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精神療法の問題点

[2014.03.24]
と水島広子先生は、精神療法の重要性・有効性をツイートされていました。 そもそも、精神療法とは「精神を治療する方法」ではなく、「精神というメカニズムを使って、主に言葉を通してココロに働きかける治療法」のことで、対話精神療法とも呼ばれます。 「「精神を治療する方法」ではない」という部分については「潜在的な資源を探す営み」や「健康な部分を広げていく」ということであり、その方法として「言葉でのやりとりを通して心理に働きかける」ということですよね。   しかし「医学モデル」にもとづく「診断」ができないと「治療」である精神療法に結びつかないだけでなく、どのような「治療」が向いているかの判断もできないということを『カウンセリングと精神療法の違い』で書きました。   ところが『どのような「治療」が向いているかの判断』がいま問題になっているのです。 『「精神医療』73号 [特集]精神療法はどこへ向かうのか』で、東京慈恵会医科大学第三病院の中村先生が
日本の精神科医は薬物療法と認知行動療法と異口同音に言うけれども、実際のところは、それほどきっちりと認知行動療法をやっている人は少ないし、やるとしてもサイコロジストに任せてATスプリッティングみたいな形でやるパターンが多い。本当にそれでいいのか。
と警鐘を鳴らしておられます。 つまり水島先生も書いておられるように
同じ診断名であっても、その患者にどの治療法が適しているか、という「鑑別治療学」は重要である。 (中略) 同じ診断名であっても、それぞれの患者の現実は異なる。そして、それぞれの患者の現実に合わせて、最も適した治療法は異なるだろう。 患者の現実を無視してある治療法を押しつけるようなことになると、いろいろな形でのジャッジメントが生まれることになってしまう。 水島広子・著『トラウマの現実に向き合う』岩崎学術出版社
精神療法を行う、あるいは精神療法を処方する際には、その疾患について詳しく知っていることが前提で、かつ、いろいろな精神療法に精通したうえで「患者の現実」と「(治療者の)ジャッジメントへの自覚」が必要で治療法(技術)を知っていることとその治療法を実施できることは違うということですよね。   たとえていうなら、手術をしたことのない外科医が目の前の患者さんに「手術が必要かどうか」「必要だとすればどういう術式なのか」「術者の技術(スキル)はその術式をカバーできるか」などを判断できないのとおなじように、治療適性を判断できるかどうかは治療法を実施できる以上のスキルであるメタスキルが必要になりますし、「患者さんの現実に合わせて、最も適した治療法を選ぶ」という対人関係療法で重視する「鑑別診断」の考え方はここで必要になってくるのです。 これはとりもなおさず、水島先生が強調される「対人関係療法は人が好きになる治療」という人間観にもつながります。 これについて獨協医大越谷病院の井原裕先生は
精神療法というのは技術であり実践であるとともに、一つの人間観の反映であり、思想といえば大げさですが、治療感、人間観をはらんだ総合的なアートなので、 (中略) 人間観なしに技術だけで治療が可能であるかのような前提に立っているから、薬を処方するように認知行動療法を処方する、そうすれば治る、そんな安易な発想はアンビリーバブル。
と、安易な薬物療法と同じような技術偏重の精神療法に対して一刀両断されています。 つまり「ATスプリッティングみたいな形でいいのか」という中村先生の危惧は、精神療法のトレーニング経験のない精神科医にはどのような「治療(精神療法)」が向いているかの判断ができないだけでなく、サイコロジストやカウンセラーに精神療法をオーダーすることは患者の現実を無視した治療法の押しつけになってしまう可能性があり、本来の精神療法の本質から外れてしまうということですよね。 さらに精神療法を行ったことのない医師から今は状態が悪いから精神療法ができないという言葉を耳にすることがしばしばあります。 この理屈だと病気だから病院に行けないという嗤い話にしかなりませんよね。 精神療法も薬物や電気刺激による以外の「治療法」ですから、たとえば摂食障害や慢性うつ病で対人関係療法による治療を希望されて三田こころの健康クリニックを受診されたときは、もしかすると、患者さんにとって、最も最悪の時かもしれません。 でも状態が悪いからこそ、治療が必要なのですよね。 院長
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