日本の摂食障害医療の現状
「拒食と過食の文化人類学」という副題をもつ、磯野真穂・著『なぜふつうに食べられないのか』では、医療モデルのうち、心の問題とする見方の「本質論」、症状を身体の問題とみなす「生体物質論」のような食行動異常を心と身体の問題とみなす「還元主義」では、「食べる」という行為の意味(食の本質)が等閑にされるというスリリングな論が展開されていました。
私は摂食障害の本質論として読んでみたので、対人関係療法による治療に役立ちそうな視点をピックアップして紹介していきますね。
序章から摂食障害の医療についての問題点が挙げられます。
しかし私たちは「摂食障害」について、もう一つの事実を押さえておく必要がある。
それは、大量の研究がなされ、治療技術も一定の到達点に達したにもかかわらず、患者数が減ったわけでも、治す方法が確立されたわけでもないことである。
この状態について、医療側からは摂食障害の専門家の少なさ、専門の治療施設のなさ、この病気について一般の無理解がしばしば挙げられるが、私は異論を持っている。
それは、ふつうに食べられない状態を「摂食障害」という病気とみなし、治療の対象とする現行のやり方では到達できない領域があり、それがふつうに食べられない状態の理解を不完全なものにとどまらせているという見解である。
磯野真穂・著『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社
このような摂食障害の医療の問題については、2001年に水島先生が国会で質問なさっています。
摂食障害の治療が日本ではきちんと受けられないということの理由の第一は、摂食障害の治療には高度の専門性が要求されるということです。通常の精神科臨床のトレーニングを受けた程度では、摂食障害を正しく治療することはできません。
(中略)
摂食障害の患者さんの場合、治療に手間がかかるという現実がございます。
認知行動療法ないし対人関係療法を行う必要性がありますし、家族にも十分なケアをする必要があります。
身体的にも、特に低体重の場合には常に死と隣り合わせという状況で、大変難しい治療を余儀なくされます。
精神療法にきちんと診療報酬を与えるということである程度は解決される問題ではありますが、摂食障害の治療に特別の診療報酬を与えるということも必要であると思っております。
(中略)
今日本がこれだけ立ちおくれている現状を何とか回復して、日本に生まれた方たちもまともな治療を受けられるようにしていくには、私は、恐らく、専門機関をつくって、そこに患者さんと質のよい治療者を集めた上で、どういった治療法が、例えば認知行動療法を日本人に行う場合にはどういう修正をすべきか、 そういったことをかなり大規模にその機関の中で研究していく必要性があると思っております。
摂食障害の専門治療施設については、浪速生野病院の生野照子先生らが中心になって「摂食障害センター設立準備委員会」による署名活動を行っておられました。(現在は日本摂食障害協会に改名)
厚生労働省からは新施設創設ではなく、既成の施設を利用しての支援センター構想が発表されていますが、立候補する医療機関はなかったようです。
治療の専門家の不足が浮き彫りですよね。
(EAT119のサイト・厚生労働省のサイト参照)
日々摂食障害の患者さんと向き合っていると、上記の著者がおっしゃる異論は、現場の感覚とずれている感じがするのです。
いま目の前の患者さんに必要なのは、食の意味とか、還元主義の陥穽だとかの議論でなく、「目の前の患者さんをどう治療するか」ということなのです。
(「毒矢の喩え」参照)
それでもこの本を取り上げるのは
彼女たちがうまく食べられなくなったきっかけは、いじめ、身体への揶揄・友人・家族関係のいざこざなど、人々とのつながりの間に生じた亀裂であった。
その亀裂が苦しかったからこそ、彼女たちはやせることに活路を見出そうとしたのである。
そして彼女たちの試みは、ほんのひとときであるが、成功を収めた。
(中略)
彼女たちが食べ方を変えたそもそものきっかけは、人と人とのつながりをより快適なものに修正することだったのである。
しかしそれは結果的に、孤立という彼女たちがもっとも望まない方向に彼女たちを誘導することとなった。
日常の食を反転させる形で行われる過食は、フローを引き起こし、それは彼女たちが不安と心配事がうずまく日常を乗り切るための術として定着した。
しかし、そのフローは誰とも共有することができない。過食は続ければ続けるほど孤立を生む、悲しい祝祭なのである。
磯野真穂・著『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』春秋社
ということは「食べることの本質は人と人との具体的なつながりの中に存在する」のであれば、その「食の本質」が変容した「摂食障害」、とくに「過食症」に対する治療法として対人関係療法は最適と考えられますよね。
つまり人との結びつきを回復するための「食」行動の変化が、逆に「孤独」という「ゴールデンケージ」に閉じ込められるため、対人関係療法で「人とのつながりを回復する」意義について次回以降のブログで書いてみますね。
院長