複雑性PTSDと抗うつ薬・抗不安薬
「複雑性PTSDと診断された」「発達性トラウマ障害かもしれない」と、こころの健康クリニック芝大門での治療を希望される方の大部分がメンタルクリニックに通院されており、抗うつ薬や抗不安薬を処方されています。
PTSDに適応を取得している抗うつ薬の添付文書には、「外傷後ストレス障害の診断は、DSM等の適切な診断基準に基づき慎重に実施し、基準を満たす場合にのみ投与すること」「外傷後ストレス障害患者においては、症状の経過を十分に観察し、本剤を漫然と投与しないよう、定期的に本剤の投与継続の要否について検討すること」といった抗うつ薬投与についての注意が喚起されています。
しかし、前医療機関での診断プロセスをお聞きすると、ただ話をして医師の主観的診断のみで「複雑性PTSDかもしれませんね」と告げられ、抗うつ薬や抗不安薬が処方されていることがほとんどです。
トラウマ関連障害の診断に必要不可欠である、トラウマティック・イベントの【出来事基準】や、「再体験症状」「回避症状」「過覚醒(脅威の知覚)症状」など【PTSD症状】、あるいは複雑性PTSDであれば「感情調節の障害」「否定的自己概念」「対人関係の障害」といった複雑な(複合的な)【自己組織化の障害症状】、および【機能障害】については一切評価されずに、安易に複雑性PTSDと診断されていることに毎回、驚いています。
さらに、初診時には「適応障害」と診断されたケースも多く見かけます。
初診時に「適応障害」と診断され、3〜6ヶ月経過しても治らないとの理由で「うつ病」や「不安障害」、そして「PTSD」や「複雑性PTSD」と診断されたなど、「わが国の現状はなお悪いことに、カテゴリー診断学の普及によって、家族歴、生育歴をきちんと取らないで処方だけ行うという、一昔前なら考えられない臨床を行う精神科医がむしろ一般的になってきた」という、杉山先生が憂慮されている事態が常態化しているようです。(杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社)
複雑性PTSDの治療に抗うつ薬は必要なのか
複雑性PTSDへの薬物療法に際して、これまでの精神科薬物療法の常識から離脱することが必要である。
抗うつ薬、抗不安薬はなるべく用いないほうがよい。抗うつ薬は気分変動を増悪させ、抗不安薬は意識水準を下げ抑制を外すので行動化傾向を促進してしまうからである。
杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社
上記の引用では「抗うつ薬、抗不安薬はなるべく用いないほうがよい」と柔らかく窘められていますが、トラウマ関連障害の治療に対しては抗うつ薬は禁忌と考えた方が良さそうです。
抗うつ薬の服用による医原性の増悪にはもっと注意を払う必要がある。
気分変動が強くなれば、子どもへの加虐が増悪し、さらに自身の自殺企図が増す。
複雑性PTSDへの薬物療法は何よりも安全性を主眼とする必要がある。
杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社
一方で、パロキセチンやセルトラリンはPTSDに対する保険適応を取得しており、日本トラウマティックストレス学会でもPTSDの併存症であるうつ病に対しては、SSRIやSNRIあるいはNaSSAなどの抗うつ薬の使用が推奨されています。
複雑性PTSDには抗うつ薬は禁忌、とする杉山先生の意見と真っ向から対立しますが、どう考えたらよいのでしょうか。
抑うつは普遍的な問題なので、その診断が非常に重要である。
つまり複雑性PTSDの未治療の状況で起きている抑うつは、その多くは気分変動の一部分を拾っていることが多いため実はうつ病ではなく、抗うつ薬の処方は禁忌といってよい。
気分変動を増悪させ、希死念慮などをむしろ強めてしまう。さらにハイテンションになった時に、子どもへの加虐などが生じることも多い。
(中略)
複雑性PTSDの気分変動は、双極性障害ではない。バルプロ酸ナトリウム(デパケン)の相当量を服用している成人をしばしば見かけるがぼんやりするだけで無効である。
成人で、抑うつが著しく、どうしても抗うつ薬が必要な時には、デュロキセチン(サインバルタ)20mgの服用が推奨される。
筆者の経験では、この薬物において躁転を引き起こすことが大変少なく、これ以外の抗うつ薬は何れも躁転や気分変動増悪の危険性が高いからである。ただし20mg以上を処方しないことが重要である。
杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社
PTSDや複雑性PTSDなどのトラウマ関連障害に伴う気分変動なのか、トラウマ関連障害に併存した大うつ病性障害なのか、その鑑別が非常に重要になります。
とくに、【自己組織化の障害症状】のうち特に【否定的自己概念】および【機能障害】が、抑うつ状態(気分変調症)と見間違われやすく、正確に評価されていない場合は、安易な抗うつ薬の処方につながってしまうようです。
複雑性PTSDで抗不安薬が禁忌なのはなぜか
抗不安薬は子どもも大人もほぼ禁忌と言ってよい。
(中略)
夜になって来ると脳が睡眠モードになって皮質による抑制が減弱する。すると抑えられていたさまざまなフラッシュバックが湧き上がってくる。その一方で、次に扱う抑うつは夕方寛解が生じるために夜は最も軽くなる。
そこに抗不安薬系の睡眠薬が入ると、抑制がさらに外れ、嫌な記憶がどんどん吹き出してきて興奮し、収集がつかなくなってしまう。たくさん睡眠薬を飲むか、酒を浴びるように飲むかなどして、死んだように寝るというパターンになるのである。
寝ると今度は悪夢に襲われる。これも深刻な体験で、悪夢に襲われるのを避けるために、寝ることをどこまでも拒否するという人にも希ならず出会う。
杉山『テキストブックTSプロトコール』日本評論社
ここでは、抗不安薬によって意識水準が下がり、脱抑制をきたすことによる「フラッシュバック(侵入的記憶想起)」の増悪が指摘されています。
睡眠薬の問題では、で脳の興奮を静めるとされるオレキシン受容体拮抗薬のスポレキサント(ベルソムラ)やレンボレキサント(デエビゴ)などは、トラウマ関連障害では悪夢を引き起こすことが多いことが知られています。
このようなときは杉山先生は「筆者は、ブロチゾラム(レンドルミン)0.125mg(半錠)以上を出さないように心がけている。この量であればこの処方に依存的になったとしても意識水準を下げるという副作用をもたらすことが少ないからである」と、抗不安薬の依存に対しても注意を配りながら、意識水準を下げない治療が必要になると述べられています。
さらに抗不安薬の常用量依存などの問題と関連して、逆境的小児期体験(ACEs)のある人では、「フラッシュバックに対する誤った自己治療として、飲酒、タバコ、さらに薬物への依存が生じる」との指摘もあります。
トラウマ関連障害の治療の際には、気分変動や意識水準の低下・脱抑制を防ぐことが重要ですから、抗うつ薬や抗不安薬の投与は禁忌なのです。
離脱症状を最小限に抑えながら抗うつ薬を減薬していくことはこころの健康クリニック芝大門で行えますが、抗不安薬は依存性を伴いますから離脱症状なく減薬することはかなり難しいと言わざるを得ません。
PTSDや複雑性PTSDの診断で抗不安薬を処方されていらっしゃる方は、主治医の先生に相談してみてくださいね。
院長