「食行動障害および摂食障害」という苦しみの始まり
乱れた食行動に悩む女性たちは、「人」のいる「我慢の戦場」で生じた「心理的孤立と無力感」という心の痛みから注意をそらすために、食べるという行動(エモーショナル・イーティング)の力を借りて、一時的な心地よさを求めます。
しかし、「食べるという単独行動」以外に対処する方法を持っていないと、「食べる行動」が強迫的な衝動として感じられるようになり、新たに多くの苦しみを生み出し、そこから逃げ出そうとするためにまた「食べる行動」を使うことで、螺旋状にその行動が強化されてしまいます。
自己治癒的なアルコールや薬物の使用そのものがアディクションの原因なのではない。
さまざまな生きづらさから生じる負の感情に対して、自己治癒的なアルコールや薬物の使用、あるいはギャンブルなど、他者との感情の交流が一切ない、単独で完結する行動以外に対処する方法を持っていないことこそが、アディクションの原因なのである。
小林『人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション』日本評論社
これが食行動依存、いわゆる食べることや食べ吐きが「嗜癖(クセ)」と感じられる状態です。
何もかもがうまくいかないと感じられたとき、冷蔵庫を開けさえすればいつでも食べ物が手に入ると感じるようになると、それだけで事足りるようという錯覚と、「私」と「私以外」の分離・断絶が起き、ますます心理的孤立に追いやってしまいます。
即効性があって、効果を実感しやすい「物」や「行動」は、一方で身体的には耐性が、心理的には学習効果が生みだされやすい、というマイナス面ももっている。
(中略)
心理的にも、行動から得られる効果を脳が事前に予測するようになり、高揚感や開放感は低下していく。
その結果、以前と同じ量や頻度、時間では期待するほどの酩酊や高揚感、開放感が得られないため、アディクトたちはますます量、頻度、時間を増やし続けるしかなくなっていく。
小林『人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション』日本評論社
しかし、「食べるという行動」が生み出す一時的な感覚への耽溺や、「食べるという単独行動」によって痛みを伴うネガティヴな感情が軽減されなくなると、そんな自分に対して自分の周囲の人たちは敵意を持っていると体験され、他者と結びつこうとしたり、人生に積極的に取り組もうとすることを一切やめて、世界を否定し引きこもるような状態に没入していきます。
それまで何とかアディクションの力を借りることで、周囲に気づかれずに本音の感情を覆い隠すことができ、我慢と努力を続け、周囲の期待に応え続けてこられたのが、同じアディクションによって周囲の期待を裏切り、周囲から非難を浴びることになってしまう。
だらしがない、我慢が足りない、責任感がない、などと周囲から叱責されると、アディクトはその場ではうそをついてアディクションの存在を隠そうとする。
そして叱責されたことで心の中に湧き出てくる自責感、劣等感、屈辱感、不安、不満、怒りなどの本音の感情に、再びアディクションの力を借りて蓋をしようとする。
その結果、またもや生活に支障が出て、うそがばれ、ますます周囲からの非難が増えて、それまで以上に周囲からアディクトは孤立していく。学校を中退し、会社を辞め、家族とは別居する。
小林『人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション』日本評論社
「人」のいる「我慢の戦場」で生じた「心理的孤立と無力感」に対する「食べるという行動」は、痛みを伴うネガティヴな感情から自分を切り離してくれると同時に、世界を経験することからも自分を切り離してしまうのです。
「食べる」という対処行動のパターンを「わたし」だと考えるようになり、「食べる」という行動にしがみつくようになります。
「食べる」という行動パターンは、あまりにも自分にとって馴染んだ行動になり、何度も繰り返され、それ以外の対処の可能性があることは思いもよらず、「そういうものだ」と考えるようになります。
彼女たちが食べ方を変えたそもそものきっかけは、人と人とのつながりをより快適なものに修正することだったのである。しかしそれは結果的に、孤立という彼女たちがもっとも望まない方向に彼女たちを誘導することとなった。
日常の食を反転させる形で行われる過食は、フローを引き起こし、それは彼女たちが不安と心配事がうずまく日常を乗り切るための術として定着した。しかし、そのフローは誰とも共有することができない。
過食は続ければ続けるほど孤立を生む、悲しい祝祭なのである。
磯野『なぜふつうに食べられないのか』春秋社
一時的な気そらしであったはずの「食べる」という行動から始まった「悲しい祝祭」は、それ自体が苦しみを生み出し自己を破壊する行動パターンへ移行していきます。
そして痛みから逃避する行為が、もう引き返せないほど深い苦しみという心理状態に陥らせ、その苦しみの自己牢獄に閉じ込められてしまいます。
「食べる」という行動依存は、このようにして「食行動障害および摂食障害」という問題に進展していくのです。
院長