「幻想」と3つの対人関係
そもそも。
心をどのようにとらえるかによって、現実のとらえ方も異なってきます。
水島先生は
不安が強いとき、私たちは現実のありのままを経験していません。現実に「不安」という靄(もや)がかかったようになっていて、実際に見ているのは、靄(もや)を通した現実どころか、場合によっては靄(もや)しか見ていないということもあるのです。
水島広子『正しく知る 不安障害』技術評論社;2010
とおっしゃっています。
吉本隆明の「共同幻想」「対幻想」「個人幻想」の『幻想』には、「人はあるがままの現実を生きているのではなく、意味づけられた世界を生きている」という意味が込められています。
水島先生の文章の「不安」は、吉本の言う「意味づけられた世界」ですよね。
そんな「意味づけられた世界」の苦悩に対して
認知療法は、靄(もや)をよく観察して、所詮は靄(もや)に過ぎないということを知るための治療法です。また、対人関係療法は、靄(もや)の向こうにある現実とやりとりをして、靄(もや)を晴らしていく治療法です。
水島広子『正しく知る 不安障害』技術評論社;2010
という治療が行われます。
対人関係療法は「認知(靄)には焦点を当てない」ということは、こういうことなのですよね。
この「3つの対人関係の次元」を発達過程と比較すると図のようになります。
「愛着の問題(愛着スタイル)と自分自身との関係」で、愛着の問題があると「対幻想」から「個人幻想」が展開する段階で止まってしまったり(固着)、あるいは退行することもあると書いたのは、この図でいうとエリクソンのいう幼児期後期〜児童期もしくはピアジェのいう「前操作期」でここが「対幻想」という愛着パターンから愛着スタイルへの変換点になっているためなのです。
たとえば、「新型うつ」とか「現代型うつ」といわれる「ディスチミア(気分変調性)親和型」では勤勉性が欠如しているといわれます。
つまり「個人幻想」から「共同幻想」への展開が頓挫したと考えると、その病理は「個人幻想」あるいは「共同幻想」にありそうで、「個人幻想」にある場合は適応障害、「共同幻想」にある場合は自閉症スペクトラムが考えられるのかもしれませんね。
慢性のうつ状態を抱えておられる人や、自分は愛着障害ではないかと思っておられる方は、これらの表を見比べると、どこに固着・退行しているのかとか、ご自分の取り組むべき課題が明確になるかもしれませんね。
院長