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摂食障害を「手放す」のに必要な「責任」と「自覚」

[2020.11.30]

こころの健康クリニックでは、対人関係療法による治療の導入時の心理教育で、《自分の選択に「自覚」と「責任」を持つ》ことを教えていますよね。

 

怖れを手放す』に「出来事をどう体験するかは選択できるので、その責任は私たちのそれぞれにある」「ものごとのとらえ方は自分で選べるのだから、今つらいとしたら、自分がそういうとらえ方をしたということで、それは自分の責任でしょう」と書いてあります。

 

責任」は、当然負わなければならない任務や義務や、自分のした事の結果について責めを負うことではありませんよ、とこころの健康クリニックでは教えています。

そして、「責任レスポンシビリティ≒レスポンス+アビリティ)」とは、何かに対して応答すること、応答する状態、つまり、ものごとに取り組み結果を引き受けること、と説明していますよね。

 

私の場合、「もっと上手に振る舞う」とは、回復を目指す行動を何度でも選び、そのたびに私の選択に責任を持つことを意味しました。

(中略)

あなたなりの方法でかまいませんので、回復への道とあなたの人生に深くかかわるような何かに対して、どんどん責任を引き受けながら力を注いでみましょう。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

ジェニーさんの文章の「責任」を「取り組み、結果を引き受けること」と読み替えてみると、試行錯誤しながら進んでいく感じがよくわかると思います。

 

「責任(レスポンス+アビリティ)」を持つためには、認識する主体(自分自身)を変えていく必要があります。この時に重要になるのが「自覚」です。

 

自分では無意識で自覚がなかったけど、そんなことが最近ではすっかりなくなり、後になって気がついて、アレっ!?そういえば私、お菓子の売り場を見ることもなく素通りして違うものを買ってた。。。」と、Akoさんは「最近のワタシ。」で自覚のことにちょっとだけ触れています。(ブログは削除されています)

 

こころの健康クリニックでは、「自覚(アウェアネス:自分の心の状態に気づいていること)」とは、自動生起する「評価(良い/悪いの価値判断:ジャッジメント)」に気づき、手放し、ただ観ること、と教えていますよね。

 

実は「自覚(アウェアネス)」と「評価を手放すこと(ノン・ジャッジメント)」の2つ、「評価を離れた自覚(これが心を潤すスピリチュアルな滋養物であり、セルフ・コンパッションの源泉です)」が、摂食障害から回復するための非常に重要なキーポイントになるのです。

摂食障害から回復する10の段階のうち「8.行動からも思考からも解放されているときが多いが、常にというわけでない」と「9.行動からも思考からも解放されている」を分けるポイントが「評価を離れた自覚」の有無なのです。

 

ここで『摂食障害症状を手放すには』で触れた、もう一つの「手放す」やり方を解説しておきますね。

 

お気に入りのペンを握りしめた手のひら側を上にして、ゆっくりと指を開いてみてください。お気に入りのペンは手のひらの上にあるだけで、無くなったり下に落ちたりはしていませんよね。

 

つまり「手放す」とは、「触れつつ一緒にいること(巻き込まれないこと、思考の後を追わないこと)」なのです。

 

摂食障害から回復した人たちの中には、エドをポケットにしまっておけるのだと知って、はじめて回復への道を全力で進めるようになった、と話してくれた人がたくさんいます。

(中略)

どういうことかと言うと、エドをポケットにしまっておいたというこの人たちも、やはりエドを完全に手放して、回復するための行動をし続けました。摂食障害行動は選択肢には入っていませんでした。

でも、心の奥の片隅で、そうしたくなったらいつでもエドとまた一緒になることを選べるのだと知っていたのです。

矛盾するようですが、そうすることで、エドとまた一緒になるという選択肢を、かえってエドもろとも完全にポケットから捨て去れるようになったのです。

シェーファー、ルートレッジ『私はこうして摂食障害(拒食・過食)から回復した』星和書店

 

Akoさんはこの状態について「から、今の私を表現するときに"普通の人みたいに暮らしています"となりました」と「最近のワタシ。」に書かれていました。

 

