。
例えば、音や匂いなどの「感覚過敏」であれば自閉症スペクトラムなどの発達障害が鑑別になりますし、「対人関係過敏」であれば、妄想性障害(敏感関係念慮)や社交不安障害、あるいは自閉症スペクトラムなどの発達障害が鑑別に挙げられます。
できれば「△△ではないか?」ではなく、「◇◇という症状があって困っている」「○○という症状があるので□□ではないかと考えている」、という言い方で表現していただければと思います。
こころの健康クリニック芝大門では、複雑性PTSD、発達性トラウマ、愛着トラウマ、関係トラウマなど、さまざまな要因による対人関係過敏や幼少期の逆境体験で、「生きづらさ」を感じていらっしゃる方の治療を行っています。
該当する方がいらっしゃいましたら、こころの健康クリニック芝大門のメンタルヘルス外来にお申し込みくださいね。
院長