自他境界と解離性障害
『双極Ⅱ型とbipolar spectrum disorder』という論文で、『うつ病新時代——双極Ⅱ型障害という病』(『双極Ⅱ型障害という病——改訂版うつ病新時代』)を引用して、内海先生の双極Ⅱ型障害に対する治療論が紹介されていました。
この論文では「内海の双極Ⅱ型障害の治療論は、双極Ⅱ1/2型の治療論として読むべきかもしれない」として、「双極Ⅱ型の、周囲の環境に共振・共鳴するという同調性が過剰であり、個が希薄化してしまう病理に関しては「個の尊重」を重視した対応が重要とされる。
具体的には、生活史を聞く中で、患者の属性(例えば、故郷、出身校、所属している集団、職業、役割、世話をしている相手、ペットなど)は、そこに患者の個が宿るものとして、瑣末なものにみえても尊重しなければならないと指摘する。
また患者の対人過敏性については、周囲の人が患者の周囲への気配りを湯水にように消費してきたにもかかわらず、患者が誰にも評価されていないことへの共感、その対他配慮には意味があったという肯定的な認識を返すことが重要だと述べている。」と、「同調性の病理」について述べられていました。(齋藤・塩田, 双極Ⅱ型とbipolar spectrum disorder, 精神科治療学: 27増刊号, 126-132, 2012)
『境界性パーソナリティ障害と双極II障害』で触れたように、「双極Ⅱ1/2型」は、双極性障害と診断されるまでに時間がかかり、混合状態を呈しやすく、精神的comorbidity(併存症)を伴いやすく、気分循環気質が生活史上の不安定を有することから、「境界性パーソナリティ障害」などのⅡ軸のパーソナリティ障害と誤診される可能性が高く、双極Ⅱ型の「より暗い(darker)」表現型とされます。
「こんな私でも誰かの力になれる」
夢の第一歩を踏み出した気がして、私は心が震えた。
だけど私をよく知る人たちからは心配もされた。「背負いすぎちゃだめだよ」と。
私は「境界性パーソナリティ障害」の症状ゆえ、つい他者と自分の境界線がなくなってしまう。
「共感」というには度を超した「同調」。人の痛みをわが事のように錯覚し、ともすればその負の感情にまるごと飲み込まれてしまうのだ。まるで憑依されたように。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
セリさんも「双極性障害」あるいは「境界性パーソナリティ障害」と診断されたことから考えると、「同調性の病理」、つまり自他境界の不安定さがあったようです。
メンタライゼーションの視点で見ると、セリさんの状態は、空想(心の中)と他者を含む現実が地続き(空想=現実)であり、「人の痛みをわが事のように錯覚」する「目的論的モード」と、「憑依されたように負の感情にまるごと飲み込まれてしまう」「心的等価モード」を行き来していたようです。
そんな時に、セリさんは幻聴を体験したのです。
髪を洗おうと出したシャワーの音にまぎれ、幻聴が聴こえたのはそんな時だった。
「そんなに言うなら、本当に死ね」
自分の中の誰かが、自分に罵声を浴びせた。
「もっともだ」と思った。
私が生きることで、誰かの役に立つわけでもない。
夫にもずっと迷惑をかけつづけている。
「私が死んだ方が、みんな喜ぶ……」
その夜、私は何かにあやつられるかのうように、集合住宅の最上階に上った。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
幻聴あるいは幻声、または幻視は、一般に幻覚と呼ばれ、統合失調症の1級症状とみなされることがほとんどです。
自閉スペクトラム障害(ASD)や自閉症スペクトラム(AS)、あるいは解離性障害やPTSDの人では、「不思議の国のアリス症候群」のような体験をされた方もいらっしゃるかもしれません。
幻聴、内側での会話、侵入的な声、思考、イメージ、トラウマ的な「幻覚」などの精神病のような症状も解離性障碍の兆候であることがあります。これらの症状はすべて潜在記憶及び/またはパーツたちの表出です。
しかし、トラウマ関連の声と幻聴は異なるのに、統合失調症と誤診されることが多いのも事実です。
フィッシャー『トラウマによる解離からの回復』国書刊行会
上記の引用で「潜在記憶の表出」とされていますが、セリさんの場合、該当する体験があったようですから、解離性の幻聴(あるいは幻声)と考えた方がよさそうです。(解離性障害と憑依に関しては『USPT入門——解離性障害の新しい治療法』を参照してください)
セリさんが父親の財布から1万円を盗み、それがバレたときの体験をふり返ってみましょう。
すっとぼけた私に、父は思い切り頬を張った。私は、盛大にくちびるを噛んでしまい、錆びた血の味が口いっぱいにひろがった。
限界と思った。
「もう死にたい!」
私はヒステリックに叫んだ。キッチンに走りこみ、包丁を手に取り手首に当てる。
私は誰からも愛されていない。
私がいるだけで、皆、迷惑している。
私が死ぬことが、私も、周りも、「しあわせ」になれる唯一の道なんだ。そうは思いながらも、本当は止めてほしかった。青春ドラマのように、「ごめんね、本当はあなたのことも愛しているからね」と抱きしめてほしかった。
ところが「死にたい」と奇声を発する私を、父は風呂場まで引きずり、頭を浴槽に沈めて言った。
「そんなに死にたいなら、今すぐ死ね!」
私にはもう、愛される方法がわからなかった。
咲・咲生『「死にたい」の根っこには自己否定感がありました。——妻と夫、この世界を生きてゆく』ミネルヴァ書房
父親から言われた「そんなに死にたいなら、今すぐ死ね!」という言葉や体験が、「ヨソモノ自己」として内在化され、セリさんに「全般的に否定的で個人の不適切さ、無価値さ、そして「生きる価値がない」」という内容の思考、侵入的な声、内側での会話、幻聴を引き起こしたのでしょう。(『トラウマによる解離からの回復』)
虐待者から言われたことのフラッシュバックである「言語性フラッシュバック」、虐待者に押しつけられた考えの再生で「自分は何をやっても駄目だ」などの考えが繰り返し浮かぶ「認知・試行的フラッシュバック」、何かにあやつられるかのうような「行動的フラッシュバック」など、セリさんにはトラウマ関連症状が続いていたようです。
院長