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「まいっか」をたずさえて

[2020.12.18]

先日ある患者さんが、こんなことを教えてくださいました。

 

『自分は、“そんなこともあるよね”ということを大事件に変えてしまう癖があると分かった。でも、例えばこれはほとんどの人にとっては大したことのないことなのかどうか、まだ一人では判断できないから、彼にそういう時は「まいっか、だよ」って教えてほしいと頼んだ。』そして、実際にあった一件についてもこう語ってくださいました。

 

『腕にはめていたゴムをなくしたと気づいたときに、またわーっとなってしまった。大事なゴムでも何でもないただのゴムなのに、さっきまであったはずのものがないってことでパニックになってしまった。その時に彼に「まいっかだよ、それ」って言ってもらって、自分でも「あ、そうか」と落ち着くことができた。』と。

 

私は彼女の話を聴きながら、とてもステキなアイディアだなと思いましたし、自分の課題に向き合う患者さんの姿にたくさんのことを教えられています。

 

思えばこの「まいっか」という言葉は、私自身もとても救われていることに気づきました。私はこの「まいっか」という言葉が今はとても好きです。けれども治療を受ける前の私には、「まいっか」という言葉はありえないものだったように思います。

昔の私にとって「まいっか」という言葉は、何かを途中であきらめたり投げ出したりすることで、それは悪いこと、してはいけないこと(ほかの人は良くても自分は絶対にしてはいけないこと)なんだと信じて疑いませんでした。ですから「まいっか」という言葉を自分が使うことなど考えたこともなかったかもしれません。

 

「セルフケアの道具箱」という本には、スキーマから発せられる「呪いのことば」についてこんな風に書かれています。

 

「生きづらさ」に関するスキーマとは、「呪いのことば」のようなものです。あなたの中に生きづらさにつながるスキーマができてしまったのは、あなたのせいではありません。様々は環境や対人関係のなかで、スキーマが勝手に形成されてしまったのです。あなたになんの責任もありません。

 しかし、自分の中にできでしまったスキーマ、すなわち「呪いのことば」をそのままうのみにして生きていくのか、「呪いのことば」から自分を解放して生きていくのか、私たちは選ぶことができます。「呪いのことば」にとらわれて生きていく必要はないのです。

 伊藤絵美著 「セルフケアの道具箱」より

 

私はこの「まいっか」はそんな「呪いのことば」から自分を解放してくれる「魔法のことば」のような気がします。「まいっか」には「まぁいいか。生きていればこんなこともあるよね。そんな中でもよくやっているよね。」という自分自身に対する慈しみやねぎらいの気持ちが込められているように感じるからです。一方でこのような話を患者さんとしていると、時々こんな反応が返ってくることがあります。

 

「それってただの甘えじゃないですか?」

「怠けているだけじゃないですか?」

「どこまでが甘えでどこからが自分へのやさしさなのか分かりません。」

皆さんはどう思われますか?

 

確かに昔の私もこの患者さんたちと同じような受け止め方をしていました。ただ今私がお伝えしたいのは、甘えかどうか、怠けかどうかというような“正しいか間違っているか”が重要なのではなく、あなたにとってその考えが苦しくてしんどいものであるなら、あなたはいつでもそれを手放すことができるということです。そして、私たちはいつでもいつからでも、生きたい人生を生きることができるということです。

 

それでも、患者さんの中には「そうは言っても…」と苦しい考えがあたかも正しい現実であるかのように感じていらっしゃる方も少なくありません。私もかつてはそうでした。いくら生野先生の話を聞いても、自分になじんだ考えがどんなに苦しいとしても、それ以外の選択肢があるということに気づくまでには随分と時間がかかりました。考えてみればそれもそのはずです。何十年と同じ思考パターンの中で生きてきたわけですから、

 

その考えの道筋は踏み固められた雪道と同じようなものですよね。新しい思考パターンを身につけるということは、雪が降り積もってまだ誰の足跡もついていない道を歩き出すようなものです。跡がないからここが道なのかどうかもわからないし、この方向であっているのか不安にもなるでしょう。道なき道に足を踏み入れるのですから最初は心もとない感じがして当然なのです。

 

けれどもその一歩があなたにとっての新たな道となるのです。そこを2度3度と繰り返し歩けば、もう迷うことのないしっかりとした道になります。私も治療を始めたばかりの頃は、自分の目の前には一本の歩きなれた道しかないと信じていました。治療を受け始めると徐々にですが、「私の前にはほかにも道があるのかもしれない(まいっか、とりあえず生野先生の意見を信じてみよう。)」、と考え始めました。

 

そうしているうちに、別の道が視界の端にちょっとだけ見え始め、だんだんとその道がしっかり見えるようになって、やっと「新しい道を進んでみようか(まいっか、とりあえずこっちに行ってみるか)」と思えるようになったのでした。

 

「まいっか」という魔法の言葉を携えながら進んだ新しい道は、これまでとはまったく違った世界へと私を導いてくれました。

冒頭にご紹介した患者さんは「まいっか」とともにどんな道を歩き始めたのでしょうか。

 

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