Akoさんのブログを読まれたことのある方は、不思議に思った人もいるかもしれません。

本には『対人関係のストレスが軽くなり、自分のコミュニケーションにどうにか自信がついてきて、まず精神的に楽になります。その後、だんだんと食行動が正常化してきます。「症状はストレスの表れ」ですから、食行動の方がストレスよりも先によくなるということは考えられないのです(水島『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』紀伊國屋書店)』と書かれているからです。

 

ちょっと考えてみてください。

「症状はストレスの表れ」であるなら、「精神的に楽」になったとき、つまり出来事をストレス因と感じないためストレス反応も起きませんから、摂食障害症状は消失しているはずです。

しかし「精神的に楽に」なったにもかかわらず、摂食障害症状が残るのはなぜでしょうか?どう思いますか?

 

ジェニーさんは「エドはもう私たちのことを支配してはいないのです。だから、エドのせいにはできないのです」と説明しています。

エドが支配していないのなら、「精神的に楽」になった後には、何が摂食障害行動の引き金になっているのでしょうか?

皆さんは、どう思いますか?(『摂食障害症状と摂食障害思考はいつ改善するのか』参照)

 

ジェニーさんだけでなく、こころの健康クリニックで対人関係療法を受けたAkoさんも、そして「星とたんぽぽ」を書いてくださっている風間副院長も、精神的に楽になることと摂食障害症状が減ることが同時に起きていますよね。

 

この回復の仕方の違いは、どこからくるのでしょうか?

 

古典的な対人関係療法では、重要な他者とのコミュニケーションのみに焦点を当てます。「自分自身との関係」がある程度できている人であれば、古典的な対人関係療法のすすめ方でも摂食障害から回復できました。

しかし、思春期のアイデンティティの発達課題を抱えた人の場合は、「自分自身との関係を改善すること」「行動の仕方を変えていくこと」が難しいのです。

 

加えて古典的な対人関係療法では「熟考期」「準備期」の評価の基準がなく、過食症は慢性疾患であるにもかからわらず急性疾患と同じような「病者の役割」を与えることで、重要な他者に精神的・身体的な負担をかけることも多かったのです。

その状態で重要な他者との「二者関係」それもコミュニケーションに焦点を当ててしまうと、自分自身に対する否定の言葉(たとえば「私にはできない」「して欲しくない」など)がそのまま二者関係に反映され、重要な他者との二者関係を悪化させてしまうことが頻繁に起きました。(「性格と間違われやすい気分変調症」でも同じようなことが起きます)

これが従来の対人関係療法による過食症の治療で、効果の発現が遅かったり、あるいは効果が乏しかったりした理由でした。
(対人関係療法を受けている/受けたけど、摂食障害症状がなかなか治らない肩はこころの健康クリニックに相談してくださいね)

 

一方、「生き方(「ライフ・ゴール」)」を焦点とする新しい対人関係療法による治療では、「評価を離れた自覚(自他の心の状態を理解するメンタライゼーション)」を柱として、「自分との関係の改善」「行動の仕方の変容」に取り組んでいくことで、二者関係・社会との関係の改善がやりやすくなりますから、精神的に楽になることと摂食障害症状が減ることが同時に起きるのです。(『摂食障害の対人関係療法による治療の特徴』参照)

 

「自分との関係の改善」「行動の仕方の変容」をもとに「二者関係の改善」が達成された状態が、こころの健康クリニックの対人関係療法による治療で目指していく《摂食障害から回復する10の段階》のうちの[8段階目]の状態なのです。

アタッチメントの動的成熟理論でも説明されるように、これは思春期の発達課題である「アイデンティティの確立」でもあるのです。

 

そして治療期間中にぶり返し(再燃)を体験した後に「評価を離れた自覚」が生まれてくると、Akoさんや他の患者さんたちが実際に体験した[9段階目]、そして「行動や思考から解放されている」[10段階目]の「摂食障害からの完全な回復」を体験できるのですよ。

 

院長

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