毒親の正体とアタッチメント
愛着(アタッチメント)の問題は、養育者の対応の問題として捉えられることがほとんどでした。そのため巷では、「毒親」という言葉が流行しました。
毒親については、このブログでも『毒親と心の世代間伝達』『愛着トラウマと摂食障害の「外傷的絆」』『愛着トラウマの2つの再演』などで触れたことがありますので、参考にしてくださいね。
うつ状態、過食症、パニック障害などの診断で治療を受けている人たちの中には、「自分が感じている生きづらさは親の育て方のせいだ!親が変わってくれない限り自分の生きづらさはなくならない!」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
ひと昔前に流行った、「さまざまな虐待的な親が作る機能不全家族で育ち成人した子ども」であるアダルト・チルドレン(AC)と同じように、低い自己肯定感、強い承認欲求、他者コントロール欲求、あるいは過剰適応、感情の認知や表現の苦手さなどの特徴を自覚して(崔『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』星和書店)、対人関係療法を受ければ親が自分の期待通りに変わってくれるはず、と対人関係療法を申し込まれる方もいらっしゃいます。
私たちは誰も、他者によって生きることが可能となる仕組みを持って生まれてくる。そして、それはいつも十全に満たされるわけではない。そのために多かれ少なかれ関係上の傷つきとその苦しみを背負っている。だから、愛着の障害は身近に思えるのだろう。
障害でないものに、障害という名前をつけて手当てをしたくなるのかもしれない。
工藤. 人はなぜそれを愛着障害と呼ぶのだろう. こころの科学: 216, 92-93, 2021.
思春期・青年期をすぎて成人期には、重要な他者であるパートナーや配偶者との関係は、ギブ&テイク(互恵的)で対等(対称的)な関係になります。
一方、思春期・青年期までの重要な他者(養育者)との関係は、いまだ一方的に庇護を受けるだけの非互恵的・非対称的な関係です。(『摂食障害と対人関係とアタッチメント』参照)
ひとのアタッチメントは双方向的な相互性から成り立つため、子どもに多少の力不足があっても養育手の力によって補完される。そして養育手からのかかわりに支えられてアタッチメント力を育めるからである。
ただし、これは程度の問題で、子どもの力不足が大きければどうしても補完しきれない場合も出てくる。それが現在「自閉症スペクトラム障害」と呼ばれている発達障害である。
この場合、アタッチメントの力不足の直接の現れである情緒的な接近・接触の薄さに加えて、アタッチメントに支えられて進むべき各種の発達領域にも影響が及ぶ。
社会性(関係性)の発達のおくれや偏りは当然ながら、知的(認識的)な発達にも、注意・行動の能動的なコントロールの発達にも、分化した身体感覚や選択的近くの発達にも、多かれ少なかれ、おくれや偏りがもたらされる。
このように自閉症スペクトラムは、認知発達におくれる「知的障害」とも、注意・行動のコントロールの発達におくれる「ADHD」ともつながりや重なりを持つことになる。複数の診断名併記やグレーゾーン診断が多発する理由であろう。
滝川. 愛着障害、発達障害、複雑性PTSDをどう考えるか. こころの科学: 216, 17-22, 2021.
子ども側に発達障害などの要因があり、接近・接触などのアタッチメント希求や刺激に対する探索活動が少なければ、養育者のアタッチメントに基づく情緒的応答を引き出すことは難しくなります。
しかし、子ども側のアタッチメント希求が十分表現されたとしても、それをキャッチする養育者(親)側の応答性が低ければ、やはり問題が生じます。
以上を裏返せば、子どもに充分なアタッチメントの力があっても、逆に養育手にその力不足があったり、なんらかの事情で養育手からの適切な接近・接触がなされない状況が続いたりすれば、やはりアタッチメントの成立が阻害される理屈になる。そこから起きるのが「愛着障害」である。
この障害においても「アタッチメント」の失調だけでなく、それに支えられて進む各種の発達領域にも多かれ少なかれおくれや偏りが生じる。
発達障害とは原因に違いがあっても、生じた結果は現象的に重なりあい連続性をもつのである。
滝川. 愛着障害、発達障害、複雑性PTSDをどう考えるか. こころの科学: 216, 17-22, 2021.
