変化の兆し
治療を始めてしばらく経っても、私の過食嘔吐はほとんど変化していませんでした。
過食嘔吐が減らないことで、「全然良くなっていない」と決めつけ、「私は治るんだろうか」という焦りや不安でいっぱいになり、そしてそれが過食嘔吐のエネルギーになる、という悪循環に陥っていました。
しかし徐々に、症状以外の変化に目を向けることの大切さに気付くようになっていきました。
例えば、病気の思考と健康な思考の区別ができるようになったこと。病気の部分と健康な部分を喧嘩させずに対話できるようになったこと。何度も失敗したけれど、いつも通り慣れている道ではない道を初めて選択できたこと。思考ではなく心の声に従って行動してみたこと。
これら一つひとつの変化は本当に些細なものだったかもしれませんが、その積み重ねが私をここまで導いてくれたと思います。
いつとは言えないけれど、でも少しずつそして確実に変化していったことがあります。それは「楽だな」と感じるようになったことです。
それまでの私は、“生きていくには、他人の何倍も努力して頑張り続けなければいけないんだ”と感じていました。ですから、生きていくことはとってもつらくてしんどいことなんだと、そしてそれはほかの人も同じように感じていて、自分だけがそう感じているのではない。だから私も頑張らなければならない。ほかの人は難なくやってのけているように見えるのに自分はどうして同じようにできないんだろうと。
また、些細なきっかけやきっかけすらはっきりせずに、頭の中に嫌な思い出が浮かんできては自己嫌悪に陥り、嫌なイメージや感覚を振り切るように「あぁダメだぁ…」と呟く。そんなことも頻繁にありました。
けれども、ある時その「あぁダメだぁ…」が減ってきたなと思ったのです。気が付くと、それまでの「両足に錘をつけて走っている感じ」が軽くなっていました。それは、自分自身との関係が徐々に改善してきた兆しだったのかもしれません。
生きることが少しずつ楽だと感じられるようになってきた私は、仕事以外に少しずつやりたいと思うことが出てきました。子どもの頃に好きだったこと、好きだったもの、ふと思い立ったことなど、あまりお金もかからずにできそうなことはとりあえずやってみることにしました。
例えばカラオケに行く、料理教室に行ってみる、書道をやってみる、展覧会に行ってみる、などです。日常生活でも、「〇〇しなければ」ではなく「〇〇したい」を意識するようにしたのです。そうやって、心の声を無視せず聴けるようになってくると、人に声をかけられたり(道を訊かれる、並んでいるときに話しかけられるなど)、ラッキーなことに遭遇したりすることが増えてきました。
ある展覧会を見に行った時のことです。あまり調べずに出てきてしまったので、電車の中で念のため確認してみると、まだ開催前だということに気が付きました。一瞬嫌な気持ちになったのですが、ふと行きつけの美容院の近くまで来ていること、数日後に美容院の予約を入れていたことを思い出しました。
そこで途中下車して美容院に予約の変更が可能かどうか電話をしてみました。すると、変更OKとのことで、その足で美容院へ直行しました。その後夕食を食べて帰ることにしたのですが、場所が行きやすかったこともあり、以前から行ってみたいと思っていた人気の焼鳥屋さんに、ダメ元で電話をかけてみました。すると、驚くことに予約が取れてしまったのです。お店に着くと、実は私が電話をかける直前に1件キャンセルの電話があり、それで予約が取れたとのことでした。
この日の出来事は、私にとって単なるラッキーな日ということ以上の意味を教えてくれたような気がします。
振り返ってみると、この日私が人気の焼鳥屋さんにたどり着くまでには幾つもの分岐点があったはずです。展覧会がやっていないと知った時、今までの私だったら機嫌を損ねてどこにも寄らずに家に帰っていたに違いありません。美容院の近くまで来ていることに気づいた時も、「突然電話したら迷惑かな」と、今までだったら電話をしたいけれどできない自分にイライラしていたかもしれません。焼鳥屋さんへの電話もまず無理だろうと思っていましたから、初めからかけないという選択肢もあったはずです。
今までは、一つ思い通りにならないことが起きるとすべてがダメになったような気がして、そこから先に物事を進めることが困難でした。0か100かの極端な思考ですよね。それが徐々に「こうでなければだめ」ではなく、急な予定変更に対しても色々な選択肢があること、そしてそれも楽しめるようになっていきました。
一見unluckyに見えるようなことでも、自分の見方や考え方を変えるだけで、次の道が開くのだと感じました。この一つの「予期せぬ出来事」から生まれた二つのラッキーは、偶然のようで必然だったような気さえするのです。
私は「症状」という「結果」だけを見て、良くなっていないと決めつけ、前に進むことを諦めそうになりました。けれども実は、「結果」に変化が起きる前にすでに別のところで変化は起きていたのです。それに気づいたことで、私はもう一度歩き出すことができたような気がします。
作家である小川洋子さんと河合隼雄さんの対談で、お二人がこんなことを仰っています。
今日はそのお二人の言葉で締めくくりたいと思います。
河合:(前略)都合のいい偶然が起こりそうな時に、そんなこと絶対起こらんと先に否定してる人には起こらない。道に物なんか落ちていないと思ってる人は、前ばっかり見て歩いてるから、いい物がいっぱい落ちとっても拾えないわけでしょ。ところが、落ちてるかもわからんと思って歩いてる人は、見つけるわけですね。
小川:既にそこにあることに「気づく」ということですね。
河合:そうです。だから僕は言いたいの。そんなんは僕らの身の回りに実はいっぱいあるんだと。ただ気づかないだけじゃないかと。
小川洋子,河合隼雄.「生きるとは、自分の物語をつくること」より