複雑性トラウマ・愛着外傷による複雑性PTSDの治療
愛着トラウマやその影響について解説してきた『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』の「第1章・妻セリという症例」も今回で終わりになります。
セリさんの症状は、ICD-11の「複雑性PTSD」と呼ぶにはあまりにも多彩な症状であり、セリさんが自分ではそうではないかと感じたように「強迫性障害」や「境界性パーソナリティ障害」、あるいは「双極性障害」などの単一のカテゴリーには収まりきれない症状群でした。
セリさんのさまざまな症状は、ハーマンが提唱した「複雑性PTSD」、あるいは、ヴァン・デア・コークが提唱した「DESNOS(特定不能の極度ストレス障害)」と考えざるを得ないケースでした。
特に幼少期から慢性的に支配関係におかれ、虐待を受け続けた場合、人格形成にも大きく影響を及ぼす。それゆえに情緒不安定型パーソナリティ障害などの診断がつくことが多い。
そのほか、表面に現れる症状によって、遷延するうつ病や不安障害、身体化障害、摂食障害、解離性障害、依存症といった病名で通院している人も少なくない。
重症化すれば、統合失調症様症状(サイコーシス)を呈することもあり、統合失調症と誤診されているケース、あるいは誤診とはそう簡単には言い切れないケースも見られる。
宮地・清水, 複雑性PTSDと統合失調症. そだちの科学36, 46-53. 2021
まさにセリさんのケースと重なりあうような説明ですね。
さて、そのセリさんですが、「おわりに 自己否定感の悪魔とさよならできて」にこう書いていらっしゃいます。
「生きることが楽しい」
そう心の底から言える人は、どれくらいいるでしょうか
この本を手に取ってくれたあなただから、「そんなこと思えるはずはがない」と悲しむかもしれません。
だけど、あんなにも死にたがっていた私は、今、実はそう思っています。
(中略)
十数年前は想像することもできなかった自由な日々を、私は今、かなえています。
自由なのは、行動だけじゃありません。この「心」もです。
自己否定感からくるネガティブな思考に振り回されず、どんな自分も、いつしか「愛しい」と思えるようになりました。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
セリさんは病気に関する本を読みあさり、自己否定感の根底には「認知の偏り」、つまり長い間に染みついた考え方のクセ(思考パターン)、【感情・考え・情動のコントロールについての気づき】に気づきました。
そして【心の状態の変化についての気づき;効果的な行動を積極的に学ぼうとする気持ち】を使って、「全か無か思考」「結論の飛躍」などの目的論的モード、「一般化のしすぎ」など心的等価モードに気づきました。
つまり、思考(空想)は現実ではなく、頭の中で起きている(脳内劇場)という認識(自覚:アウェアネス)と、思考に「触れつつ巻き込まれない」ことに取り組み続けたのです。
奇跡のようだと感じます。
だけど、これは奇跡じゃありません。
そして、こうなれたのは、魔法のような回復法があったわけでも、特効薬と出会ったわけでもありません。
ただ、ひとつひとつ、真摯に自分の心と向き合い、らくになるための、少ししんどい行動を起こしていった結果でした。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
「自分の心と真摯に向きあうこと」この言葉は、摂食障害や気分変調症だけでなく、すべての心の病からの回復の第一歩となる「セルフモニタリング」です。
そして、「らくになるための、少ししんどい行動」を起こし続け、《実行期:行動や認知を変化させるための活動を真剣に行っている》から《維持期:望ましい成果を維持し、リラプス(再燃)を防止するために努力している》を続けて、苦しみから解放されたのです。
生きることは、重苦しく、時に孤独で、困難です。
それでも、その苦しみを味わったからこそ、同じように苦しむ人に優しくなれます。つながりあえます。
傷を負った自分が生きることを、ほかの誰でもない、自分が許す———。
そして、「生まれてくれて、ありがとう」と、抱きしめてあげてほしいと思います。
あなたがそうできた時、そばで見守ってくれていた人の心も救います。
あなたに愛情や時間を注ぐばかりだった時期を卒業し、自分を取り戻し、自分らしく生きられるようになります。
一緒に、対等にしあわせを感じながら生きるという、奇跡のようなことが現実になってくれるのです。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
自分が自分自身の心の守護者になることで、自分を愛おしく思えるようになったとき、セルフ・コンパッションで培ったコンパッションの影響力は、関係性も癒すのです。
これが、【自己概念あるいはスキーマ(関係のなかにおける役割モデル)についての気づき;関係性の質】の変容です。
セリさんは「第1章・妻セリという症例」の最後に、こう書かれています。
虐待やDV、モラルハラスメントといった、機能不全家族が増えている今の時代、自己否定感や愛着の問題———それに伴う病気は、すぐ近くにあるのだと思う。
いつか誰がかかってもおかしくないし、誰がそのパートナーや家族になってもおかしくない。直面した時、慌てず、愛に包まれた対応ができるよう、もっとこの世界で病気の認知度が上がればと祈るばかりだ。
他人事ではなく、「社会全体」が、臭いものに蓋をするのではなく、真摯に見つめていくべきだと思う。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
トラウマ関連障害の症状は、「愛着障害によってもたらされる発達障害の臨床像であり、一部は複雑性トラウマによってもたらされる複雑性PTSDの臨床像」であり、「診断カテゴリーを越えて広い臨床像」を呈します。(『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』)
DSMやICDなど、症状カテゴリーによる診断では、木を見て森を見ず、あるいは、症状だけをみてその人の背景をみない、という臨床になってしまいます。
「ICD-11の公表と同時に、専門家は複雑性PTSDの治療を求められることになる」ため、セリさんが書かれているように、その人となりを「真摯に見つめていくべき」臨床が求められるのです。(『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』)
セリさんが書かれているように「もっとこの世界で病気の認知度が上が」り、複雑性PTSDや発達性トラウマ障害、あるいは愛着の障害など、「トラウマ関連障害」の診断と治療を行うことができる、こころの健康クリニック芝大門と同じような医療機関が増えることを願っています。
院長