「それは虐待ですよ」と言われたとき
一般の人が使う言葉と、医学的に定義された言葉が、大きく異なることが頻繁にあります。
たとえば、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)やHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)などの「過敏性症候群」は医学用語ではなく、気質を表す言葉だそうです。(「これだけは知って欲しい!“HSP”のこと」参照)
また、HSPやHSCは、ユングの「タイプ論」とは異なるようです。(「【ユング心理学】ユングの考えた心の機能「類型論」の性格や機能のタイプを解説します」参照)
上記の記事の中にも「自閉スペクトラム症や、家庭環境からくるトラウマ症状など、障害や病気が関係していて治療が可能な場合もあるので、一度病院を受診してみてほしい」ということで、「HSPではないか?」とこころの健康クリニックを受診された方々を診ていると、やはりグレーゾーンを越える「自閉スペクトラム症」の方が多いように思えます。
HSPの特性として記載されている内容は、感覚過敏と対人関係過敏のようで、「過敏型自己愛パーソナリティ」と似ているように思えます。(「摂食障害と過敏型自己愛」参照)
「親があなたにしたことは虐待であって、あなたはアダルトチルドレン状態で、親子関係のトラウマによって複雑性PTSDになっている」と、カウンセラーさんに言われたとおっしゃる方も、「トラウマ関連障害の治療」を専門に行っているこころの健康クリニック芝大門を多く受診されます。
そもそも虐待については、「臨床家によっては虐待という用語を家庭内の厳しい躾や両親の不機嫌などを指して用いる場合もある」(金. 複雑性PTSDの診断と対応. 精神療法 47 (5): 556-562. 2021)ということから、2つの可能性が考えられるわけです。
一つは親の側に被虐待歴があって、世代間伝達の影響で子ども虐待を行っている場合です。
二つ目は親子ともに自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如多動症(ADHD)の特性があり、躾や感情表出が極端になりやすい場合です。
もちろん、後者の場合には虐待の定義には当てはまりませんよね。
また、アダルトチルドレンは「アルコール依存症の親を持ち、成人した子ども」という概念だったのですが、その後「さまざまな虐待的な親が作る機能不全家庭で育ち、成人した子ども」を総称する傾向が強まりました。(崔『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』星和書店)
トラウマについても、医学的に定義される「危うく死ぬ、もしくは死ぬような生命の危機に瀕した体験」という「トラウマ(心的外傷)」と、一般の人が思い描く「嫌な体験」「思い出したくない体験」を「トラウマ(傷つき体験)」と呼ぶことには、とても大きな隔たりがあります。
例外的に著しく脅威的な、あるいは破局的な性質をもった出来事を心的外傷(トラウマ)と呼ぶ。
人生上多くの人が体験するストレッサー(死別、離婚、経済的困窮)とは質的に異なる体験と考えられる。以下、ICD-11で挙げられている例を示す。
直接体験:自然災害、人為災害、戦闘体験、深刻な事故、拷問、性暴力、テロ、暴力、(心臓発作のような)急性の生命を脅かす疾患。
目撃:他者が突然、予期せぬ形で、あるいは暴力的な形で実際あるいは脅されて負傷したり亡くなる。
知らせを受ける:愛する人が突然予期せぬまたは暴力的な形で亡くなったことを知らされる。
大江, 心的外傷後ストレス症. 精神科治療学 Vol.36増刊号, 2021, 星和書店
上記の論文には、「神経発達症(知的発達症、自閉スペクトラム症等)が存在する場合に、自身の体験を過度に受け止めている可能性も考慮しなければならない」とあります。
ICD-11での複雑性PTSDは、典型的には複数回あるいは長期の被虐待体験(たとえば、児童虐待、性暴力被害)を受け、そこから抜け出すのが困難であった場合に、PTSDの中核症状である再体験・回避・覚醒亢進症状のほかに、感情調整の困難、自分自身が無価値であるという信念、対人関係維持困難の3つの症状を呈するというものである。
大江『トラウマの伝え方』誠信書房
上記のように複雑性PTSDでは、PTSD症状に加えて「自己組織化障害(DSO)」症状が揃っている必要があります。
一方で、「ICD-11の診断基準では、6つの症状すべてを満たす者のみが複雑性PTSDの診断となるが、久留米大学の過去の調査でも、6つすべての症状を満たす割合はそう高くなく、相当数の閾値下症例が存在していることが明らかとなっている」(前掲書)ということです。
実際にこころの健康クリニックで診ていても、神経発達症(ASDやADHD)特性がある場合、「自己組織化障害(DSO)」症状を満たすことが多いのですが、PTSDの3つの症状を満たす場合はほとんどなく、典型的な「複雑性PTSD」に該当するケースは、ごく稀という印象もあります。
しかし「神経発達症(知的発達症、自閉スペクトラム症)」が存在すると、傷つき体験やイヤだった出来事が、俗にいうトラウマ体験と認識されやすい特徴があります。
さらに、タイムスリップ(記憶想起)・社会経験の回避・神経過敏が、PTSDの中核症状と間違われやすいという特徴もあるのです。
一方、感情調整の困難、自分自身が無価値であるという信念、対人関係維持困難の3つの「自己組織化障害(DSO)」症状は、それぞれ、注意欠如多動症(ADHD)、知的発達症、自閉スペクトラム症(ASD)の特徴でもあります。
このようなことから、ASDやADHDなどの神経発達症群と、PTSDや複雑性PTSDなどトラウマ関連障害群がオーバーラップしてみえてしまうのです。
医学的に定義されたトラウマ体験の出来事基準を満たさない「逆境的小児期体験(ACEs)」スコアなどでみても、ASDやADHDなどの神経発達症群は、ACEsスコアも8項目中せいぜい1あるいは2項目満たす程度です。
これらのことが「自身の体験を過度に受け止めている可能性」として指摘されています。
さらに「また、児童期の虐待や類似の体験については、想起することについてバイアスが生じるのを避けられないという事情があり、心的外傷とするのが困難な場合もある」(前掲書)とする指摘もあり、「虐待ではないか?」「トラウマではないか?」と考えることが出来ること自体が、逆説的ですが、トラウマ体験とは異なる1つの要因でもあるようです。
他の医療機関やカウンセリングで、複雑性PTSDと言われた、親が行ったことは虐待だと言われた、と、こころの健康クリニックの受診を希望される方も多いのですが、治療方針が示されずに診断レベルにも達していな病名告知だけを行うのは、患者さん・クライエントさんにとって迷惑極まりないことです。
もし治療方針が示されずに病名告知が行われたら、その治療者の話を疑ってもいいのかもしれませんね。
院長