HSP(繊細さん)と発達障害
11月3日(文化の日)の直前なので、軽い読み物を書いてみます。
3年ほど前、日本全国がコロナ禍で、人々が息をひそめるようになった頃でした。
その頃にこころの健康クリニック芝大門を受診された方のうち数人が、「私はHSPなんです」とおっしゃっていました。
書店の一般向けの書籍で、HSPや「繊細な人」「敏感な人」などのタイトルは目にしていたので、「HSPは医学的に定義されている状態ではなく、おそらく自閉スペクトラム症(ASD)など、発達障害に伴う感覚処理に問題がある状態なのではないでしょうか」と申し上げたところ、「発達障害とは違いますっ!」と大変な剣幕で叱られたことがありました。(汗)
その後もHSPが学術誌に取り上げられることは、当然のことながらありませんでした。しかし今回、たまたま『いわゆる「HSPブーム」がASD支援にもたらしている弊害』(そだちの科学 41: 66-71. 2023)という小論を目にしたので、一緒に読んでみましょう。
HSPブーム
2019年頃から突如、HSP(Highly Sensitive Person)という概念が複数のメディアで取り上げられるようになった。コロナ禍となった2020年には地上波の人気番組やNHKなどでも取り上げられるようになり、芸能人のHSP公表が相次いだ。
これらを受け、ネットやSNSでもHSPが多く検索されるようになるなど、まさに「HSPブーム」と呼べる状態が生まれている。
こうした「HSPブーム」は学術的な研究とはかなり距離がある。(中略)HSPは学術的なエビデンスに基づく研究の成果というよりも、自己啓発本に見られるようなポップな概念として流行しているような印象を受ける。
(中略)
HSPという概念の持つキャッチーさゆえ、そうした学術的エビデンスが各種メディアやSNSでは殊更強調され、あたかも「科学的に立証された概念」であるかのように広まってきているように思われる。
菊地. いわゆる「HSPブーム」がASD支援にもたらしている弊害. そだちの科学 41: 66-71. 2023
HSPを自称される方の多くが、「HSPと発達障害は違う!」と強調されます。
「HSPは他者の気持ちに敏感で、気づかいをしすぎるので、人疲れしやすい」、と表現されていました。
発達障害特性を有する人の多くが「対人過敏性」を有しており、他者の表情や言動から心理状態を推測しようとされます。しかし多くは、他者の心理を読み違え、たとえば、「あの人は私を嫌っている」など自分に都合の悪い結論を出す傾向が多いようです。
このような状態を「頭の中の他者が大活躍している」と表現したことがあります。(『リワークプログラムでの対人過敏性の改善』参照)
「対人過敏性」を有する人達は、他者の心理状態について黙示的に理解することができない(マインド・ブラインドネス)ため、他者との関係の構築や維持に労力を要するのではないか、と考えられます。
このような、「対人過敏性」や発達障害特有の「感覚過敏/鈍麻」などの感覚処理の問題と、HSPは同じではないか?が臨床的な感覚でした。
発達障害とHSP
実際に発達障害とHSPは異なるものなのであろうか。
この疑問について筆者は2023年1月、ある研究結果を発表した。この『HSPと発達障害は区別可能なのか?』と題した紀要論文をSNSで紹介したところ、多くの反響があった。
(中略)
本研究の結果より、HSPと発達障害を明確に区別可能とする証拠は見当たらず、むしろ両者はかなり密接な関係があること、どちらかといえば発達障害の一つの側面としてHSPがあると考えた方がよい可能性が示された。
菊地. いわゆる「HSPブーム」がASD支援にもたらしている弊害. そだちの科学 41: 66-71. 2023
ダウンロードして論文を読んでみると、たしかに、「HSPと発達障害は密接な関係がある」「発達障害の一つの側面としてHSPがある」との説明はわかりやすいうえに、臨床感覚ともマッチするものでした。
HSPと発達障害は区別可能なのか?(←クリックするとダウンロードされます)
HSP本の特徴として、HSPを「繊細さん」と称すなど、“特別な価値のある存在”であることを強調するものが多い。
そこにはASDなどの発達障害に対する無意識の偏見を秘めているように感じる。そのことは発達障害当事者あるいはその保護者が「自分(わが子)は発達障害ではなくHSPである」と主張し、発達障害としての支援を拒否するなどの事態につながっている。
菊地. いわゆる「HSPブーム」がASD支援にもたらしている弊害. そだちの科学 4: 66-71. 2023
HSPに固執される方の中には、発達障害に対する偏見が潜んでいる、との指摘も納得できるものでした。
HSPと医療ビジネス
「HSPブーム」の問題は、怪しげな医療ビジネスにも波及しているようです。
飯村は、こうした「HSPブーム」がさまざまな弊害をもたらしていると指摘している。具体的にはブームに乗じた根拠のないHSP医療ビジネスや資格ビジネスなど、その弊害は多岐にわたる。
(中略)
発達障害は脳機能の問題でありHSPは生得的な気質と位置づけてしまうと、発達障害を脳機能の計測によって診断可能だと誤解させてしまうこと:実際にHSP医療ビジネスに関与している某クリニック等では脳波の測定によって発達障害診断を下すと謳うなど、エビデンスに基づかない医療行為等の問題が生じている。
(中略)
このような現実の発達障害概念とは大きく乖離したような記述は決して怪しげなHSPビジネスのサイトにとどまらず、地域医療の核となるような総合病院関連のHPにも記載されていることがある。
このような状況は、発達障害に対する不正確な情報を流布したり、障害に対する忌避感を煽ったりしかねない。
菊地. いわゆる「HSPブーム」がASD支援にもたらしている弊害. そだちの科学 41: 66-71. 2023
上記の引用で指摘されているHSP医療ビジネスと、『大人の愛着障害と愛着スペクトラム』で指摘した、愛着障害や発達障害は脳波検査(QEEG)で診断することができ、薬に頼らない反復的経頭蓋磁気刺激療法(TSM)で治療が可能である、と謳うアヤシゲな医療ビジネスは、同じ医療機関を指しているようです。
発達障害概念の拡大に伴い、発達障害とは異なる別の概念によって説明しようとする問題はHSPだけに留まらない。アダルトチルドレンや愛着障害など、繰り返し問題になってきたことである。
菊地. いわゆる「HSPブーム」がASD支援にもたらしている弊害. そだちの科学 41: 66-71. 2023
ハーマンは戦争捕虜、家庭内暴力の犠牲者、幼少期の虐待の被害者などお既往を有する人たちを、「境界性パーソナリティ障害」と区別するために「コンプレックスPTSD」という概念を提唱しました。(ハーマン『心的外傷と回復』みすず書房)
ハーマンが提唱した「コンプレックスPTSD」と、2018年にICD-11に掲載された「複雑性PTSD」の概念は、いまだに混同されています。
さらに、『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの違い』で書いたように、「複雑性PTSDは言葉の暴力、インターネット上の攻撃、いじめ、ハラスメントでも発症するが、周囲からの温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに進む」など、誤解にもとづく拡大解釈がすでに生まれてしまっています。
発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの違い
一般向けの書物が多く刊行されている「発達性トラウマ障害」だけでなく、「複雑性PTSD」についても、本来の疾患概念が歪んでしまわないように願うばかりです。
院長