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初めの一歩

[2020.06.12]

先日、ある手続きのために自分の戸籍抄本を見る機会がありました。これまでも何度も目にしたことはあったのですが、この時はなぜかいつもと違っていました。

 

今までほとんど意識せずにいた、「届出日」と「届出人」という欄に目が行きました。そこには、私が生まれた9日後に父が役所に出生届を出したことが記載されていました。

私が生まれてから出生届を出すまでの9日間、両親はどんな気持ちで、どんな会話をして名前を決めたのか。父はどんな気持ちで出生届を出したのか。それを想った時、私はとても温かい気持ちになり、じんわりと涙があふれてきました。そして、私という人間の生命の誕生が誕生日だとすると、父が出生届を出してくれた日は、社会の一員として仲間入りを果たした日だと言えるのではないかと感じました。今まで何の意味も持たなかったその日は、私という人間の初めの一歩を示してくれているようでした。

 

考えてみると、私たちは生きていく中で様々な経験をしますが、それらに自分なりの意味付けをしひとつのストーリーとして紡いでいくという作業を通して、出来事を咀嚼し消化し、自分の一部として取り込んでいくのではないかという気がしています。

 

例えばこの半年以上、私たちは新型コロナウイルスという見えない相手との闘いに直面しています。このようなことは、自分の意志ではどうにもできない致し方のない出来事です。しかし、やむを得ない出来事だからこそ、一人ひとりがこの現実を受け止め、もう一度自分のストーリーとして紡ぎなおすことが大切なのではないかと思うのです。

 

例えば、私にはこの新型コロナウイルスの存在によって、今まで水面下にあった問題や課題があぶり出されているような気がしてなりません。24時間営業している店舗が休業したことでホームレスが増加したというニュースがありますが、新型コロナウイルス感染が広がる前から住居のない潜在的なホームレスと言える人たちはたくさんいたということです。

感染を広げないために急速に在宅勤務が広まりましたが、日本の尋常でない通勤電車の混雑具合は、もうだいぶ以前から解決しなければならない課題の一つだったはずです。医療従事者やベッド数についても、不足や大都市への集中といった問題は今始まったことではありません。

この新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちに物質的に豊かになりすぎ、便利になりすぎた現状を、そして一方では表面上の豊かさに埋もれている社会の弱さや脆さを考え直すきっかけをもたらしているのではないでしょうか。

 

作家である小川洋子さんは河合隼雄さんとの対談の中でこのように述べています。

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。

(後略)

小川 洋子、河合 隼雄 「生きるとは、自分の物語をつくること」より

 

たとえ「避けようのない出来事」として経験された出来事であっても、自分自身のストーリーとして物語ることでそこに主体性(能動性)が生まれます。自分でハンドルを握っている感覚が生まれると、そこに少しずつ安心感や癒しが生まれます。そうやって人はまた、歩き出せるのではないかと思うのです。

 

人類の歴史上、私たちは繰り返しウイルスの猛威にさらされてきました。しかし、それは一人の人間が生まれてからこの世を去るまでに、そう何度も経験することではありません。ですから誰かを責めたり非難したりする前に、まずは皆で知恵を出し合い、一人ひとりが自分のこととして受け止めることが大切なのではないでしょうか。

 

自分にできることは何なのか、自分にとって本当に大切なことは何なのか。そしてこの出来事が自分にとってはどんな意味があるのか。この自然からの問いに向き合い、それぞれのストーリーとして物語ることが、私たちの新しい生き方の「初めの一歩」となるのかもしれません。

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