心的外傷後ストレス障害(PTSD)とさまざまな疾患
「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」という診断名は、一般の人たちにも浸透しているようです。
しかし一方で、うつ状態に伴う反芻思考や強迫性障害の強迫観念を、PTSDの再体験症状であると誤って診断してしまう精神科医や心療内科医がいらっしゃることも事実です。
ICD-11 platformのPTSDの項目では、再体験症状(侵入的記憶)の鑑別として抑うつエピソードの記憶想起が挙げられており、「抑うつエピソードでは、侵入的記憶は現在に再び起こるのではなく、過去に属するものとして経験され、しばしば反芻を伴う」と記載されています。
一般の人が「フラッシュバック」と呼んでいる回想的記憶想起と、PTSDの症状の中核にあるトラウマ的出来事の「再体験症状」との詳細な鑑別が必要になるため、トラウマティックストレス学会では「専門医による診察が望ましく、非専門医が対応する場合も専門医へコンサルト出来る環境が望ましい」としています。
心的外傷後ストレス障害(PTSD)とトラウマティックイベント
ICD-11のPTSDとDSM-5の出来事基準を比較すると、以下のように定義されています。
極めて脅威的または恐怖的な性質の出来事や状況(短期的または長期的)にさらされること。
このような出来事には、自然災害や人災、戦闘、重大事故、拷問、性的暴力、テロリズム、暴行、生命を脅かす急性疾患(心臓発作など)を直接体験すること、突然、予期せぬ、あるいは暴力的な方法で他人が傷害を受けたり、実際に死亡したりするのを目撃すること、愛する人が突然、予期せぬ、あるいは暴力的な死を遂げたことを知ることなどが含まれるが、これらに限定されるものではない。
実際にまたは危うく死ぬ、重症を負う、性的暴力を受ける出来事への、以下のいずれか1つ(またはそれ以上)の形による曝露:
⒈ 心的外傷的出来事を直接体験する。
⒉ 他人に起こった出来事を直に目撃する。
⒊ 近親者または親しい友人に起こった心的外傷的出来事を耳にする。家族または友人が実際に死んだ出来事または危うく死にそうになった出来事の場合、それは暴力的なものまたは偶発的なものでなくてはならない。
⒋ 心的外傷的出来事の強い不快感をいだく細部に、繰り返しまたは極端に曝露される経験をする(例:遺体を収集する緊 急対応要員、児童虐待の詳細に繰り返し曝露される警官)。
注:基準A4は、仕事に関連するものでない限り、電子媒体、テレビ、映像、または写真による曝露には適用されない。
DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル
特にストレス因(トラウマティック・イベント)が人に対する意図的なものである場合は(例:拷問、性的暴力)、障害が重症化したり長期化することがあるとされています。
また、厚生労働科学研究の「トラウマティックイベントと心的外傷後ストレス障害のリスク」では、わが国の地域住民において過去12ヶ月間に約1%の者がPTSDを研究しており、トラウマティックイベントとして、暴力被害、死別、性的被害が特に重要と考えられた、と報告されています。
ICD-11の「複雑性PTSD」や、ヴァン・デア・コークの「発達性トラウマ」の出来事基準については、『心的外傷的出来事(トラウマ体験)の諸相』を参照してください。
PTSDと遷延性悲嘆症
上記のトラウマティック・イベントのうちDSM-5の3.にある「近親者の死」に関連した「遷延性悲嘆症」が問題になります。
PTSDと同様に、「遷延性悲嘆症」は、トラウマ的な状況で起きた愛する人の死の結果として死別を経験した人に起こることがある。
PTSDでは死と関連した出来事や状況を再体験するが、「遷延性悲嘆症」では、死にまつわる状況の記憶にとらわれることがあるが、PTSDとは異なり、それらが今ここで再び起こっているとして再体験することはない。