しかしながら幼少期の養育者(親)とのアタッチメント関係は非互恵的・非対称的ですから、どうしても養育者(親)側の問題がクローズアップされがちになるのです。
さて、「愛着障害」は子どものアタッチメントに起きる失調として現れるけれども、本体は大人(養育手)のアタッチメントの失調である。どんな負荷条件が、その失調を大人にもたらすのだろうか。
①自然の個体差としてアタッチメントの力が余り強くない場合。子どもへの関心や接近・接触への能動性が薄くなりやすい(決してないわけではないが)。
②自身が愛着障害を抱えている場合。愛着障害を抱えての育児は子どもとの愛着形成につまずきやすく、そのため子どもにも同様の愛着障害をもたらすリスクをはらむ。いわゆる「世代間連鎖」である。
③アタッチメントを十分発揮できる生活条件に欠けている場合。親子にアタッチメントの力さえあれば、それだけで子どもが育つわけではない。育児は決して容易な営みではなく、毎日の生活を切り盛りしつつ、先述の愛着的な相互交流をつつがなく重ねていくためには、養育手自身に身心のゆとりや、それを支える物心共々に安定した生活基盤が必要である。そこに欠けた生活状況での育児は失調のリスクを抱える。
④子どもに何らかの発達のおくれがあって、両者のアタッチメントがかみあいにくい場合。
これら①〜④の一つだけで起きるのはまれで、いくつかが複合して失調が起きる。
その中で、とりわけ③に目を向けたい。臨床的には愛着障害の半数以上に③が見て取れるからである。
滝川. 愛着障害、発達障害、複雑性PTSDをどう考えるか. こころの科学: 216, 17-22, 2021.
養育者(親)の情緒的応答が乏しいことで、子ども側が親へのアタッチメント希求をしなくなる回避型(A型)や、動揺し感情を激しく表出し接近しつつ同時に怒りをぶつけるアンビヴァレント型(C型)のアタッチメント型が形成されると考えられています。
ちなみに、安定型(B型)以外の、回避型(A型)や、アンビヴァレント型(C型)の「不安定型アタッチメント」は問題があるとされることが多いのですが、「その後の追跡研究から、その二型も多くの場合は組織化されており、必ずしも不健康なアタッチメントと決めつけられないことがわかった」(齊藤. 乳幼児期のアタッチメント不全と大人のメンタルヘルス. こころの科学: 216, 88-89, 2021.)といわれています。
つまり、不安定型アタッチメントだから愛着障害、そして、愛着障害だから毒親のせい、という考えは成り立たないということですね。
被虐待児において、虐待的人間関係を反復する傾向が認められることは、しばしば指摘されてきた。すべての対人関係が、支配・被支配という形をとりやすいのである。
(中略)
この理由を考えてみると、そもそも夫婦どちらかが未診断の発達障害・発達凸凹の場合に、その配偶者もまた少なくとも発達凸凹を抱えている場合が多い。
これはやはり類似した認知特性をもつ者同士が惹かれ合うからなのではないかと考えられる。
このようなカップルに生まれる子どもに発達障害が生じやすいという生物学的な要因のみならず、主たる養育者となる母親の側のASD特性、あるいはADHD特性の存在が、子ども側の愛着形成の混乱を生じやすいからであると考えられた。
杉山『発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療』誠信書房
妻が夫の「発達障害」を疑い、初診予約も妻が行うというパターンがある。(中略)診断の結果は、夫の「無実の証明」となることはやはり少なく、妻の言い分が当たっていることも少なくない。
(中略)
こうしたケースでは、妻もタイプの異なる自閉症スペクトラム(障害)が疑われることもしばしばであるが、当の夫がそれを指摘したり口にしたりすることはほとんどない。(中略)
世に取り沙汰される「カサンドラ症候群」についてはその功罪を問いたくなることもある。
中村、本田、吉川、米田『日常診療における成人発達障害の支援〜10分間で何ができるか』星和書店
これが双方向的な「相互性」ということです。対人関係性は、お互いが持っている要素を持ち寄って形成されるということです。
院長