トラウマと複雑性PTSD
他の精神科や心療内科、メンタルクリニックにさまざまな症状や診断で何年も通院していた方で、主治医から「トラウマは専門ではないから、うちでは診ることができない」と言われ、こころの健康クリニック芝大門を受診される方が何人もいらっしゃいます。
これらの方に共通する診断名は、抑うつ状態やうつ病、双極性障害などで、中には統合失調症と診断されていた方もいらっしゃいました。
トラウマによる影響が抑うつ症状や感情の起伏や感情の不安定さとして表現され、それをうつ病や双極性障害と診断して治療していたのなら、「トラウマは専門でないから」との主治医の言い訳は、患者さんにとってはいきなり梯子を外されるような体験になる、つまりそれ自体がトラウマ体験になるのではないでしょうか。
複雑性PTSDは、児童虐待やDVといった慢性的な極度のストレス体験のために、PTSD症状に加え、空虚感や非力感、無価値感など一貫して否定的自己認知を持つこと、安定した人間関係を築くことの困難、感情の制御困難があることが特徴である。
特に幼少期から慢性的に支配関係におかれ、虐待を受け続けた場合、人格形成にも大きく影響を及ぼす。それゆえに情緒不安定型パーソナリティ障害などの診断がつくことが多い。
そのほか、表面に現れる症状によって、遷延するうつ病や不安障害、身体化障害、摂食障害、解離性障害、依存症といった病名で通院している人も少なくない。
重症化すれば、統合失調症様症状(サイコーシス)を呈することもあり、統合失調症と誤診されているケース、あるいは誤診とはそう簡単には言い切れないケースも見られる。
宮地・清水, 複雑性PTSDと統合失調症. そだちの科学36, 46-53. 2021
トラウマによる影響は、上記のようにさまざまな状態として表現されます。
トラウマ体験を主訴に、こころの健康クリニック芝大門を受診された方には、情緒不安定型パーソナリティ障害(境界性パーソナリティ障害)や遷延性うつ病(気分変調症)、解離性障害などと診断された方はほとんどいらっしゃいません。
おそらく、トラウマ反応やPTSD症状があったとしても、抗うつ薬や抗精神病薬などの適応病名にない診断はしない、つまり、始めに投薬ありきの診断名として、抑うつ状態やうつ病、双極性障害、場合によっては統合失調症と診断されることが多いようです。
この件について、東京認知行動療法研究所の原田先生は、『複雑性PTSDの臨床』のまえがきでこう述べていらっしゃいます。
しかるに現在、日常臨床の場で広く、“心的外傷〜トラウマ”がしっかりと把握・評価されて適切な対応がなされているかというと、残念ながらそうではないように感じられる。
何らかの“心的外傷〜トラウマ”を体験した当事者が、その後もさまざまな悪影響を営々と被り続けているものの、①自らの体験を正当な形で周囲に理解してもらうことができず、②自分自身もその意味をしっかり評価できないでおり、③治療者からも適切な対応がなされていない場合が多いのが現状ではあるまいか。
原田・編『複雑性PTSDの臨床』金剛出版
こころの健康クリニック芝大門で解離性障害と診断し、治療を開始した患者さんがいらっしゃいます。この方は以前通っていたクリニックでは統合失調症と診断されていて、比較的大量の抗精神病薬が投与されていました。
治療の最初の段階として、安全な環境を確保した上でトラウマ心理教育(トラウマ体験としての認識と関与)や感情制御のためのストレス・マネジメントを続けている中で、患者さんがこういうことをおっしゃいました。
どこを受診しても、これまで自分の体験を通っていた病院の先生に理解してもらえたことは一度もありませんでした。自分自身でも自分のなかで何がおきているのかよくわからなかったので、言葉にできなかったこともあるのかもしれません。
でもこうやって、自分の中で起きていることを理解してもらって言葉で説明してもらえると、ああそうだったのか、こんなことが起きていたのか、と自分の体験が納得できるし、それに対して解離性障害とか複雑性PTSDという病名がつくんだとわかると、やっと自分自身が自分の居場所になったような気がしてホッとします。
前出の原田先生の指摘は、複雑性PTSDの臨床で患者さんたちが孤立のなかに閉じ込められて途方に暮れている様子を明確に指摘されていますよね。
多くの精神科医が心的外傷〜トラウマに対して拒否感を持つ理由について、原田先生はこうも述べられています。
……さまざまな病態にPTSD(あるいは、より広い疾患概念である外傷性精神障害)が関与しており、その適切な評価と対応が臨床家に求められている。
しかしながら経験を通して(例:夥しい数の自称ACを、本人が述べる外傷体験と周囲から情報がまったく異なる患者との遭遇)、いわば「外傷性精神障害に対する外傷体験」とも称すべき事態を通して一種の食傷状態に陥っており、外傷性精神障害を看過ごしがちな傾向にあったのではないだろうか。
原田・編『複雑性PTSDの臨床』金剛出版
上記の文章は2007年の論文ですから、現在であれば、自称AC(アダルト・チルドレン)を自称「愛着障害」と読み替えると、「外傷性精神障害に対する外傷体験」とおっしゃる心情はすごく納得できます。
私はこれまで精神療法を中心に臨床をやってきた中で、診断としての発達障害(自閉症スペクトラム障害)ではなく、特性としての発達障害の要素にもとづいて愛着(対人関係)の問題を理解することで「外傷性精神障害に対する外傷体験」から抜け出すことができたのです。
成人の臨床現場では、発達障害やトラウマあるいはその両者を基盤に抱える患者が増えているというのが印象としてあり、精神疾患の長期化、難治化の一員は、基盤にある発達障害やトラウマの認識の乏しさにあるのではないか、日々の臨床は、発達障害やトラウマを考えずには行えないのではないかというのが実感である。
(中略)
成人の臨床でよくみられる経過としては、小児期のトラウマ体験(虐待など小児期逆境体験やいじめなどの家庭外の逆境体験)⇒愛着障害・トラウマ反応⇒思春期以降のトラウマ体験⇒トラウマ反応+従来の精神疾患というものがある。
虐待などの小児期逆境体験は、愛着障害やトラウマ反応を引き起こしやすいだけでなく、さらには成人の不安症、うつ病、統合失調症、物質依存症などを引き起こしやすい。発達障害と愛着障害は、相互に影響し合い、愛着形成・対人関係形成と発達を困難なものとしやすい。
青木、村上、鷲田、編『大人のトラウマを診るということ——こころの病の背景にある傷みに気づく』医学書院
発達障害(自閉症スペクトラム障害)とトラウマとの関連について理解することで、診断名に対する画一化された治療から、「元々のその人のあり方や困り感をどう支えていけば生きづらさが減るのだろうか?」「そのためにはどの治療技法を使ったらいいのか?」という患者さんの特性に合わせた治療方針にシフトしてきたのです。
院長