刹那の反転1〜トラウマの成り立ち
『愛着(アタッチメント)と対人的心的外傷(アタッチメント関連トラウマ)3』で認知理論によるトラウマの考え方を紹介しました。
それによると、悲惨な外傷体験が断片化されるというメカニズムと原初的な身体感覚からさまざまな表象が形成されるメカニズムが、複雑に絡みあってフラッシュバックが形成されると考えられます。
動物では、脅威にさらされたときの行動は共通しており、凍りついて動かなくなる(「擬死反射」)か、
興奮し、無秩序に暴れまわるか(「運動暴発」)、ですよね。
その後に、「闘争・逃避反応」(戦うか逃げるか)が起きてきますよね。
このような原初的で圧倒的な身体感覚しか存在しないフラッシュバックの瞬間には、経験の中心となる「主体的自己」が不確かに動揺し、きわめて強い恐怖感・不安感をともないます。
フラッシュバック(侵入的記憶想起)が生じるのはPTSDだけではなく、いろんな条件の重なりが考えられます。
たとえば、
トラウマに対する脆弱性(小さなストレスを大きなトラウマと捉える)
周囲からのサポートの乏しさ(トラウマを受けた時に傷が癒やされない)
トラウマを想起する敏感さ(些細な刺激からトラウマを想起する)
など、いずれも主体的自己の能動性が損なわれ、主体的自己は、受け身的(受動的)に立ちすくんでいます。
本来、自らの身を守ろうとする生命的自己の働きが突出し、それに伴う恐怖のために、能動性が機能しなくなっています。
「受動性から能動性への反転不全」が、フラッシュバックの特徴と言えそうですよね。
では、ここでいう「主体的自己の能動性」とはどういうことか、内海健・著『さまよえる自己』(筑摩選書)からベンジャミン・リベットの実験を見てみましょう。
詳しくは『さまよえる自己』あるいはwikipediaの脳科学(神経科学)を参照して下さいね。
リベットの実験結果も脳の電気活動が人間の意志に0.5秒先行する。
一つは末梢の刺激が意識に上がるまでに、0.5秒もの脳の処理過程が必要であることであり、いま一つは、その遅れたはずの意識が、最初から知覚していたかのように報告し、結果的に遅れが取り戻されていることである。物理的に記述するなら、われわれはどうあっても物事に先行されている。いかに予期して身構えていても、物事が起こる前に、それに気づくわけにはいかない。とはいっても、物事が起きた事が信号として脳に伝わるのは瞬時のうちである。致命的な遅れにはならない。それをわざわざ、しかも生死に関わるほどまでに遅らせるのは、なにゆえなのだろうか。
『さまよえる自己』
「われわれはどうあっても物事に先行されている」「遅れたはずの意識が、最初から知覚していたかのように報告」「結果的に遅れが取り戻されている」というキーフレーズから見えてくるのは、「主体的自己(≒意識)」は受動的に体験するのだが、それを「最初から知覚していたかのように」認識するということですよね。
これが「主体的自己の能動性」の本質のようですね。
ちなみに。
水島広子先生が
現在執筆中の「イライラ」の本で、脱・被害者、主体性の回復についてうまく書けるとよいのだけれど。
と書いておられる事とオーバーラップしてくるようですよね。
次回は、もう少し見ていきましょう。
院長