「遷延性悲嘆症(DSM-5では、持続性複雑性死別障害)」は、近親者の死亡の後、故人への苦痛な感情を伴う思慕や追憶が、少なくとも6ヶ月以上にわたって、文化、社会、宗教的な規範を著しく超えて長期化した状態と定義されます。
PTSDと急性ストレス反応、および適応反応症(適応障害)
DSM-5の「急性ストレス障害(ASD)」と異なり、ICD-10には「急性ストレス反応」として、トラウマ的出来事の後、2、3日程度の急性期の一過性の症状(1ヶ月程度まで)を規定したものがありましたが、このような反応は自然に軽快することも多く、正常反応の医学化を抑制するというICD-11の方針に従って除外されました。
急性ストレス反応(非障害カテゴリー):外傷的な出来事に対する通常の急性反応には、再体験を含む心的外傷後ストレス障害のすべての症状が含まれる可能性があるが、これらはかなり早く(例えば、出来事が終了するか、脅威的な状況から解放されてから1週間以内、継続的なストレス因子の場合は1ヵ月以内)落ち着き始める。
適応反応症(適応障害):ストレッサーはどのような重篤度でもどのようなタイプでもよく、必ずしも極度に脅威的で恐ろしい性質のものである必要はない。
それほど深刻でない出来事や状況に対する反応であっても、PTSDの症状要件を満たしているが、急性ストレス反応として適切な期間を超えている場合は、適応反応症(適応障害)と診断されるべきである。
さらに、非常に脅威的な出来事や恐ろしい出来事を経験した人の多くは、PTSDの診断要件を完全に満たさない症状を発症する。このような反応は一般に適応反応症(適応障害)と診断した方がよい。
一般にはあまり知られていないことですが、上記の「適応反応症(適応障害)」に記載してあるように、トラウマティックイベントを体験した多くの人は、PTSDの診断要件を完全には満たしません。
またPTSDは、通常1ヶ月程度で自然に軽快し回復に向かいます。
しかし、罪責感や不安が高まり悪循環に陥ったり、他の精神疾患を併発したりすると、重症化する場合もあるのです。
「適応反応症(適応障害)」は、特定できる心理社会的ストレス因に対する非適応的な反応であり、通常は1ヶ月以内に発症し、ストレス因が消失した後は6ヶ月程度で終息することが普通であると定義されています。
「適応反応症(適応障害)」では、ストレス因とその結果にひどくとらわれており、過剰な心配や苦痛な思考、その意味についての反芻的思考がみられることが特徴とされています。
「適応反応症(適応障害)」の症状はストレス因の想起刺激によって悪化し、これがPTSDの「再体験症状」と間違われる場合が多いようです。
さらに「適応反応症(適応障害)」では、反芻回避(内的回避)症状に伴う抑うつや不安症状、衝動的な外在化症状や、喫煙、飲酒、物質依存など外性回避を伴うことも、PTSDとの鑑別を困難にしている要因の一つかもしれません。(『トラウマ関連障害の再体験症状と回避症状』参照)
「適応反応症(適応障害)」は、ストレス因に適応できないことで社会的な不利益(遷延する場合)がもたらされます。
「適応反応症(適応障害)」のこのような規定は、軽度の出来事によってPTSD的な症状が生じた人を「適応反応症(適応障害)」と診断することを容易にします。
「適応反応症(適応障害)」と「PTSD」の鑑別に関わる問題点、およびDSM-5-TRであらたに定義された「PTSD様症状を伴う持続トラウマ反応」については、『トラウマ関連障害の再体験症状と回避症状』も参照してくださいね。
今回説明したように、非常に脅威的な出来事や恐ろしい出来事(トラウマティックイベント)を体験した人のほとんどは、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」を発症せず、PTSDを発症したとしても1ヶ月程度で軽快し、回復に向かうのです。
トラウマ関連障害の治療は、過去の出来事が現在に侵入してくる道筋を断ち、現在に対する過去の影響力を減弱させていくことなのです。
院長