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ただいま、わたし  

[2021.01.29]

少し前のことですが、リワークに通っているAさんがこんな話をしてくださいました。

「会社の人にメールを送ったけれど、なかなか返信が来なくてもやもやしたので散歩に出かけました。歩きながらリワークで教えていただいたセルフモニタリングや自分と相手のメンタライゼーションをやってみたら、すごくすっきりしたんです。その時、少し前までは不安になると抗不安薬を飲んでいたけれど、その薬を飲み続けていたらこの“スッキリ感”を味わうことはできなかったんだなと思いました。抗不安薬を飲むことは私にとって役に立っていなかったんだと気づきました。」

 

また別の患者さんはこんな風に仰っていました。

「今までは課題のプレッシャーに負けて食べていたけれど、やらないと始まらないし、取り掛かるほうがこころ的に楽だなと思った。嫌なことから逃げ続けるほうがつらい。結局現実からは逃げられないんだなって。それに、今までは課題の存在自体がストレスだと思っていたけれど、どうして自分はこの授業をとったのかを考えてみたら、苦手だから取ろうとかやりたいと思ったから取ったんだって思い出した。自分を成長させてくれるものだと気づいた。あとは、完璧じゃなくてもやれることをやろうと思った。完璧にやろうと思うからストレスなんだと気づいた。」

 

私はお二人の言葉を聴きながら、涙が出そうになるくらい心を動かされました。彼女たちが自分の足で歩き、自分の中に答えを見つけていく様をこんなに間近で見せていただいたというのは、本当に頭の下がる想いがしました。

同時に患者さんたちから発せられる言葉はいつも、私自身を振り返る大切な機会であると感じています。自分に正直になること、現実から、自分から目を逸らさないということ。彼女たち自身の経験から生まれたこれらの言葉には真実という力が宿っていて、それがとてもストレートに私の胸に響きます。そして私自身に問いかけてくるのです。

 

こうして考えてみると、目の前の患者さんは一般的には患者さんと呼ばれるけれども、私にとっては「患う者」ではなくて、「自分を育ててくれる人」なのだと感じるのです。そして、苦しい人生を生き抜いてきて今私の目の前に座っていらっしゃるのだから、その人の中にこそ答えがあるのだということを、日々教えられています。けれどもあの事件が起こるまで、私はずいぶんと長い間その気持ちを忘れていました。

 

先日なぜか急に思い立ち、数年ぶりに研修医時代のポートフォリオを手に取りました。私が研修医になって最初に立てた目標や看護師、ソーシャルワーカー、薬剤師など、多職種体験をした時の感想、患者さんやスタッフからいただいたお手紙など私の2年間がつまったものです。そしてそこには自分でも書いた内容を忘れていましたが、紛れもない私自身の言葉が散りばめられていました。

目標には「初心を忘れない。“出会う人皆師なり”。一人の人間として成長したい。聴く耳、感じる心、考える頭、行動、希望。笑顔とユーモア」。

経鼻胃管を生まれて初めて入れてもらったときには「キシロカインゼリーを塗ってもあれほど痛く、苦しいとは…。でも患者さんの痛みを理解するには自分が経験しないと分からないのでやって良かった。」

診療所の先生のお話を聴いて「病気を診るのではなく、目の前の患者さんが今何に困っているのか、何がつらいのかを分かろうとすることが大切。」

看護師とさん一緒に夜勤を体験して「人間はみんな同じなんだ。生きていれば皆尿も便も出るし、年をとるんだ!」

ページをめくりながら、医師として歩み始めたばかりの自分の姿がありありと蘇ってくるようでした。

 

医学部生の頃も、研修医の頃も、「患者さんから学ばせていただく」という言葉を何度耳にし、自分自身何度口にしてきたことでしょう。けれども私は、いつしかその心を見失っていました。皮肉なことに私は、一生懸命「立派な医師」になろうとして、気が付いた時には私が最もなりたくない私になっていたのでした。

そんな時にあの大事件が起こり、私を日々育ててくれる人たちの存在に改めて気づかされました。そして過去の私に呼ばれるように開いたポートフォリオの中に、私は医師ではなく一人の人間としての私を見つけたような気がしました。

 

とっても長い時間がかかってしまったけれど、ただいま、わたし。

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