摂食障害から回復したい気持ちを保ち続けるために
「一月往ぬる 二月逃げる 三月去る」という言葉をご存じの方もいらっしゃるかもしれません。goo辞書には、「正月から三月までは行事が多く、あっという間に過ぎてしまうことを、調子よくいったもの」とあります。
確かにこの時期は時間が過ぎ去るのが早く感じるだけでなく、年度末も重なるので何かと忙しくなると同時に、4月からの新年度を迎える前の「変化の準備」の時期でもありますよね。
「変化の準備」ということで、このブログでは何度も、摂食障害から回復するための《行動変容を動機づける5段階》の説明をしてきましたよね。
《行動変容を動機づける5段階》は、「前熟考期(回復する10の段階の1〜3)」から始まって、「熟考期(回復段階の4,5)」から行動変容のモチベーションを高める「準備期」、そして行動を変えていく「実行期(回復段階の6〜8)」から「維持期(回復段階の9,10)」へと、自分の心と向き合い、思考や行動を変えていくモチベーションを維持するためのステップを表しています。(『摂食障害から回復するための8つの秘訣』参照)
この本を書き始めて以来、食べ物や原稿書きや校正などのいろいろな関連作業に膨大な時間をかけてきました。
音楽のためにも、その他のことのためにも、時間はただ魔法のように「有り余っている」ものではなくて、自分でつくるものなのだと、はっきりとわかるようになりました。
時間づくりは、今も努力して取り組んでいる課題です。
シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店
「熟考期(回復段階の4, 5)」にある人たちが治療を受けようと思うとき、「定期的に通院できない」あるいは「課題の本を読むことができない」理由として、勉強や仕事が忙しい、時間が取れないなどを理由に挙げられることも多いのです。
ジェニーさんが書いているように「(時間は)自分でつくるもの」に取り組んだとしても、24時間のうち1秒も課題の本を読んだり、自分と向きあう時間を捻出できない、と思い込み、受け身の姿勢のままで身動きできないように感じてしまうのが「熟考期(回復段階の4, 5)」の特徴なのです。
『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』の「日本語版の序」で、ジェニーさんはこう述べていました。
治療を受けようと思うときにはいろいろな障害が立ちはだかるものですが、決してそれらに回復の邪魔をさせないようにしましょう。
なぜ回復できないかの理由は、みなさんなら、いくらでも思いつくでしょう。しかしあえて、なぜ回復できるのかという理由に焦点を当てることをお勧めします。
(中略)
こうして振り返ってみると、回復するということは、それまでの規定の枠組みから外へ飛び出して、柔軟に考えてみるということかもしれません。
(中略)
『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』を読んでいただくとおわかりになると思いますが、私が自ら従わないようにした規則の中でも一番影響力のあったものは、心の中で聞こえ続けていた、「常に完璧でなければならない」というものでした。
シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店
治療に費やす時間を捻出することは、「それまでの規定の枠組みから外へ飛び出して、柔軟に考えてみる」ということです。
このことは、こころの健康クリニックでは対人関係療法の導入部分で、「うまくいかなかったら別のやり方を試してみる」ことが行動の仕方を変えていく秘訣である、と説明していますよね。(『「できない」と「しない」:行動主体の取り戻し方』も参照してくださいね)
新しい行動を意識的に、3日、3週間、そして3ヵ月続けてみることで、その行動は習慣となるのです。
しかしながら、「たとえ、その方法が役立たないとしても、ストレスが高まりそしてその反応として何かを変えようとするときに、人はいつも自分の行動レパートリーの中で最もよく使う問題解決法で必要を満たそうとする」ことが知られています。
なぜならば、無自覚に慣れ親しんだやり方を自動操縦的に行ってしまうからです。無自覚な行動でも3ヵ月続けると習慣になってしまいます。
摂食障害行動も同じで、「食べ吐きがクセになった」と感じ、その結果、モチベーションを下げる結果につながってしまいますよね。(『「過食嘔吐が癖になっています」』『過食や過食嘔吐はクセ(習慣)になるのか?』『クセになった過食や過食嘔吐とどう取り組むか』『慣れ親しんだ考え方や考え方のパターンに気づいていく』『嗜癖(クセ)になった食行動異常からの回復:衝動の波に乗る』『嗜癖(クセ)になった過食:計画的過食(とりあえず過食)とは』などを参照)
摂食障害からの回復の第一歩は、強迫的な「完璧主義(…べき思考)」と評価(ジャッジメント)に基づく「白黒思考」などの思考の有用性を見極め、役に立っていないなら別の考え方ができるようになる、自分の思考との付き合い方を身につけていくプロセスなのです。
どうしたらいいかは私にはわかっていました。でもそうすることを拒んでいたのです。
なぜ実行することができなかったかについては、あらゆる理由がありました。
大変だから。つらいから。怖いし疲れている、というよりも体力も気力も使い果たしてしまった。
一番説得力がありそうな理由は、もしかしたらエドとほんのちょっとだけつながりを保ったままでも幸せになれる方法を見つけられるかもしれない、というものでした。
でも、これは大間違いでした。
シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店
今まで通り、「何も変えない・変わろうとしない」ことを続けながら、摂食障害の症状だけがなくなって欲しいと考えることは、「もしかしたらエドとほんのちょっとだけつながりを保ったままでも幸せになれる方法を見つけられるかもしれない」という回避を支える理由づけ(まことしやかな言い訳)を自分に言い聞かせて納得させて、自分の心と向きあうことを先延ばしにしようとしているのかもしれませんね。(『アレキシサイミアと回避を支える理由づけの文脈』『「できない」と「しない」:行動主体の取り戻し方』参照)
対人関係療法による摂食障害の治療プロセスは、行動主体自己を成長させること(心の中で何を考えてどう感じているかを知る)と、自己の心的表象の投影同一化に頼らない対人関係行動が取れるようになることを目指していきます。
行動主体自己の成長は、摂食障害思考とのつきあい方を学び、摂食障害行動を使わなくても感情調整ができるようになる能力(行動の背景に感情が存在することの理解が感情の調節力につながる)を発達させることです。
井上靖の有名な小説『あすなろ物語』をご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
「あすは檜(ひのき)になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって!それであすなろって言うのよ」
「僕だけかな」「何が?」「あすなろなのは!」
「だって貴方はあすなろでさえもないじゃありませんか。あすなろは、一生懸命に明日は檜になろうと思っているでしょう。貴方は何にもなろうとも思っていらっしゃらない」
井上靖『あすなろ物語』新潮社
「もし△△になったら、◇◇をしよう」と考えていても、「△△」になる日は永久に訪れません。なぜなら「△△」になるためには何が必要か、そのためにはどのような行動を選択したらいいかの方略が抜け落ちているからです。
「いつか△△が向こうから訪れてくれるかもしれない」という楽観的な受身の姿勢が変わらないかぎり、棚ボタを期待していても行動が変化しないため、変化が起きないのは当然なのです。
皆さんの治療に対するモチベーションや、自分の心と向き合い思考を観察して、行動の仕方を変えて、乱れた食行動(摂食障害)から回復する試みが「あすなろ」にならないことを願っています。
院長