家族のテーマ
私が生まれる前から、なぜか両親は子どもは医者か弁護士にさせると決めていました。
どの時点で私の将来が「医師」に決定されたのかは分かりませんが、私の物心がつく頃には、毎晩父から女医である服部けささんの伝記を読み聞かされていました。
お風呂に入っている時には、「真理子は〇〇高校に入って医学部に行って医者になるんだ」といつも言われていました。ですから小学生までは、将来自分は医師になるのだと信じて疑いませんでした。
しかし中学生になると、徐々に自分が好きだと思えることや得意なこと、私の見たい世界が、親の希望とは違ってきていることに気づきました。英語や社会を学ぶ楽しさ。様々な本や詩、音楽、絵画に触れた時の喜びや感動。
勇気を出して両親に自分の気持ちを正直に話してはみるものの、その度にものすごい剣幕で怒鳴られました。「医者をやめて文系に行きたいということか。文系に行って何になる。まずは医学部に行って医師免許を取れ。そしたらその後は何をしてもいい。」と。
けれどそんな親の言葉に納得できず、行き場のない怒りから力任せにドアを閉めると、そこから第2ラウンドが始まるのです。どんどんどんと大きな足音を立てて両親が部屋のドアを開け、「まだわからないのか!」と大声を上げながら入ってくるのです。結局私は、両親にそれ以上歯向かうことができず、その後一人部屋で泣き続けるしかありませんでした。
翌日は決まって両目が開かないほど腫れあがり、そんな自分の顔を見るとみじめで哀しくて情けなくて、泣きながら登校したことも何度もありました。
結局私は、自分の進む道に対する疑問や不安を脱ぎ去ることはできませんでしたが、高校入学後は自分の心に耳を傾けることをやめ、「医学部に入ること」だけを考えるようになりました。
今振り返ってみると、私たち家族には親と子の間に共通のテーマがあるように思います。なぜ両親はそれほどまでに子どもを医師にさせることにこだわったのでしょうか。
私の推測ですが、両親は自分が叶えられなかった姿を子どもに託すことで自分の欲求を満たそうとしたのではないでしょうか。そしてそれは、特に自分の親に対する「自分を認めてほしい」というものではないかと思うのです。
子どもの頃の出来事でよく思い出すことがあります。私が中学を卒業する頃まではお盆やお正月に、父の実家を訪ねていました。その時必ず持っていくのが私の通知表でした。弟の通知表を持って行ったことはありません。そのことがどれほど弟を傷つけていたのか、それを知ったのはだいぶ後になってからでした。
私は自分の父親に私の通知表を見せる父の姿をよく覚えています。父はいつもどこか緊張していて、でも一生懸命に自分の頑張りをアピールしているように見えました。
今思えば、親に差し出す通知表はもはや私のものではなく、父自身のそれにすり替わっていたような気がします。それを見せることで、父は、「自分は(弟や妹よりも)ちゃんとやっている」「だから認めてよ。褒めてよ。振り向いてよ。」と伝えたかったのではないでしょうか。
祖父は私の通知表を見ても褒めたことはありません。その代わり、どこの誰が医学部に合格したとか、医者になってどこで働いているという話を毎回していました。私にはなぜ祖父がそのような話をするのか全く理解できませんでした。それは私が医学部に入っても、医師になってからも変わりませんでした。
そして驚くことに、父も全く同じでした。私が医学部生になっても、医師になってからも、顔を会わせるたびに誰の息子・娘さんがどこの医学部に合格したとか、都内の〇〇病院で働いているといった話をするのでした。
私は当時、父からその話を聞かされるたびに、“結局父は、医師になっても私に満足していないんだ”と哀しく感じていました。
今日私がここでお話ししたのは、家族を責めるためではありません。私の家系の中で、おそらく何世代にも渡って同じテーマが繰り返されてきたのでしょう。その中で私たち家族は、その時その時を皆それぞれが必死に生き抜いてきたのだと今は理解しています。
私は治療の過程でそのことに気づきました。そして、そのテーマを引き継いだとしても、今現在自分の心を縛っているのは、他でもない私自身だということにも気づかされました。
だからこそ、家族や環境が変わらないとしても、私自身が変わることが必要なのだと思えるようになったのです。過去を生きるのではなく、親の幻想の中に生きるのでもなく、自分自身の今を生きたい。その気持ちが私をここまで導いてくれたと思っています。
どんな環境に生まれ育ったとしても、それは最初に配られたカードの1枚に過ぎません。
あなたには無限の可能性があります。
あなたは、あなた自身の人生を生きることができるのです。