食行動障害および摂食障害と「甘え」のアンビバレンス
『摂食障害と行動依存(アディクション)』で、最近の「排出性障害」から発症する「食行動障害および摂食障害(乱れた食行動)」の背景には、「暗黙の生きづらさ」によって生じた「孤立と無力感」があるのではないか、と考えました。
では「食行動障害および摂食障害の患者さんたち(乱れた食行動で悩む女性たち)」はどのような「生きづらさ」を感じているのか、「過剰適応」せざるを得ない「孤立と無力感」はどこから来るでしょうか?
ソフトドラッグ群にみられる生きづらさは、しばしば本人も気づいていない過剰適応が原因であり、過剰適応の背後にあるアディクト本人の不安感や不満、怒りなどの負の感情が周囲に見えづらい、という点で「暗黙の生きづらさ」である。
アディクトが過剰適応の行動パターンに陥ってしまう過程を理解するうえでキーワードとなるのが、(中略)「孤立と無力感」である。
アディクトでない人が過剰適応を起こさないのは、適度に自らの不安や不満を周囲に表出し、不安や不満が高まらない程度にしか周囲の期待に応えない、という「わがまま」と「努力」のバランスが取れているからである。
小林『人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション』日本評論社
違法性がないか、違法であっても覚せい剤と比べればイメージが薄いソフトドラッグ群のアディクトたちを「乱れた食行動で悩む女性たち」と読み替えると、オーバーラップして見えてくる「暗黙の生きづらさ」と、それを理解するキーワードが「孤立と無力感」だというのです。
以下、ソフトドラッグ群のアディクトたちを「乱れた食行動で悩む女性たち」と読み替えて説明しますね。
過剰適応を起こさないために必要な「わがまま」と「努力」のバランスは、「甘え」のアンビバレンスと言い換えることもできそうです。
「甘え」と愛着(アタッチメント)は混同して語られることも多いですよね。
愛着(アタッチメント)が、「不安や恐怖という負の(不快な)情動が重要な他者に接近することによって中和されるか、正の(快の)情動へと変化していくことにある」一方、「甘え」は二者関係の中で、主観・間主観の領域に現れる情感の動きのことです。
ちょっと難しいかもしれませんけれども『「甘え」とアタッチメント』から、「甘えのアンビバレンス」について引用してみますね。
「甘え」がアタッチメントと最も大きく異にする点は、「甘え」が享受できるか否かは相手次第だということである。
甘えることができるのは、甘えを受け止め、受け入れてくれる(甘えさせてくれる)人がいるからであって、一人で「甘え」を充足することはできない。
「甘え」を考える際には、必ず相手がいかなる状態にあるかを念頭に置かざるをえない。それゆえ必然的に二者関係を問題にすることになる。
さらに重要なのは、「甘え」が相手次第だということは、自分一人では思うようにならないゆえ必然的にアンビヴァレンスを孕むことである。誰しも「甘え」をめぐってアンビヴァレンスを背負い込むことによって、その人固有の人格や対人関係の持ち方を身につけることになる。
そして忘れてはならないのは、このような形で表現される「甘え」にまつわる事象の多くは屈折した「甘え」であるということである。本来の「甘え」は母子間の相互の信頼感を生み、ことさら目につく形で表に出ないのとは対照的である。
そこで重要なのは、アンビヴァレンスがその後のさまざまな人間関係の中で、強まる方に向かうか、それとも弱まる方に向かうか、その命運を握っているのは人間関係の質だということである。小林・遠藤『「甘え」とアタッチメント』遠見書房
「甘え」は二者関係の問題であり、「甘え」のアンビバレンスはその後のパーソナリティや対人関係のあり方を方向づけ、そのアンビバレンスが持続するか軽減されるかは、「人間関係の質」によるということですよね。
これまで「愛着の問題」とか「いわゆる愛着障害(不安定型愛着)」といわれていた状態は、どうも「甘え」のアンビバレンスが解消されなかった状態のようです。
ソフトドラッグ群のアディクトたちは、みずからの不安や不満を周囲に言語化することができない。それくらい心理的に孤立しているのである。
アディクトたちに「なぜ不安や不満を言わないの?」と尋ねて返ってくる答えはだいたい似かよっている。
「そんなこと言ったら嫌われちゃう、見捨てられちゃう」
「ちょっとでも口答えしたら、何倍にもなってヒステリックな反応が返ってくる」
「絶対に自分の言うことなんかに耳を貸してくれない」
ソフトドラッグ群のアディクトたちは、早い段階でみずからの感情を周囲に受け止めてもらうことを諦めてしまっている。諦めざるをえないような失敗体験を、幼少期に繰り返しているからである。
小林『人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション』日本評論社
乱れた食行動で悩む女性たちは、「わがまま」と「努力」のバランスが取れていない、つまり、「甘え」のアンビバレンスが根底にあるようです。
乱れた食行動で悩む女性たちは、解消されなかったネガティブな情動を周囲に受けてもらうことを諦め、自分の心の中で蓋をして見ないようにし、その部分を自分から切り離し、受け入れてもらえるはずの「いい子」を演じることで、過剰適応してきたようです。
「自分の心の中の動きを知ること(覆いを取ること)」と、それらの「情動を抱えておけるようになること(どんな自分も認めることができること)」が摂食障害の治療の中心的なテーマになるのは、このような病理が横たわっているからのようですね。
院長