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無力感の先に

[2020.10.23]

自分の中で「あぁこれが私なんだ」と実感できたとき、それまで胸のあたりにひっかかっていた何かがすとんと落ちたような感覚を覚えました。そしてそれと同時に、急速に私の中の摂食障害が遠ざかっていくのを感じました。

しかし私を取り巻く環境が大きく変わってしばらくした頃、もうどこか遠くに行ってしまっていると感じていた私の中の摂食障害が、再び舞い戻ってきたのでした。

 

そんなある日、過食のスイッチがon状態で私はコンビニに入りました。ぐるぐるぐるぐる食べたいものを探して、何度も店内を回りました。けれど何度見て回っても食べたいものが見つからないのです。でも食べたい気持ちは確かに感じていました。

結局私は買うことを諦め、お店を後にしました。けれど、家に戻っても「何か食べたい」という気持ちは治まりません。冷蔵庫のドアを開けたり閉めたりを繰り返しました。でもやっぱり食べたいものは見つからないのです。

 

そして、そんなことに疲れた私はソファに突っ伏しました。どのくらいの時間そうしていたでしょうか。実際は5分前後だったのでしょうが、その時の私にはとても長く感じました。なぜだか涙がぽろっとこぼれて、立ち上がって洗面所へ行き、歯を磨いて眠りました。

そして翌朝、私はようやく今の自分と向き合う決心がついたのでした。

 

「摂食障害から回復するための8つの秘訣」では、症状の再燃についてこんな風に説明していますよね。

後戻りは、そのときのあなたにはまだ対処できない経験をしたというだけのことで、そこから新たに学んで対処できるようになればいいのです。(中略)覚えておいてください、しばらく調子が良かったあとに再度摂食障害行動が戻ってきたとしても、希望を持ち続ける理由はいくらでもあります。私たちはクライエントさんに必ず伝えるのですが、症状が再燃するのもたいていは回復への過程への一部なのです。

キャロリン・コスティン、グエン・シューベルト・グラブ著「摂食障害から回復するための8つの秘訣」より

 

けれども久しぶりに症状の再燃を経験した私は、絶望感や情けなさ、恥ずかしさに打ちのめされていました。どうしてまた舞い戻ってしまったのか、まるで今まで私が歩んできた過程すべてが帳消しになってしまったかのような気持ちでした。

ですから今まで症状が再燃するたびに何度も自分に言い聞かせてきた「私がまだ経験していない新しい課題とは何だろう」という言葉も、この時はどこかへ行ってしまっていました。

 

そんな時、食べたいものを探し求めても見つからないということを経験したのでした。そして「もう食べ物では解決できないのだ」ということを受け容れるしかありませんでした。昔は過食の果たす役割も多少なりともあったと思いますが、もう今は違うのだということを強く実感させられた出来事でした。

 

では、この時の私は、どんな新たな課題にぶつかっていたのでしょうか。それは当時私が感じていた「無力感」がテーマだったような気がします。

この頃の私は、技術や経験が乏しい分自分の生きてきた人生すべてで、自分という人間すべてで患者さんに向き合おうと考えていました。最初の頃はそれでうまくいっているような気がしていました。

 

けれども、しばらくすると心身ともに非常に重篤な大勢の患者さんたちを目の前にして、段々と私の中に「無力感」だけが大きくなっていくのを感じました。しかも、患者さんのために何とかしてあげたいと思えば思うほど、その無力感はより強く感じられました。

結局私はこの「無力感」とはしばらくの間一緒にいることになりました。しばらくもがいて、そしてある時ふとこう思いました。「無力感を感じることさえも傲慢ではないか」と。

 

そもそも私の中で膨らんでいたものは「無力感」とは少し、いえ、だいぶ違っていて、「何もできない自分は無能だ」とか「自分はだめだ」という思考でした。そしてそれは「患者さんを何とかしよう」という独りよがりな考えから来るものでした。

つまり、患者さんがどうなりたいのかという視点を置いてけぼりにしたまま、私は自分が何とかしなければ…と自分、自分になっていたのです。そしてあまりに大きくなりすぎた「自分」の声で、私は患者さんの声を聴き取れなくなっていました。

 

久しぶりに姿を現した私の摂食障害は、そんな私に対する警鐘だったのかもしれません。そしてその先に見えたものは「目の前の患者さんと与えられた時間を精一杯生きる」ということでした。

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