愛着の修復のために
愛着は生物学的な仕組みでもある。
頭でいかに問題を理解しても、それだけでは改善につながりにくい。
それよりも、生き物として、哺乳類としての生物学的な体験が必要なのである。
岡田尊司『回避性愛着障害』光文社
ここで岡田先生が書かれている「生物学的な体験」が「ニューロセプション(神経感覚)」の修復に土台になるのです。
しかし多くの場合
ふと思い出したことを語っているうちに、関連したさまざまな記憶が、芋づる式によみがえってくる。
そうして再体験し、そのときの感情を表現し、それが受けとめられ共感されることで、解毒が進んでいく。
(中略)
50分ないし90分のカウンセリングにより、十分に受けとめられる体験ができるように配慮している。
岡田尊司『回避性愛着障害』光文社
治療者—患者関係の中で、患者さんの語りの内容の「肯定」や相手の立場に立って相手の世界を自分の世界のように経験する「共感」や「受けとめ」など、言葉による対話だけでは治療関係の回避、関係関係の混乱や転移を生じやすく、「頭でいかに問題を理解しても、それだけでは改善につながりにくい」のです。
『愛着(アタッチメント)と対人的心的外傷(アタッチメント関連トラウマ)3』で「そのまますべてが事実ではなく、なんらかの脚色がなされている可能性がある」ことを示唆したように「芋づる式によみがえってくるさまざまな記憶」は、ときに自分の身体に起きた生理的反応の合理化、連想から個人や他者を巻き込んだドラマの展開になる(記憶の錯誤の誘導)や幼少期の状態を現在の精神病理に関連づけることが侵襲的に作用したりする場合もあるのです。
『回避性愛着障害』ではマインドフルネスを勧めてあります。
マインドフルネスでは、生きると言うことの原点とも言える呼吸や体の感覚に注意を向け、それをありのままに味わうことから始める。
それを基本にしながら、つらい体験や苦しい感覚も、ありのままに受けとめ、味わうことで、そこから、乱されない心と豊かな気づきを手に入れていく。
(中略)
それが単に心理学的と言うよりも、身体的で生物学的な体験である点に、通常のカウンセリングを超えた、深い浸透効果の秘密があるのではないかと思っている。
と書かれています。
たしかにマインドフルネスはある意味、個人的、対人関係、社会的なレベルの困難を抱える人に対するトレーニングとしての位置づけは可能で「自己受容」も高まりますが、「ニューロセプション(神経感覚)」の修復に必要な「協調性(社会的関与システム)」体験としては不十分なのです。
ニューロセプションが安定するためには、認知的な脱構築が必要ですから、その意味でマインドフルネスは役に立つのですが、愛着スタイルの安定性は社会性(協調性)に土台があり、社会性(協調性)が低いと、安定した愛着スタイルの構築が難しく、逆に不安定な愛着スタイルによって、社会性(協調性)も乏しくなる、という入れ子構造の修復に対して、巷で行われている呼吸や身体感覚に集中するだけのマインドフルネスでは不十分ということなのです。
では愛着を修復し、獲得安定型に変えていくにはどのような取り組みが必要なのでしょうか?
患者さんの背景はさまざまですから、型にはまったパッケージはないのですが、「自己志向」と「協調性」が交錯する領域に焦点を当てる場合、大きく3つの視点があります。
1つは、離れた視点から自分自身を見つめ返す、という「脱同一化」の視点(自己超越的な視点)であり、(諸富「自己肯定感と自己受容」臨床精神医学45(7): 869-875,2016)クロニンジャーの気質・性格検査のときに説明していますよね。
2つめは上記の「自己超越」にも近いのですが、自分自身を構成する自己概念、信念、価値観が周りの人々や社会との関係からどのように生起しているのか理解する自己回帰的な視点。
そして3つめは、セルフ・コンパッションです。
過食症やむちゃ食い障害の対人関係療法による治療の過程で、愛着の傷つき(虐待やネグレクト)が明らかになった患者さんや愛着障害かもしれないと、三田こころの健康クリニックを受診された患者さんは上記のどれかに取り組んでもらっているんですよ。
院長